武田信玄 15 (411レス)
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(1): 2024/01/28(日)10:15 ID:iUjQJcpK(1) AAS
大河ドラマ第26作目
放送期間 1988(昭和63)年1月10日〜12月18日 [全50回 主演:中井貴一]

● 大河ドラマ 武田信玄 1987 再放送 ●
2chスレ:nhkdrama
● 大河ドラマ 武田信玄 1987 再放送 ●月曜〜木曜
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【大河ドラマ】 武田信玄 3 【最高傑作】
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武田信玄 4
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省20
392: 08/01(金)18:02 ID:j8Fu7705(1) AAS
御旗楯無ご照覧あれ!
現代だと社長の強制決裁に当たる。
393: 08/01(金)18:25 ID:5uYjOWiM(1) AAS
このドラマの村上義清は川中島の戦いで原美濃と一騎打ちして
やられたね。
394: 08/01(金)19:02 ID:hWwYAt78(1) AAS
わき腹に刀が刺さったまま走り去った
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(1): 08/03(日)23:38 ID:mw+Z12ms(1/8) AAS
【戦国時代】長篠の敗戦を巻き返せ!じつは合戦後に領土を広げ、盛り返しを目指し続けた『武田勝頼』の奮闘
外部リンク:news.yahoo.co.jp

日本史の教科書にも記載されるほど有名な、1575年に起きた長篠の合戦。この敗戦をきっかけに『武田家は衰退の一途をたどりました』といった文脈で教えられるケースが大半かと思います。

実際に大きなダメージを受けたことは間違いなく、周辺の領土争いで劣勢となった他、何より精鋭部隊の赤備えを率いた山県昌景(やまがた・まさかげ)や、馬場信房(ばば・のぶふさ)といった名将の討ち死にが、大打撃となっています。

しかし合戦後の歴史を俯瞰してみると、以後も約7年という長期に渡り武田家は持ちこたえており、じつは領土を広げてもいるのです。そこには敗戦の痛手を巻き返そうとする、武田勝頼の奮闘がありましたが、いったいどのような挽回策を実行したのでしょうか。

武田軍の底力と外交で持ちこたえる
さて、長篠の合戦で敗北した直後は、織田・徳川軍が勢いに乗じ、武田方の城をいくつも攻略して行きました。しかし徳川軍が攻めた小山城(こやまじょう)は守り切るなど、雪崩を打っての壊滅は免れ、一定のラインでは踏み止まりました。
省1
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(1): 08/03(日)23:39 ID:mw+Z12ms(2/8) AAS
>>395
また失った武将もいた反面、武田家はまだ高坂昌信(こうさか・まさのぶ)や小山田信茂(おやまだ・のぶしげ)に代表される歴戦の猛者や、真田昌幸(さなだ・まさゆき)といった智将も従えていました。そのうえ万単位の兵力を集める動員力も有しており、家康や信長でも迂闊に深入りすれば、逆襲を受ける可能性もありました。

そして西側では本願寺勢力や毛利家など、織田家と対立する大勢力も健在であり、武田家ばかりに目を向けていられない状況もありました。そこで勝頼は信長と対立して復権を目指す、将軍の足利義昭の力も借り、毛利家との同盟や上杉謙信との和睦を実現させ、織田家を包囲して牽制。

また武田家にとって、反対側の大勢力である北条家とは同盟を結んでいましたが、さらに政略結婚を行って関係の強化を実行しています。こうして武田家には立て直しを図る猶予が生まれたため、この時点で勝頼の取った方針は、決して間違っていないようにも思えます。

実際に信長は本願寺勢力との合戦で大苦戦しており、1577年に勃発した手取川の戦いでは、上杉謙信が織田軍を撃破。この状況では信長も武田家に対し、大規模な攻撃を仕掛けることは出来ませんでした。

運命を変えた上杉家の内乱
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(1): 08/03(日)23:40 ID:mw+Z12ms(3/8) AAS
>>396
しかし、それから程なくして勝頼にとって頼りの、上杉謙信が死去。その跡目を巡って彼の養子である上杉景勝(かげかつ)と、同じく養子で北条氏康の息子でもある、上杉景虎(かげとら)との間で跡継ぎ争いが勃発。

世にいう御館(おたて)の乱ですが、これまで上杉家に従っていた家臣や勢力が、それぞれ“どちら派”を掲げ、激しい戦いとなったのです。ここで北条家としては景虎が勝利すれば、上杉家を影響下において、その力は大幅に増大します。

とうぜん景虎軍の支援に動くとともに、勝頼にも出兵して景勝軍を攻撃するよう、要請しました。これを受けて勝頼は、万単位の大軍を率いて北上。景勝としては目のまえの景虎軍と対峙している時に、背後を武田軍に突かれれば窮地です。そのうえ時が経てば北条軍も攻めてくる状勢であり、万事休すに追い込まれました。

しかし景勝の家臣には、名将と謳われる直江兼続(なおえ・かねつぐ)がいました。彼の知恵もあったのか、勝頼に使者を送って和睦を申し出ます。その際に対価として上杉領の割譲、また財産の供与といった条件もつけており、交渉は成功して勝頼は条件を吞みました。それから勝頼は景勝と政略結婚による同盟まで結び、一時の和睦どころか、両者は色々な意味で運命共同体となって行くのです。
398
(1): 08/03(日)23:41 ID:mw+Z12ms(4/8) AAS
>>397
さて武田軍は進軍を止め、そして後継ぎ候補2人の間を取り持ち、両者を和睦させようとします。勝頼としては上杉家が内乱で弱体化すれば、そこへ織田家が侵攻するシナリオが考えられます。

もし越後が織田領となれば武田家にとって一大事であり、何とか上杉家の内乱を早期に収束させ、一枚岩になって欲しい意図だったのかも知れません。しかし、この和睦の働きかけは失敗し戦いは続行、最終的には景勝が勝利して終わりました。

さて、この結果を受けて戦々恐々となったのは、景虎を支援してきた武将たちです。とうぜん景勝から目の敵にされる未来が浮かびますが、そうした諸将の一部に武田家から「我らに帰属せぬか」という声がかかります。

これは真田昌幸の調略とも言われますが、景虎派の有力武将であった北条高広(きたじょう・たかひろ)らが勝頼に臣従したほか、一連の乱に乗じて武田家は、上野(こうずけ)の国において領土を広げました。

加えて景勝との約定で上杉領の一部、その中には今でいう糸魚川市の根知(ねち)城など、要所も含まれており、こうした地域も手に入れました。とくに日本海に接する領土は、父の武田信玄でさえ手に出来なかった領土であり、それを経緯はどうあれ勝頼は得たのです。
399
(1): 08/03(日)23:41 ID:mw+Z12ms(5/8) AAS
>>398
この時点で面積的には、歴代の武田家で最大版図を構築。長篠の敗戦で求心力を取り戻したい状況にあって「勝頼様が領土を広げられた」という成果は、何より欲しいものであったに違いありません。

裏目に出る巻き返し策
このように領土を大きく広げた武田家は、御館の乱に対する行動で短期的には、大きな利益を得ました。しかし長期的な視点では副作用が大きく、まず勝頼が奪取した上野の領地は、前々から北条家も狙っていた・・あるいは既に影響力を及ぼしていた地域もありました。北条家が、これに不満を抱かないはずがありません。

何より景虎を支援せず景勝と手を組んだことで、不信感は最大級に。これにより北条家は徳川家に近づき、武田家との同盟が消滅どころか、敵対関係になってしまいます。実際に両家の間では合戦も起こっており、勝頼としては北条領と接する長大なラインに、防衛の戦力を回さなければならない状況は、多大な負担となりました。
400
(1): 08/03(日)23:42 ID:mw+Z12ms(6/8) AAS
>>399
また武田家は長らく、今でいう山梨県甲府市の躑躅ヶ崎館(つつじがさきやかた)を本拠地としてきました。ここは周囲を山の地形で守られていますが、いざ攻め込まれた際には防御力に不安もあり、新たな拠点の造営を決断。

今でいう韮崎(にらさき)市に、新府(しんぷ)城という大規模な城を築き、移転しました。地形的に以前より大きな城下町も作れることから、ここを中心として武田家の新時代を始めようと考えたのかも知れません。

しかし、この巨大な新府(しんぷ)城を築くため、傘下の勢力には大きな出費や労力を課し、不満が蓄積していました。さらに信長が本願寺勢力を下し、武田家に対して本格的な攻勢に出ると、その圧倒的な戦力に加えて上記の不満も影響してか、武田方の諸将は次々と織田家に寝返ってしまいます。

また信長に呼応して動く徳川軍、さらには北条軍も同時侵攻を開始し、こうなると武田家はひとたまりもありません。せっかくの新府城も肝心の兵力が無ければ、活かすことは出来ませんでした。結局は籠城戦をすることもなく、放棄して逃亡という残念な結果に終わってしまったのです。
401
(1): 08/03(日)23:42 ID:mw+Z12ms(7/8) AAS
>>400
最後の最後に手を差し伸べた大名

そこら中が敵となり絶望的な戦況に陥った勝頼ですが、そんな彼に大名としては唯一、手を差し伸べた勢力があり、それは上杉景勝でした。結果としては間に合わず、また間に合ったとしても武田家を救えなかった可能性は濃厚ですが、数千人の援軍を派遣した記録が古文書に残されています。

ちなみにこのとき上杉家も織田軍の攻撃を受けており、苦しい状況でした。2009年に放映された大河ドラマ『天地人』では、上杉家の軍議で「武田を助けている余裕など、ありませぬ!」と紛糾する場面がありました。

しかし主人公の直江兼続は「もし謙信公であれば、義を捨てることは決してない」と主張し、武田家への援軍を決定。そして寝返りの報告が相次ぐ勝頼のもとに、唯一「これより我ら、貴公の助太刀に参ります」という書状が届き、手紙を手に涙を流す勝頼のシーンが描かれました。
402: 08/03(日)23:43 ID:mw+Z12ms(8/8) AAS
>>401
実際の歴史を振り返ると、武田家は実に多くの戦国大名と敵対や同盟をくり返しましたが、最後の最後に手を差し伸べたのが、かつて最大の宿敵であった上杉家という事実は、何とも不思議な巡り合わせです。

武田家を盛り返す勝頼の夢は、とくに御館の乱以降の選択が裏目に出て、崩れ去ってしまいました。しかし最終的に手を結んだ上杉景勝、直江兼続らが信頼できる人物であったという1点に絞れば、勝頼の選択は正しかったのかも知れません。
403: 08/04(月)01:54 ID:g2eg5Avs(1) AAS
では2027年に放送予定のNHK大河ドラマ第66作は『武田姉妹!』でお願いします。

『豊臣兄弟!』は、2026年に放送予定のNHK大河ドラマ第65作。豊臣秀吉をすぐ側で支え、後世「もしも彼が長生きしていれば、豊臣の天下は安泰だった」と言われた弟・豊臣秀長を主人公に、兄弟の立身出世から天下統一までを描く。
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(1): 08/04(月)07:50 ID:oLiuHM65(1) AAS
 
西国の権威が甲越の政局に関わっとり申した…。

 
< 足利義昭 -
 
 
・・・備後国への下向・鞆幕府の樹立
 
 
天正4年(1576年)2月、義昭は紀伊由良の興国寺を出て、西国の毛利輝元を頼り、その勢力下であった備後国の鞆に動座した。
省5
405: 08/17(日)14:06 ID:VbN2niAp(1/2) AAS
信玄が入ってたしまの湯、今入ったら熱中症で死にそうになるよ
夜でも気温が下がらない
諏訪は夜気温が下がるし昼間も風が通る
406: 08/17(日)18:18 ID:VbN2niAp(2/2) AAS
>>360
穴山、長坂、教来石、あと武田八幡宮も韮崎のほうの地名だしな。
両角は信濃、板垣は甲府らへんだけど。
今でも諸角さんや跡部さんがいるんだよね。
407: 08/17(日)19:24 ID:s2LTjU/4(1) AAS
家臣というか4次川中島回では初鹿野姓の伝令兵が居た。

何故か参政議員に同姓者がいるけど
408: 08/21(木)09:55 ID:1JC6Ji1M(1/2) AAS
>>404
改行ガイジは醜い自己承認欲求の塊
409: 08/21(木)09:56 ID:1JC6Ji1M(2/2) AAS
速攻でNGあぼーん
410: 08/22(金)21:22 ID:/MHtLdtP(1) AAS
姫っさま、この八重に、お任せくださりませ。
何もかも、良きかたに、導いてご覧にいれまする。
甲府のこの暑さ、都にひけを取りませぬなあ。さすがは、
東国の都じゃ。
411: 08/23(土)00:49 ID:qxGJjr8e(1) AAS
武家のお味にございます
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