[過去ログ] 【保守】KAZUYA氏「ネット保守が醸し出す「身内に甘い」というダサさ。」 自分達の犯罪やデマ拡散を棚に上げてマスコミや左派を批判★5 [ramune★] (1002レス)
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738: 2021/06/06(日)00:46 ID:9p9E6A5K0(1/25) AAS
>>1
サンパス (元復員軍人省長官)
「特にインドネシアが感謝することは
戦争が終わってから 日本軍人約1000人が帰国せず、
インドネシア国軍と共にオランダと戦い、独立に貢献してくれたことである。
日本の戦死者は国軍墓地に祀り、
功績を讃えて殊勲章を贈っているが、それだけですむものではない。
それ以上のものを彼ら日本人は我々に与えてくれた。」
アラムシャ(元第3副首相)
「我々インドネシア人は
省7
739: 2021/06/06(日)00:46 ID:9p9E6A5K0(2/25) AAS
ブン・トモ 元情報相
われわれアジア・アフリカの有色人種は、ヨーロッパ人に対して
何度となく独立戦争を試みたが全部失敗した。
インドネシアの場合は、350年間も失敗が続いた。
それなのに
日本軍が米・英・蘭・仏をわれわれの面前で徹底的に打ちのめしてくれた
われわれは
白人の弱体と醜態ぶりをみて、アジア人全部が自信を持ち、独立は近いと知った。
一度手にした自信は決して失われることはない。
そもそも大東亜戦争は
省8
742: 2021/06/06(日)00:47 ID:9p9E6A5K0(3/25) AAS
●ビルマ初代首相バ・モオ氏…
◇1943年8月1日独立式典に内外の記者団に対して…
「ビルマ国民は生涯今日の日には遭遇し得ぬものと諦めていたから、われわれは歓喜の涙にくれている」
◇翌日のラジオ…
「…実にイギリスのビルマに対して行った侵略ほど、残虐で積悪暴戻極まるものはないのである。
イギリスはわが国民、わが町、わが家庭、わが繁栄を破壊するためになさざるところはなかったのである」
◇独立宣言書…
「英国側はアジアに対する掠奪的野望を以て此等の戦争を遂行せり。
…ビルマ人は徐々に搾取され時の進むに従いて総ての国民的実質、莫大なる物的資源、
機会、文化、言語、さらに遂にはその生活様式までも失い…
省6
743: 2021/06/06(日)00:47 ID:9p9E6A5K0(4/25) AAS
●1977年マニラでの国際会議で、
インドネシアの大統領特別補佐官アリ・ムルトポ准将の発言
…「日本はアジアの光である。太平洋戦争はアジアの独立のための戦争であったゆえ、
本来ならアジア人が戦うべきであったのに、日本人が敢然と立ち上がって犠牲になった」 《「戦後歴史の真実」》
●インドネシア・ユドヨノ大統領は、調整大臣だった平成14年当時、
山崎拓幹事長に対して「日本軍の進攻がわがインドネシアの独立につながった」と明言している。
そもそも東南アジアには、中国・韓国と全く別の歴史観が存在することを知る必要がある。《正論2005/8月号》
●マハティール(1992年香港で開かれた欧州・東アジア経済フォーラムで)…
「もし日本なかりせば、欧米諸国が世界の工業を永遠に支配していただろう。
南側諸国は貧しさを強いられ、自分たちは(欧米に)太刀打ちできないと信じていただろう。
省3
749(1): 2021/06/06(日)00:49 ID:9p9E6A5K0(5/25) AAS
●ASEANは、日本の国連常任理事国入りに対しての支持を公式表明している。
日本とASEAN諸国との間には、殆ど懸案事項が存在しない。 《「『日中友好』は日本を滅ぼす!」》
●「バンドン会議」とは、インドネシアのスカルノやインドのネルー、エジプトのナセルらが呼びかけて、
アジア・アフリカの29ヵ国が集まって開いたもので、戦後独立した国が殆どだった。
このため会議は独立の尊さをアピールする会合となり、大東亜戦争が称賛された会議でもあった。
これに参加した故加瀬俊一(初代国連大使)は
「この会議の主催者から、出席の案内が来た。(中略)出てみると、
アフリカからもアジア各国からも『よく来てくれた』『日本のおかげだ』と大歓迎を受けた。
日本があれだけの犠牲を払って戦わなかったら、我々は今もイギリスやフランス、オランダの植民地のままだった」
といわれたと後に講演している。 《諸君!2006/8月号》
省3
755: 2021/06/06(日)00:50 ID:9p9E6A5K0(6/25) AAS
>>749
※統合失調症、アスペの分かり易い例
●宮中晩餐会でのベアトリックス女王陛下御挨拶…
「不幸なことに、第二次世界大戦の出来事により(オランダ、日本)両国の国民の間に深い溝が生じました。
数多くのオランダ国民が太平洋における戦争の犠牲になりました。
その中には軍隊の一員として巻き込まれた者もいましたが、十万人以上の民間人もまた、何年もの間抑留されました。
お国ではあまり知られていない歴史の一章です。
多数の同胞が戦争で命を失い、帰国できた者にとっても、その経験は生涯、傷痕として残っています。
その結果、これらの人々は、今なお痛みや苦しみに悩まされているのです。
私たちの過去に暗い影を落としている苦い経験を真摯な目で認識することこそ
省9
769(1): 2021/06/06(日)00:54 ID:9p9E6A5K0(7/25) AAS
●1975年にタイの首相をやったククリット・プラモートという人がいる。
彼は現地の新聞「サイアム・ラット紙」の主幹をしていた1955年6月、
国賓待遇で現地を訪れた元駐タイ日本軍司令官・中村明人元陸軍中将に対して、次のように述べたという。
「日本のおかげでアジアの諸国はすべて独立した。
日本というお母さんは難産して母体をそこなったが、生まれた子供はすくすくと育っている。
今日、東南アジアの諸国民が米英と対等に話ができるのはいったい誰のおかげであるのか。
それは身を殺して仁をなした日本というお母さんがあったがためである。
12月8日は、我々にこの重大な思想を示してくれたお母さんが一身を賭して重大な決意をされた日である。
さらに8月15日は我々の大切なお母さんが病の床に伏した日である。我々はこの二つの日を忘れてはならない」
私たちは、多くのアジア諸国が大東亜戦争を肯定的に評価していることを認識しておく必要がある。
省3
775(1): 2021/06/06(日)00:56 ID:9p9E6A5K0(8/25) AAS
>>769
●インドではインパール作戦を「インパール戦争」と呼び、「対英独立戦争」として位置付けられているのだ。
そうなると日本軍はインド独立を支援した解放軍となり
したがってインド人は“日本が侵略戦争をした”などという歴史観をもっていない。
インド解放のためにイギリス軍と戦った日本軍将兵に対して、
インド国民軍全国在郷軍人会代表で元インド国民軍S・S・ヤダバ大尉は、1998年1月20日にこう記している。
《われわれインド国民軍将兵は、インドを解放するために共に戦った戦友として
インパール、コヒマの戦場に散華した日本帝国陸軍将兵に対してもっとも深甚なる敬意を表します。
インド国民は大義のために生命を捧げた勇敢な日本将兵に対する恩義を末代にいたるまで決して忘れません。
我々はこの勇士たちの霊を慰め、ご冥福をお祈り申し上げます》(靖国神社)
省6
780(1): 2021/06/06(日)00:58 ID:9p9E6A5K0(9/25) AAS
>>775
●インド最高裁弁護士のP・N・レキ氏は次のような言葉を残している。
《太陽の光がこの地上を照らすかぎり、月の光がこの大地を潤すかぎり、夜空に星が輝くかぎり、
インド国民は日本国民への恩は決して忘れない》
【司馬遼太郎が敬愛した台湾人・蔡焜燦
「誇り高い日本精神よ、再び」旭日双光章を受章した「愛日家」】(インタビュー)
●台湾の下水道施設は、内地(本土)よりも早く整備されたほどで、
蔓延していた伝染病は一掃されました。それほどまでに日本は台湾の発展を考えていた。
確かに日本が台湾で作ったインフラは、戦後の台湾の発展に大いに役立った。
だが、我々が最も喜ぶのは、ダムや橋や鉄道ではなく、正直さや勤勉さ、約束を守ることなどを大切にする教育です。
省8
786(1): 2021/06/06(日)01:00 ID:9p9E6A5K0(10/25) AAS
>>780
●ボルティメッツという原爆を落とした機長は、戦後世界中をまわって講演して歩いた。
バングラディッシュへ行ったときに、
原爆を落とし日本をやっつけたあんたの話なんか聞きたくないということで追い返されている。
イギリスに支配されていた彼らの心情がよく分かる出来事である。《チャンネル桜2012/2/7》
●日本の真南の太平洋上、約300の島から成るパラオ共和国は
1543年、スペインが発見して植民地とし、その後1899年にドイツが買収した。
第一次大戦時に、日本は日英同盟に基づき連合国側としてドイツに宣戦布告して参戦、南洋諸島を攻略・制圧した。
そして大戦の戦後処理をしたパリ講和会議によって
パラオを含む南洋諸島は日本の委任統治となり、1914年から1945年まで日本の施政下にあった。
省4
793(1): 2021/06/06(日)01:02 ID:9p9E6A5K0(11/25) AAS
>>786
この結果、パラオの人口は2万人から5万人に増え、同国に未曾有の経済的発展をもたらした。
こうした統治政策で、パラオは原初的な自給自足経済から市場経済へと変わり
財産所有権も氏族から個人の手に移り、近代社会の基盤ができたのだ。
400年におよぶ植民地化の歴史の中、たった30年間に過ぎない日本統治時代が一番良かったと、
今も現地の人たちが回顧するパラオ共和国は、世界一の親日国家だと言っても過言ではない。
もっともパラオのみならず、台湾、朝鮮半島、満州、南洋諸島と、
日本が戦前に統治したすべての地域において、このように「内地」の日本と同じ社会基盤を築くことに、
何と日本の国家予算の三分の一が贈与されている。
欧米列強による植民地政策、つまり「現地からの資源搾取」とは、その様相が全く逆だったわけだ。
省5
810(2): 2021/06/06(日)01:05 ID:9p9E6A5K0(12/25) AAS
>>793
終戦後、米国の信託統治が始まるが、彼らが最初にやったことは
日本がパラオに残したものをすべて破壊することだった。
畑は掘り返され、発電所を壊し、道路の舗装は剥がされ、校庭の二宮金次郎像は引きずり降ろされた。
毎朝、集まった村人たちが日本海軍岡田中将から
「美しいパラオを一日も早く自分たちの手で収めるようにせよ」との訓示を受けた、
想い出の場所である南洋神社も例外ではなかった。
米国は、徹底した反日教育を行った。
歴史の授業では米国製の教科書を使い、「日本人によるパラオ人虐殺事件」があった等と記載して広めようとしたが
パラオの年長者が「そんな事実は全くない」と完全否定したため、歪曲されたその情報がパラオで浸透することはなかった。
省5
812: 2021/06/06(日)01:08 ID:9p9E6A5K0(13/25) AAS
>>810
GHQによって焚書になった「星港攻略記」(筑紫二郎著 有恒社 昭和17年5月刊行)の中の、
いよいよシンガポール攻略という直前の話を読んでみる。(星港=シンガポール)
「私達にはいつも味方があつた。それは住民である。
ジョホール・バールからやつて來た避難民の住民たちが我先にと集つて來て手傳つてくれた。
彼等は一様に『早くシンガポールを陥(おと)してくれ』と云ふ。
人力もなかなか馬鹿にならない。二日經つとなんとか飛行機が降りられるやうになつた」
例えば占領した飛行場を直そうとすると、イギリス軍ならば機械を使ってやる作業なのだが
日本軍は機械を持たないから手でやらねばならなかった。
壊れている橋や道路も人力で直さなければならない。
省4
822: 2021/06/06(日)01:13 ID:9p9E6A5K0(14/25) AAS
●戦後、イギリスやオランダはアジアの植民地を奪還しようとした。
ところが、現地の人々は占領時に白人が日本軍にさんざんやっつけられたのを見ていたから
何するものぞという独立運動が高まった。 《諸君!2002/2月号》
●1942年、石油資源確保のために日本はインドネシアに進出した。
その時日本軍はわずか9日間でオランダ軍を掃討してしまった。(植民地からの解放) 《「歴史の本音」》
●日本の仏印進駐時、植民地軍(フランス軍)の一部は抵抗したが
少数の日本軍によってあっけなく撃破され降伏した。これを見たベトナム人は、弱い仏軍に呆れてしまった。
《「新戦争論「太平洋戦争」の真実」》
●1942年2月15日、日本軍はシンガポールを占領した。
白旗を掲げたパーシバル将軍以下のイギリス兵の惨めな姿を目の当たりに見た原住民は
省6
826(1): 2021/06/06(日)01:15 ID:9p9E6A5K0(15/25) AAS
●日本軍がオランダの植民地であるインドネシアを進攻、進駐してから
終戦までの三年半の間に日本軍は、次のような政策を実施したのである。
第一に、教育の普及である。
インドネシアを360年間にわたって支配してきたオランダは、
住民の大半を文盲のまま放置するという極端な愚民政策を採用した。
20世紀に入ってからは、インドネシア側の要望を受け入れ、
3年の初等教育を実施したが、学校に通うことができたのは全体の数%であった。
住民の大半が文盲では、独立しても自ら国家を運営するだけの人材を確保できない。
日本軍は独立させるためにも、まず教育の充実から始めないといけないと考えた。
学校を増やすためには教師が必要なため、まず師範学校を新設し、教師の育成から始めた。
省4
837(1): 2021/06/06(日)01:17 ID:9p9E6A5K0(16/25) AAS
>>826
インタビューをしたインドネシアの政治家たちが口を揃えて評価した点が
郷土防衛義勇軍(PETA)の結成など、インドネシアの青年に軍事訓練を施したことであった。
PETAで訓練を受け、独立後は内閣官房長官や副首相を歴任したアラムシャ将軍は
「日本軍の与えた良い点は、軍事に関する科学と技術や武器の使用方法を教えてくれたこと、
またアジアの人々に『ヨーロッパに負けないぞ』という敢闘精神を植え付けてくれたことです。
この二つから得たものは、勇気と自信でした」と断言する。
昭和20年8月15日、日本の降伏直後、インドネシアは独立を宣言するが
宗主国のオランダはこれを認めず、再植民地化をはかるべくインドネシアに軍事進攻してきた。
その結果、インドネシアは4年にわたってオランダ軍と独立戦争を戦ったが、その主力が、日本軍が育てたPETAだったのだ。
省2
840(1): 2021/06/06(日)01:18 ID:9p9E6A5K0(17/25) AAS
>>837
オランダ時代、政治集会は一切禁止だったが
日本軍は昭和20年、インドネシアの青年たちによる独立決起のための全国大会の開催を許可した。
かくしてオランダ時代に弾圧を受け、
インドネシア各地にあってバラバラであった民族運動のグループはスカルノ博士を中心にまとまりを見せ
昭和20年5月には、全地域の代表を集めた「独立準備調査会」が結成され
日本軍からインドネシア人への行政移管が始まった。
日本軍の敗北後、インドネシアに再侵略したオランダ軍は
インドネシア人が武器を持って組織的に抵抗してくるとは思っていなかった。
果敢に抵抗するインドネシアを見てオランダ軍は
省1
850: 2021/06/06(日)01:22 ID:9p9E6A5K0(18/25) AAS
>>840
インドネシアに対するほど本格的ではないにせよ
日本軍は、フィリピン、ビルマ(ミャンマー)、マレーシア、カンボジア、ベトナム、ラオスなど
日本軍が進駐した地域において独立運動の指導者を支援・養成するなど、独立への準備を行っていた。
英米連合国側も、日本軍の協力を得て独立を宣言したアジア各国を「傀儡政権」だと非難したものの
植民地支配から脱して「独立国家」となったという現実は無視できなかった。
日本やドイツ、イタリアなどによって正式な国家承認を得た「独立国家」を
再び植民地の地位に引き戻すことを正当化する国際法は当時も今も存在していなかったからである。 《正論2013/12月号》
●オランダの植民地時代、インドネシア人の大半は学校に通えず、まともな教育を受けられず、単純労働に従事するほかなかった。
19世紀には、過酷な搾取のため餓死者が続出し、平均寿命は35歳にまで低下したと言われる。
省4
873(1): 2021/06/06(日)01:28 ID:9p9E6A5K0(19/25) AAS
>>1
『ロシアの国家としての個性』 北海道あ氏
北方領土の件では、日本の主張には、やましい事など何もなく、正義も大義も、歴史的根拠も我が国の方にのみあります。
逆にロシアには、我が国の北方領土を領有するにあたって
なんの正義も大義も歴史的根拠もなく、どんなに言葉をならべようとも屁理屈でしかなく、違法なる蛮行でしかありません。
そもそもロシアの主張内容以前に、ロシアが実際におこなっている強盗行為こそが良いはずがありません。
ロシアは「事実を歪曲し、虚偽を捏造」しています。
他国の領土を不法に軍事占拠するのが、認められない事であるのはロシアも知っています。
省7
878(1): 2021/06/06(日)01:31 ID:9p9E6A5K0(20/25) AAS
>>873
確かに、米国は自国の利益を達成させるために、いきなり陸軍一個師団を派兵して
他国の実力者を拘束したり、相手国の指導者の自宅を空爆したりと、
ちからで己の意思を相手国にごり押ししてきましたので、恐れるのも理解できなくはありませんが
それにしても、度が過ぎた恐れようです
起こってもいない事を、相手と話しもせずに自国が攻められると妄想し、強迫観念に駆られるというのは不思議な事です。
特に、ロシアのような軍事強国で、何もそこまでビビらなくてもよいのにと思います。
ロシアは周辺国から見ますと
「余裕が無く、偏狭的な、腕力をいきなり振るって来そうな存在」
「ヒステリックな上に陰湿で何を考えているのか。怖いと言うよりも気持ち悪い」
省1
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