スーザン・ソンタグ(Susan Sontag, 1933 -- 2004)、アメリカの著名な作家、『写真論』 『隠喩としての病い』 エッセイスト、小説家、知識人、映画製作者、運 (7レス)
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1: 2016/02/17(水)07:23 ID:5QzMr0xm(1) AAS
スーザン・ソンタグ(Susan Sontag, 1933年1月16日 - 2004年12月28日)は、アメリカの著名な作家、エッセイスト、小説家、知識人、映画製作者、運動家。 ... その7年後、母は同じ東欧ユダヤ系のネイサン・ソンタグ(Nathan Sontag)と親密関係になった。正式に ...

Wikipedia>  スーザン・ソンタグ  -------------- > ...... 批評家としてベトナム戦争やイラク戦争に反対し、アメリカを代表するリベラル派の知識人として活躍した。
>  
>  しかし一方では、アグレッシブな「言語帝国主義者」として、言語は全て正規のアルファベット(アクサン、セディユ、ウムラウト等々を認めない)で表現されるべきである、英語以外の言語を言語として認めないなどの英語国粋主義的な強論が、おもに非英語圏の多数の知識人から批判されてきた。

   ↑  ↑  ↑ ----------- 「言語帝国主義者」 って . . . 完全なデマ ? w
2: 2016/02/17(水)07:26 ID:??? AAS
『写真論』スーザン・ソンタグ ----------------- On Photography, Susan Sontag

1973年から『ニューヨーク・レヴュー・オブ・ブックス』誌に掲載された写真に関する論考を集成した、スーザン・ソンタグの論集。

原著は77年に刊行され、写真論においてはいまや古典的な書籍となっている。

写真という知覚を拡張するメディアの氾濫によって、世界があまねく複写されたかに見える時代に対峙する際、ソンタグが一貫して主張するのは、写真を通じて問われる「見ることの倫理」である。

その意味で、この書物は写真についての論考であると同時に、写真を通じて見る文化論であり、かつ、視覚の政治学であるともいえる。
省2
3: 2016/02/17(水)07:30 ID:??? AAS
1. “Although there is a sense in which the camera does indeed capture reality, not just interpret it, photographs are as much an interpretation of the world as paintings and drqsings are. ” (120 people highlighted) 「写真は絵画やデッサンと同じように世界についてのひとつの解釈なのである。」

2. “Time eventually positions most photographs, even the most amateurish, at the level of art. ”

3. “Recently, photography has become almost as widely practiced an amusement as sex and dancing ? which means that, like every mass art form, photography is not practiced by most people as an art. It is mainly a social rite, a defense against anxiety, and a tool of power.”

4. “Photographed images do not seem to be statements about the world so much as pieces of it, miniatures of reality that anyone can make or acquire. ”

5. “To photograph people is to violate them, by seeing them as they never see themselves, by having knowledge of them they can never have; it turns people into objects that can be symbolically possessed. Just as the camera is a sublimation of the gun, to photograph someone is a sublimated murder ? a soft murder, appropriate to a sad frightened time.” -------------------- 撮影することは「ソフトな殺人なのである。」
省1
4: 2016/02/17(水)07:33 ID:??? AAS
スーザンソンタグによる写真論の古典。

脱線的な箇所ではあるが、旅行と写真について鋭い考察が大変に印象に残った。ソンタグはこう言っている。

「写真撮影は経験の証明の道ではあるが、また経験を拒否する道でもある。写真になるものを探して経験を狭めたり、経験を映像や記念品に置き換えてしまうからである。旅行は写真を蓄積するための戦略となる。写真を撮るだけでも心が慰み、旅行のためにとかく心細くなりがちな気分を和らげてくれる。観光客は自分と、自分が出会う珍しいものの間にカメラを置かざるをえないような気持ちになるものだ。どう反応してよいかわからず彼らは写真を撮る。おかげで経験に格好がつく。立ち止り、写真を撮り、先へ進む。この方法はがむしゃらな労働の美徳に冒された国民であるドイツ人と日本人とアメリカ人にはとりわけ具合がよい。ふだんあくせく働いている人たちが休日で遊んでいるはずなのに、働いていないとどうも不安であるというのも、カメラを使えば落ち着くのである。」

カメラを持ち歩く旅は、何かを獲得しようとしていながら、何かを失っている。カメラは構えずに、肉眼で見て現実を経験する方がずっと獲得できるものが豊かなのかもしれないのに、だ。(ま、カメラが好きな人は写真撮影という経験を獲得するために旅行をするのでもあるのだが。)

ソンタグは別の箇所で、写真による獲得とは、
省11
5: 2016/02/24(水)10:53 ID:??? AAS
サラエボで、ゴドーを待ちながら―― エッセイ集2 :写真・演劇・文学 (エッセイ集 2 写真・演劇・文学)

サラエボで、ゴドーを待ちながら―― エッセイ集2 :写真・演劇・文学 (エッセイ集 2 写真・演劇・文学)の感想

ソンタグが1993年戦時下のサラエボで演出した「ゴドーを待ちながら」。その体験を語る。また本書は多様で幅広い諸々のエッセイが扱われている。ポーランド系ユダヤ人移民の血をひくソンタグ。

最後の「翻訳されるということ」の章、政治的背景や歴史の中で「言語」に対峙するソンタグの真摯さを強く感じた。"私は翻訳される側なのだ――近代的な意味で、そして、ウィクリフの散種した、今はない意味でも。私は翻訳を監督しながら、私の言葉の死と転移を監督してしまっているのだ" 多様なエッセイ、どの頁にも記憶に残る「音」があった。

読了日:1月15日 著者:スーザン・ソンタグ
6: 2017/10/19(木)04:05 ID:??? AAS
しかし一方では、アグレッシブな「言語帝国主義者」として、言語は全て正規のアルファベット(アクサン、セディユ、ウムラウト等々を認めない)で表現されるべきである、英語以外の言語を言語として認めないなどの英語国粋主義的な強論が、おもに非英語圏の多数の知識人から批判されてきた。

     英語以外の言語を言語として認めない  < ハァ?

少しは忖度せいや! 

そんたく 【忖度】   《名・ス他》他人の気持をおしはかること。?「わたしの―が許されれば」
7:  ( 想像界 ・ 現実界 ・ 象徴界 )   2020/08/22(土)13:11 ID:??? AAS
「[マトリックスの]映画 の舞台は 2199 年、人間はコンピューターの熱源として「栽培」されている。つまり、ほとんどの人間は、巨大なコンピューターの支配下におかれているってわけだ。

なんか孵卵器みたいな特殊な昆虫(???)の体内で人間は眠り続け、コンピューターが作り出した 1999 年の仮想世界の夢を見続けている。

この仮想世界こそが「マトリックス」だ。人々はこの偽物の世界で一生を送ることになるんだけど、誰もそのことに気づかない。

そんなことになってしまった世界で「マトリックス」の存在に気付いた反乱組織がコンピューターの支配と戦うのがストーリーの骨子だ。…

仮想世界「マトリックス」は、偽物のイメージの世界という意味で、そのまま想像界になぞらえることができる。で、人間がマトリックスの夢を見ながら寝ている「現実世界」が現実界だ。…
省2
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