[過去ログ] 【山梨】家族ら30人でキャンプ、行方不明の7歳女児 捜索続くも見つからず…待ち続ける家族「体力はかなりある。諦めません」★2 (1002レス)
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(1): 名無しさん@1周年 2019/09/24(火)18:31 ID:4XeiUkjt0(1/12) AAS
体力はある、ってさすがに山ん中3日はと思ったが
チョコバナナ30個は草
226: 名無しさん@1周年 2019/09/24(火)18:34 ID:4XeiUkjt0(2/12) AAS
>>195
子供20人近くいたんならそのくらい持ってきてるかと
しかも3日分でしょ
267: 名無しさん@1周年 2019/09/24(火)18:36 ID:4XeiUkjt0(3/12) AAS
>>260
トイレに不審者がいたとか
361: 名無しさん@1周年 2019/09/24(火)18:41 ID:4XeiUkjt0(4/12) AAS
>>286
詳しく

道志村の隠語?
492
(2): 名無しさん@1周年 2019/09/24(火)18:46 ID:4XeiUkjt0(5/12) AAS
道志村にまつわる逸話

外部リンク[html]:www2.ttcn.ne.jp

神隠し

川原畑の東の息子がある日突然姿を消してしまった。村では鐘太鼓を打ち鳴らし息子の名前を連呼しながら探し回ったが見つけだすことができずに何日かが過ぎた。
ある日、その息子が気抜けしたように菜畑山頂に座っているところを発見された。家人は歓び「ともかくどこへ行っていたのか」と問いつめると、「背が高く鼻の鋭い人が呑龍さまへ連れて行った。」と、参詣の模様を事細かに語るのだった。
しかし、この背の高い男は再び現れて、頭を剃らねば今度は讃岐の金比羅様へ連れて行くのだと云ったと話した。家人は驚いて早速息子の頭を坊主頭に剃り落としたら、その後何事もなく過ぎていった。

 又、川原畑の金次郎という人が、蓑笠姿で雨の中を出かけたまま行方不明になった。
二日目に谷村で村民が見つけたが、何でも川を一またぎに渡ったら、大男から目をつむれといわれたが、その後はどこをどう歩いたかさっぱり判らぬと答えたまま、宙を歩くような気持ちで家まで連れ帰られた。
615: 名無しさん@1周年 2019/09/24(火)18:54 ID:4XeiUkjt0(6/12) AAS
道志の谷に語り告がれてきた、怪談。全国にもその地に密着したこの手の話は数々ありますが、道志谷にもこの地ならではの話が残っています。

巌道峠

道志村の久保から秋山村の安寺沢に山越えをする峠を巌道峠と呼ぶ。
古くは甲州街道に続く最短路として村人の利用者も多「巌道峠」の名前の由来になるもの。
先にも話したが、巌道峠は生糸や木炭を市場に運ぶための重要な役割を果たしていた。
そうして得たお金で生活していたのである。
そうなると、市場に行った帰りには懐にはお金がしまわれていることになり、当然と言うべきか、これをねらった夜盗が出没することになる。
伊藤堅吉氏著「道志七里」によると、「明治の28年か29年の頃川原畑の市蔵という行商人が上野原へ絹糸を売りに行く途中峠で何者かに惨殺され、自殺を装って栗の木につるされた事があり、一時「強盗峠」の名で天下に紹介された。」とある。
そして、大正7年頃久保小学校の小沢という先生が、「強盗峠などという不名誉な名前を後に残してはいけない」と、「巌道峠」と呼びその後この名前で広く呼ばれるようになったと言います。
643: 名無しさん@1周年 2019/09/24(火)18:55 ID:4XeiUkjt0(7/12) AAS
かんちき

小椿の百六歳になるおかめ婆さんが10歳になる娘を連れてワラビ採りに出かけた。
大川に降りて丸木橋を渡ろうとすると、娘はしきりに川向かいに小さな子がいると訴えた。しかしおかめ婆さんにはそれらしい姿が少しも見えなかった。
娘が橋の半ばまで来るとその子はとたんに見えなくなり、娘は丸木橋から転落し流れに飲まれてしまった。おかめ婆さんは慌てふためき、激流に飛び込むと下砂原まで流されながら娘を捜し回ったが、娘は腹を空っぽにされた骸になって浮かび上がった。
かんちきはこの頃、秤石淵という大淵の底にすんでいて、人間の尻ごう玉(肛門)から手を入れ、内蔵を引きずり出して食べていた。秤石淵は大正期の大荒れで破壊されてしまい小淵になってしまった。
705
(2): 名無しさん@1周年 2019/09/24(火)18:59 ID:4XeiUkjt0(8/12) AAS
川天狗

小善地から道志川に急降下するところにクソマタ淵という川水が淀む淵がある。この少し下手に栃ノ木沢が小滝となって南面の断崖に美しい景観を作り上げている。
今から80年ほど前、直径3メートルくらいの栃ノ木が滝際にあって一段と美しい風景をなしていた。
この栃ノ木は以前は3本が隣立する立木であったが、いつしか1本に混成されてしまったの口碑されていた。
この栃ノ木も東京の材木屋に売られてしまったが、製材した材木屋は幹の中に木質を3つに分ける、樹皮が深く入っていて里人の昔話を実証した。

 この話は栃ノ木がまだ繁茂していた時代の話し。道志川に溺死体が浮かぶとき栃ノ木から蒼い火の玉が飛び出した。狩人がこれに筒先を向けたことがあったが、火の玉はすぐさま木の中に帰っていた。
ある時、クソマタ淵で子供が釣り糸をたれていた。すると誰かが大声で「子供!子供!」と呼ぶ。子供はおそるおそる声のする栃ノ木の方向を見ると、そこには黒い坊主が立ちはだかっていた。
 怪異はそれだけではなく、
 魚労の男が夜釣りにさいを歩くと磧を歩くと「ざぶり・ざぶり」と網を打つ音が聞こえてきた。この網音を聞くといつでも全く魚が捕れなくなった。
 的場向こうで樵が休んでいた。急に眠気を覚えうとうとして、ふと気がつくと蜘蛛の糸が足先と傍のうつぎの木に絡みつき、次第に糸が太くなってきた。
省4
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(1): 名無しさん@1周年 2019/09/24(火)19:01 ID:4XeiUkjt0(9/12) AAS
小豆研ぎ

道志川の野原と久保の境あたりに、魔口と呼ばれる小沢が道志川北面より流れ落ちている。この魔口に「小豆研ぎ」という怪奇現象がよくおきた。丁度小豆を水で研ぐような音が聞こえた。
この音を聞いた者は、背筋に冷たい悪寒を感じ、顔面蒼白となり逃げ帰るのだった。その正体はわからないが、白い着物を着た女性だという人もいたという。
781: 名無しさん@1周年 2019/09/24(火)19:02 ID:4XeiUkjt0(10/12) AAS
蛇窪

道志村と秋山村とを結ぶ巌道峠続きの山稜を西に行ったところに、東西五間ばかりの蛇窪と呼ばれる窪地がある。
昔、大羽根の河平と呼ばれる地に棲んでいた大蛇が、この蛇窪へ移り棲むようになった。
大蛇は窪地の東端にある岩を枕に蟠り村人の恐怖の的とされていた。
ある時、又々この大蛇が棲み家を変えようと「道志へ下ろうか秋山へ降りようか」思案中であると久保の組長の夢枕にたった。
久保組の村民は驚いた!こんな怪物に降りてこられたら一大事である。
早速黒金の杭を用意して、大蛇が降りられないように山腹へ柵を作ってしまった。それでもこの大蛇は道志を慕ってか一向に秋山へ這い出す気配を見せなかった。
この頃蛇窪下に水源のある御堂沢に阿弥陀様が居られて、村民の苦難を助けようと五体に汗をかいて念じ込まれた。さすがの大蛇も仏の威光には勝てずついに秋山に向かって下っていった。
この時秋山川の磧には齢19になる少女が洗濯をしていたが、その黒髪のフサフサと踵まで垂れ下がる色白の少女を見ると、大蛇はたちまち娘を攫って秋山川へ躍り込んだ。
このために川瀬は大洪水となり、全てを押し流し静まるのを待つより他はなかった。
省1
837
(1): 名無しさん@1周年 2019/09/24(火)19:05 ID:4XeiUkjt0(11/12) AAS
道志村地名のルーツ

道志村の地名については、

*関東から富士山への一番への近道であるので、道づくりの始めとして「道始」の名となった。
*渓谷に通ずる四つの古道があり、「道四」の名を成した。
*道路が拓かれない時代に、交通の主体は沢沿いに歩いたので、「沢通し」の名が残った。
*この地に道学者が多く来遊したので、「道志」と名付けた。

平安時代、都の風紀が乱れ強盗・乱闘・殺害・強姦などが横行した。これを粛正するべく配置されたのが検非違使で、現在の警察官に等しい存在だった。
後に時代が下がるにつれ権力が増大してゆき、後には警察官と裁判官とを兼ねた強力な権限が与えられた。
道志村には、『大志』が配属されたと推測されます。
大志は尉とともに府生・看督長・放免を指揮して追補・捜査・審理・量刑に当たることを任務としていた。原則的に明法家が任じられこれを「道志〔みちのさかん〕」と呼びました。
省1
990: 名無しさん@1周年 2019/09/24(火)19:13 ID:4XeiUkjt0(12/12) AAS
光淵

道志村と秋山村をつなぐ巌道峠の奥に御堂があって、金の阿弥陀如来象が安置されていた。
ある時一人の乞食が如来像を盗もうと如来像を背負って逃げ出した。罰はすぐに下って乞食は糞壺に落ちてしまった。
それでも乞食はめげずに大羽根の急坂まで来た時だった。ここは道志川を遙か足下に見下ろす断崖の上である。乞食は急に身体の自由を失い道志川の深淵に落ち流されてしまった。
川底に残された阿弥陀如来像は何とか外に出たいと光を放ち村人に訴えたが、これを見た村人は乞食の幽霊が出たと恐がり何時しか七日の日が過ぎてしまった。
八日目道志川は豪雨に見舞われ大荒れとなった。
このとき、阿弥陀様も津久井の村まで流されてしまったが、この村では悪疫が流行し村人は苦しんだ。
ある日村人の夢枕に川底に如来様がおられて道志の久保に帰りたいとお告げがあった。
村民は川浚いをし金の阿弥陀様を外に出すと、悪疫も収めることができた。この地は字道志と呼ばれ、道志村を奧道志と呼びこの地を下道志と呼ぶのはこの伝説から来ているという。
一方乞食が転落した大羽根でも大室指の人転んで怪我をすることがあり、易者に見てもらった所乞食の祟りとわかり、施餓鬼を行い霊を慰めた。この地のあるお宅には乞食の位牌が祀られている。
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