[過去ログ] 【謎の集団】古代の種子島、わざと頭を変形 国内初確認 [夜のけいちゃん★] (588レス)
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(1): ウィズコロナの名無しさん 2023/10/13(金)03:40 ID:Z3WH571d0(1/9) AAS
>>216
地域によりけりだな
近畿は古墳時代から現代まで一貫して短頭傾向、九州は現代日本ではアイヌに次いで長頭傾向
これも渡来形質の拡がりのひとつとして捉えられており概ね、畿内>近畿>関東>九州といった渡来形質勾配がある
他にも体毛の濃さ、蒙古ヒダの発達度、アクセント、発音など

男性の頭蓋長幅指数の経年変化(中橋孝博)
画像リンク[png]:i.imgur.com
画像リンク[png]:i.imgur.com
頭蓋長幅示数・現代
北九州76.6、関東78.5、近畿80.7
省3
232: ウィズコロナの名無しさん 2023/10/13(金)03:41 ID:Z3WH571d0(2/9) AAS
頭型の時代変化を関東や近畿地方と比較してみるとFig.4のような結果が得られる。
まず中世以降の変化において、当地方では現代人へと徐々に短頭化していく様相がみられ、この変化傾向に関しては関東地方とも、そして一部は近畿地方とも共通しているようである。
ただ、近世人のみならず、現代人間においても北九州人は最も長頭に傾いており、近年の現代人骨の研究(現代日本人頭骨研究班,1981)でも、北九州地方人は北陸地方人等と共に全国で最も長頭傾向の強い集団であることが明らかにされている。
問題はこうした地域差がいつ頃から、どういった要因で生じたのか、ということであるが、まず上記の結果からして関東、近畿、そして北九州地方のそれぞれ都市部に限ってみれば、
その程度はやや異なるものの現代人骨間で認められるような頭型の地域関係が、少なくとも江戸時代には既に顕われているということになろう。

こうした頭型の変化や地域差に関してさらに興味深いのは、近畿地方との差である。Fig.4にも示したように、古墳時代でも大阪や大和といった畿内中心域出土のものに限れば既に短頭性が認められるとの指摘があり(島・寺門,1957)、
近世のみならず、既に古墳時代から両地方間にはかなりの差(永井,1985)が存在したことになる。
233: ウィズコロナの名無しさん 2023/10/13(金)03:45 ID:Z3WH571d0(3/9) AAS
埴原は、現代日本人の頭蓋形態の地域差を分析し、近畿地方人の特異性を指摘した。
現代の近畿地方人は、比較的短頭で、頭蓋全体は大きいが脳頭蓋最大長はきわめて小さい。そして、その特徴によって近畿地方人は他地域の集団とかけ離れた位置をとる(埴原)。
また、生体計測学的研究の結果からみると、近畿地方人の頭形は、同心円状の地域分布の中心となることがわかっている(小濱)。
近畿地方人が最も短頭で、関東地方人、北九州地方人がこれに続くという地域関係は、現代のみならず、近世でも成立していた(長岡,2005)。
※近畿地方の現代人は、(欠田,1959)の現代人のデータを利用した。

頭蓋長幅示数
現代 近畿80.7、関東78.5、北九州76.6

歯冠サイズの地理的変異 長岡朋人2003
現代 近畿、関東、九州

両地域の相違は、短頭傾向を持つ近畿の集団と長頭傾向を持つ九州の集団との違いにみられるように、頭蓋計測値でも認められている(Nagaoka.2003)
省1
234
(1): ウィズコロナの名無しさん 2023/10/13(金)03:45 ID:Z3WH571d0(4/9) AAS
同心円的構造の背景として、外来集団の渡来は不可欠ではあるが、もう一つの重要な要因として近畿の歴史的・社会的環境要因を考えた。
近畿は歴史時代における政治・経済・文化の先進地域であり、そうした地域に特有な社会環境が遺伝子頻度の変化、例えば渡来人遺伝子の増加をもたらした可能性があると指摘した。

本研究の結果は長岡・熊倉(2002)の結論と矛盾しない。
近畿地方の特異性の解明にはさらに近世以前の資料の蓄積を待たないとならないが、本研究の結果は、日本人形成史の研究に寄与する重要な知見であると考える。
242: ウィズコロナの名無しさん 2023/10/13(金)04:19 ID:Z3WH571d0(5/9) AAS
土井ヶ浜遺跡人類学ミュージアム2022年度研究報告第19号
画像リンク[png]:i.imgur.com
画像リンク[png]:i.imgur.com

『大宝律令』夷人雑類の項では、毛人(蝦夷人)、肥人(肥前、肥後人)、阿麻弥(奄美人)らの類を「異人」と記し、
「隼人・毛人を列島内では異人と謂ふなり」とも記述している。

「西方民族の名称の古史に見ゆるもの、隼人あり、熊襲あり。肥人・薩人あり。種禰人・夜句人・阿麻弥人あり。
海神の部下にありと思考せらるる海部・安曇部など、また西方民族の系統に属するもののごとし。」

「肥人の額髪結へる染木綿の染みにし心忘れめや」万葉集 とあるように、結髪法も大和人の髻と違った額髪であり、染木綿で頭を巻いていたことは隼人と同じであって、今日、東南アジアにも見られる習俗である。

夷人雑類の肥人。水野祐はこの異族を西九州の漁労民にあてている。
熊本県の箱式石棺墓から出ている西九州の古墳人は、低顔という点では南九州古墳人をしのぎ、大腿骨骨体の柱状性も強いなど、
省2
243
(1): ウィズコロナの名無しさん 2023/10/13(金)04:21 ID:Z3WH571d0(6/9) AAS
国立歴史民俗博物館 藤尾慎一郎
2023年2月11日に鹿児島市国際交流センターにおいて計画研究A02班・B01班合同の報告会を開催しました。
両班は2018年度から宮崎県南部や、トカラ列島十島村を含む鹿児島県に所在する遺跡の調査を行ない、
人骨の形質人類学的調査を行っている鹿児島女子短期大学の竹中正巳教授からご提供いただいた人骨を調査し、
DNA分析と年代学的調査を行なっています。その成果は、年度ごとに「国立歴史民俗博物館研究報告」に公表しております。

篠田謙一「南九州古人骨のゲノム解析結果」
篠田は、九州南部の縄文人、古墳人のDNA分析を行なった結果、縄文人のミトコンドリアDNAは西日本縄文人のハプログループであるM7aであった。
甑島や鹿屋市の横穴墓から出土した古墳時代の人骨には、縄文系核ゲノムの比率が高い人びとが多いことに注目した。
244: ウィズコロナの名無しさん 2023/10/13(金)04:29 ID:Z3WH571d0(7/9) AAS
【竹中正巳】
骨の研究や最近ではDNAの研究で、縄文人の遺伝的な要素、DNAを色濃く残しているのが北海道のアイヌの人々だということがわかっております。
アイヌの人々の軟組織を見れば、眉が濃かったり、髭が多かったり、そして目は二重であったり。そして耳垢が湿っていたりという特徴があります。縄文時代の人たちもそういう顔つきや体つきをしていた。
縄文人は基本的に日本列島全域でほぼ一緒の特徴を持っていたと言われております。近年では、DNAの研究で東日本と西日本の縄文人の中には、DNAのタイプとしてちょっと違うものがあるという面白い研究等もあります。
私はDNAの専門家ではありませんので、またの機会に譲るといたしまして。縄文時代の終わりから弥生時代にかけて大陸から、朝鮮半島や今の中国の地域から人がやってきます。
そのような人たちは顔が長くて、面長で平べったい顔で、毛は薄い。そして目は一重ということになります。縄文人とは違っていますね。
こういう人たちがやってきて、生活も弥生時代になると、金属の道具とか水稲耕作とか、色んな形で生活も変わってまいります。もう日本列島の人々にとっては大革命です。こういうことをもたらした人たちが、地元の縄文的な人たちと混血をしていくことになります。
そしてどんどん広がって、この人たちの特徴がどんどん後の日本列島の色んな所に広がっていくというのが、現代日本人の成り立ちの大まかなストーリーであると、大方の研究者が認めております。

南九州の古墳時代人は、ということになります。この都城盆地からえびのにかけての地域というのは、本土の縄文人みたいな感じ。都城盆地の古墳時代の人々、多様な古墳がいっぱいありますけれど、
今わかっているところでは地下式横穴墓と箱式石棺墓から出てきている人骨から言うと、本土の縄文人に近い顔つき、体つきの人たちがこの都城盆地の古墳時代の主な住民だと思います。
245
(1): ウィズコロナの名無しさん 2023/10/13(金)04:30 ID:Z3WH571d0(8/9) AAS
古い時代の人骨というものは中々残りません。良い状態で出てくるということはほとんどないのですが、地下式横穴墓というものは、天井が落ちなければ空間が保たれるものですから、非常に良い状態で骨が残ります。
南九州ではこういうお墓が、宮崎から鹿児島にかけての東半分の地域に認められます。ですから古墳時代では有数の、残りの良い古墳時代人骨が出てくる地域であります。
ですが、たいていの土を被せて埋めてしまうお墓ですと、日本は酸性土壌、火山灰の土壌ですので、体が溶けて骨も溶けてしまっています。中々残らないのが実情です。

それで南九州の縄文時代、古墳時代の話なんですが、南九州では縄文時代に少し人骨が出ます。南九州で縄文時代の保存の良い人骨というのは、残っていても10体くらいです。
その次の弥生時代になると、ほぼ皆無であります。南九州の本土で1例だけで、それらはもうボロボロの状態の人骨で、そこから特徴を探るのは中々厳しい状態です。

そして古墳時代は地下式横穴墓をはじめ、人骨がたくさん出てきます。地下式横穴墓からは非常に良好な遺存状態で古人骨が出土し、その数は県内で600体を超える。
これほど大量の古墳時代人骨資料が出土しているのは全国唯一であり、考古学のみならず人類学研究においても重要かつ不可欠な資料群と言えます。
252
(1): ウィズコロナの名無しさん 2023/10/13(金)05:50 ID:Z3WH571d0(9/9) AAS
肥前風土記 松浦郡値嘉郷
「・・・この嶋の白水郎は容貌、隼人に似て常に騎射を好み、其の言語は俗人と異なる。」
肥前風土記 高来郡土歯池
「俗、比遅波と為す。・・・土人の辞に縁りて名づけて土歯(ひじは)池という。」(俗とか土人が隼人のことであるか否かは不明。)
大隅風土記(逸文)串卜郷
「髪梳は隼人の俗語で久西良(くしら)と言う。」
大隅風土記(逸文)必志里
「海の中の州は隼人俗語で必志(ぴし)と言う。」アイヌ語の pis=浜が同源か、との説も散見される。
薩摩風土記(逸文)七一三年
日向・大隅・薩摩の土地の人は皆 隼人(はやひと)である。
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