[過去ログ] 【社会】靖国神社の徳川宮司が退任意向 明治維新巡る歴史認識で波紋...定年前の退任は異例★2 (994レス)
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788(1): 名無しさん@1周年 2018/01/29(月)07:48 ID:ziFpqxWg0(1/72) AAS
>>787
違うな。
陛下はA級合祀が陛下ご自身のお気持ちと違ったけどらご親拝をやめられた。
789: 名無しさん@1周年 2018/01/29(月)07:48 ID:ziFpqxWg0(2/72) AAS
>>787
違うな。
陛下はA級合祀が陛下ご自身のお気持ちと違ったからご親拝をやめられた。
796: 名無しさん@1周年 2018/01/29(月)08:25 ID:ziFpqxWg0(3/72) AAS
>>790
>>791
国の方針として吉田松陰と弟子たちのプランの通りだっただけ。
いま急いで軍備を固め、軍艦や大砲をほぼ備えたならば、蝦夷の地を開墾して諸大名を封じ、隙に乗じてはカムチャッカ、オホーツクを奪い取り、
琉球をも諭して内地の諸侯同様に参勤させ、会同させなければならない。
また、朝鮮をうながして昔同様貢納させ、北は満州の地を割き取り、南は台湾・ルソンの諸島をわが手に収め、漸次進取の勢いを示すべきである。
しかる後に、民を愛し士を養い、辺境の守りを十分固めれば、よく国を保持するといいうるのである。そうでなくて、諸外国競合の中に坐し、なんらなすところなければ、やがていくばくもなく国は衰亡していくだろう。」(中公クラッシック「吉田松陰」より抜粋)
799: 名無しさん@1周年 2018/01/29(月)08:40 ID:ziFpqxWg0(4/72) AAS
>>798
日本事物誌は明治初期までしか記述はない。
800: 名無しさん@1周年 2018/01/29(月)08:49 ID:ziFpqxWg0(5/72) AAS
>>790
満州は政治も経済も長州岸一族の支配下にあった。長州の野望だった満州のため日本は開戦し敗戦した。
特に鮎川義介・岸信介・松岡洋右の3人は満州三角同盟とも呼ばれ東條内閣を倒閣するなど、最終的には力があった。
3人共山口県周防地方の生まれ・
育ちであり、鮎川義介・岸信介・松岡洋右の間には姻戚関係もある。
松岡の妹の夫は、岸の母方の叔父である。岸の実弟である佐藤栄作は、叔父夫妻の長女で松岡の姪の寛子と結婚して婿養子となっている。
のちのことになるが、岸の長男の妻は、日産の鮎川の従兄の娘である。
東條は満州三角同盟が使った表向き用のコマでしかなかった。
801(1): 名無しさん@1周年 2018/01/29(月)08:50 ID:ziFpqxWg0(6/72) AAS
>>790
岸自身が自白してるw
統制経済 岸信介の選択
「満州は私の作品」と語った革新官僚の目指したものとは
外部リンク:gekkan.bunshun.jp
802(1): 名無しさん@1周年 2018/01/29(月)08:51 ID:ziFpqxWg0(7/72) AAS
>>792
対米開戦を誘導した海軍は軍令部が実質的に作戦立案したんだが、開戦時は薩長ばかり。
対ソ戦しか考えてなかった旧幕府軍子孫が多い陸軍は海軍に騙されて孤島にばら撒かれ、最後は責任おしつけられただけ。
「慨然たらざるをえない対米英戦争直前の陣容をみると
軍令部総長の永野修身(おさみ)の高知をはじめ、
沢本 頼雄(海軍次官)、
岡敬純(軍務局長)、
中原義正(人事課長)、
石川信吾(軍務第二課長)、
藤 井茂(軍務第二課員)、が山口県出身、
省10
804: 名無しさん@1周年 2018/01/29(月)08:58 ID:ziFpqxWg0(8/72) AAS
>>803
連合国のは陛下を戦犯指定をしなかったよ。
805: 名無しさん@1周年 2018/01/29(月)08:58 ID:ziFpqxWg0(9/72) AAS
>>803
連合国は陛下を戦犯指定をしなかったよ。
807: 名無しさん@1周年 2018/01/29(月)09:07 ID:ziFpqxWg0(10/72) AAS
>>806
おまえ連合国のなにかなの?
809: 名無しさん@1周年 2018/01/29(月)09:47 ID:ziFpqxWg0(11/72) AAS
>>808
それは違う。
薩摩の帰化人東郷が終戦引き伸ばしや軍の抵抗を押さえたのは陛下のご聖断あってのこと。
東郷は本土決戦で日本人全滅を狙っていたようだ。
810(1): 名無しさん@1周年 2018/01/29(月)09:48 ID:ziFpqxWg0(12/72) AAS
>>808
・東郷重徳は、小磯国昭内閣で重光葵外相が進めたスウェーデンを仲介者とする和平工作を打ち切ち切った。
・仮想敵国で対日参戦を伺っているソ連を和平仲介に選び、ポツダム宣言発表後もソ連仲介の和平に固執し続けた。
・東郷重徳は、ポツダム宣言は拒絶せず少なくともソ連から返事が来るまで回答を延ばすように待つという意見を述べ、それが採用された。その結果、ポツダム宣言の対応が遅れ、2発の原爆投下とソ連の対日参戦を招いた。
・東郷重徳の双子の孫の東郷和彦は、外務省に入り、慰安婦問題を担当し条約局長までなった。2001年、在オランダ日本国全権大使になり、2009年オランダ、ライデン大学で博士号取得。
2007年にはオランダ下院慰安婦問題謝罪要求決議が決議された。現在では大学教授となり、「慰安婦問題解決の第一歩は政府予算による償い金」という主張をしている。
省2
812(1): 名無しさん@1周年 2018/01/29(月)10:26 ID:ziFpqxWg0(13/72) AAS
>>811
海軍はいろいろおかしい。
海軍 甲事件、
海軍 乙事件で検索してみろ。
816: 名無しさん@1周年 2018/01/29(月)10:36 ID:ziFpqxWg0(14/72) AAS
>>814
東郷についてはフェイクなんだよ。
まず、開戦に誘導してる。
帰化人東郷のサボタージュにより開戦になった。
「ルーズベルト親電」伝達遅れ、GHQ徹底調査
ルーズベルト元米大統領
終戦後、極東国際軍事裁判(東京裁判)のため、連合国軍総司令部(GHQ)に設置された国際検察局が、
昭和16(1941)年の日米開戦直前にルーズベルト米大統領から昭和天皇に宛てた親電の伝達が遅れた経緯を詳しく調査していたことが、
7日公開の外交文書で明らかになった。
外務省職員らへの事情聴取は開戦当時の東郷茂徳外相が親電伝達を意図的に遅らせたとして「同大臣の開戦責任に関する証拠固めを目的とするもの」としている。
省6
818: 名無しさん@1周年 2018/01/29(月)10:37 ID:ziFpqxWg0(15/72) AAS
>>814
吉田茂「思出す侭(まま)」というエッセイ(中公文庫の吉田著『日本を決定した百年』に所収)で、吉田は「ハル・ノート」について次のように述懐している。
国務長官ハルの名前で日本に送られた十一月二十六日付のこの通牒は、最も激しい調子で日本を非難したもの、到底受諾し難い条件を強要したものとして当時伝えられ、
事実上の最後通牒であるとして取り扱われたことは、多くの人々の記憶するところであろう。
だが私はこの機会において、ぜひ国民諸君の注意を呼び起こしたいことがある。これはこの「ハル・ノート」の本当の意味が果して最後通牒であったかどうかという点に関する私の疑問についてである。
確か十一月二十七日であったかと思うが、東郷外相の代理として現参議院議員の佐藤尚武氏が平河町の私の家を訪ねて来た。佐藤氏は当時外務省顧問という役目だったと記憶する。
佐藤氏は一通の英文の文書を示し、これはアメリカから来たものだが、重大なものだと思われるので、お前から牧野に見せてくれという意味の外相の口上を伝えた。
それがいわゆる「ハル・ノート」であった。内容は日本の主張部分と、それに対するアメリカの主張部分とを詳しく書き(このアメリカ側の主張だけが当時公表された)
特に左の上の方にテンタティヴ(試案)と明記し、また「ペイシス・オブ・ネゴシエーション(交渉の基礎)であり、ディフィニティヴ(決定的)なものではない」と記されていた。
実際の腹の中はともかく外交文書の上では決して最後通牒ではなかったはずである。(p.186-187)
省5
820(1): 名無しさん@1周年 2018/01/29(月)10:44 ID:ziFpqxWg0(16/72) AAS
>>819
東郷はだらだらソ連と交渉してポツダム宣言受諾を先延ばしにしてたんだよ。
東郷はその著書の中で
『この時ソ連政府当局が日本に対し、すでに開戦の決意を為して、佐藤大使との会見および近衛公の入国を肯じなかったとまでは、想像し得なかったのは、甚だ迂澗の次第であった』(「時代の一面」三三四章」)と述懐している。
822: 名無しさん@1周年 2018/01/29(月)10:50 ID:ziFpqxWg0(17/72) AAS
>>821
招魂は大陸北部と半島の巫術。
832: 名無しさん@1周年 2018/01/29(月)11:09 ID:ziFpqxWg0(18/72) AAS
>>826
大陸東北部には招魂したら送魂がセット。
長州は送魂は導入せず。
834: 名無しさん@1周年 2018/01/29(月)11:13 ID:ziFpqxWg0(19/72) AAS
>>828
>>829
靖国の儀式はテキトーだから。
ロンドン大学日本宗教研究センタ所長
ジョン ブリーンの靖国の解説は分かりやすい。
靖国が宗教というより適当な儀式をやっているだけの新興宗教ということがよくわかる。
ここで、霊璽奉安祭と秋季例大祭にちょっと話を戻しますが、
それらの神学的意義について、靖国の神職の友人に何度か尋ねたことがあります。
これはキリスト教圏で生まれ育った私ですから、こういう疑問が湧くこと自体仕方ないんですが、「霊璽奉安祭の場合は、相殿(あいどの)にずっと宿っていた御霊と、内々殿に移行したその御霊とどう違うのか?」とか、
「英霊が存在するあの世とこの世とがどう結びつくのか?」とか、
それから、「靖国の祭神と古事記・日本書紀に出てくる神々との関係はどうか?」とか、
省5
837(1): 名無しさん@1周年 2018/01/29(月)11:22 ID:ziFpqxWg0(20/72) AAS
>>835
>>836
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