[過去ログ] 被差別部落にまつわる怖い話 27 (1002レス)
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77: (ワッチョイ f7b8-3X9e) 2018/02/15(木)22:03 ID:Lf+nhyZW0(4/7) AAS
外部リンク[html]:www.blhrri.org
JRの天王寺駅の北に悲田院町という町名だけ残っているが、悲田院は四天王寺の組織に属している。
四天王寺の本体は天王寺伽藍であるが、その外に四天王寺の領土があり、悲田院は窮民に施しをする施設であった。
悲田院の伽藍の外にあるので、外寺垣内と呼ばれていた。自らは決して非人とは名乗らず、垣内の者と称していた。
大阪には、長吏組織が4ヶ所ある。最も古いのは悲田院であり、そこから別れたのが鳶田、さらに道頓堀、天満にもある。
今回紹介するのは、天保8(1837)年の「下筋道中日記」という史料である。
大阪から西に船で移動する団の日記であるが、本史料に出てくる団長は、
大阪の筆頭与力、内山彦二郎であり、幕末に新撰組に暗殺されることになる。
町奉行所は、奉行がトップであるが、江戸からやってくるので現場のことは知らない。
実働部隊の管理職が与力であり、筆頭与力は実質的には市長・警察署長に相当する。
与力・同心、四ヶ所の小頭のほか、各地域の在方小頭や、在方小頭のトップである組頭などが参加し、
金栄丸・往寿丸・住吉丸、もう一つは名前がわからないが、計四船で出帆している。
出発前に下筋御用のためにお金を借り、丸亀・金比羅へ向かっている。一見、観光旅行のように思われるが、理由は一切書かれていない。
地元の小頭と連絡を取りながらさまざまな調査をしている。大阪の与力であるから、大阪だけを管轄すればよいと思われるが、
実際には岡山藩にも出かけているし、四国の各藩にも出かけ、秘密諜報活動をしていることがわかる。
ただ、この調査は途中で大塩平八郎の乱が起こったため、急遽団長である内山彦二郎は大阪に帰ることになり、挫折をしてしまう。
これを見て想起されるのが「カムイ伝」である。
作者の白土三平は非人を忍者として、秘密諜報活動をする存在として描いていた。こうした活動をするのが悲田院組織であったのではないか。
非人はこれまで最底辺の身分であると考えられてきたが、裏のもう一つの顔があり、秘密諜報活動を全国的に展開しながら、
さまざまな情報を集めて、老中に報告をしていたと考えられる。そのために各村々に非人番が置かれている。
どこそこの誰誰が何をしているのかを非人番が収集し、問題があると老中に報告している。
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