[過去ログ] 【速報】評論家の西部邁氏(78)が死去。多摩川で入水自殺か。 (1002レス)
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198(1): (中国地方) [DE] 2018/01/21(日)16:25 ID:pRPTm45y0(1/8) AAS
日本のアービング・クリストル(ネオ保守主義の総裁)だった人だな。
西部の不幸というのは結局、日本の”ネオコン”には活躍すべき現実がなかったことだろう。
本場アメリカのネオコンには活躍すべき現実政治の場があった。
それはアメリカが大国政治のプレイヤーであり、ネオコンは官僚になったりシンクタンクでそれに関われた。
西部にはそれはなかった。
日本は国際政治の主要プレイヤーでなく、思想家が「世界政策」を考えても中二の妄想と変わりがなかった。
だんだんとそれに気が付いていったのだろう。晩年はそういう日本に対する呪詛の言葉に満ちていた。
クリストルの息子やジョージ・ウィルと西部にそんなに実力差があるわけではなかった。
『コメンタリー』は神のような高級政治紙で、『表現者』はゴミカスの落書き、というほどの差ではなかった。
これは生まれた国の差。アメリカと日本の差なのである。
297: (中国地方) [DE] 2018/01/21(日)16:46 ID:pRPTm45y0(2/8) AAS
この人の本では『六〇年安保―センチメンタル・ジャーニー』が抜群に面白い。
終生、反アメリカを貫いた人だが間違いなくアメリカ知識人から影響を受けている。
アメリカの知識人が1940年代に体験したことが日本の1960年代にそっくり引き写しになっている。
ニュー・レフトがネオ・コンサバティーヴに転じていく様がよくわかる。
西部はのちに西ヨーロッパ(イギリスやスペイン)の思想家をやたら引用するようになったが
それは読者をけむに巻いている感じだった。
456(3): (中国地方) [DE] 2018/01/21(日)17:11 ID:pRPTm45y0(3/8) AAS
マネタリストの総帥・ミルトン・フリードマンの論文を本邦初訳したのは西部。
これは経済学者の田中秀臣が現物持参で語っていたな。
いわゆる「新自由主義」を日本に最初に紹介した研究者だったわけだ。
ネオ・リベラリズムに開眼したのも日本で一番早く
ネオ・コンサバティブに転身したのも日本で一番速かった。
これでアメリカ思想マニアでなくてどう呼べばよいのかと。
549(1): (中国地方) [DE] 2018/01/21(日)17:29 ID:pRPTm45y0(4/8) AAS
>>473
シャドー・キャビネットの中に、シンクタンクや高級政治誌や国務省の役人までを含むなら
西部がアメリカに生まれていればその中へ入れたかもしれない。
「ソ連が北海道に侵攻していたら自分は自治州の頭目になれた」と言う位自惚れが強いのだから
頭の良さには自信があっただろう。
日系人のフランシス・フクヤマは哲学をやってから国務省政策企画室スタッフになって現実の世界を動かした。
フクヤマを引き上げてくれたのは大学の同窓生のネオコン、ポール・ウォルフォウィッツだった。
西部はソ連社会主義共和国連邦の北海道自治州の書記長にもなれず
思想・言論で世界を動かす政策に関与することもできず
思想を研鑽してもまったく意味のない、世界のノン・プレイヤー日本の中で空想するしかできなかった。
省1
580(1): (中国地方) [DE] 2018/01/21(日)17:37 ID:pRPTm45y0(5/8) AAS
>>556
ええええええw
むかしは「日本には小沢一郎がいる!(キリッ)」
って言ってた人だぜこの人は。
637: (中国地方) [DE] 2018/01/21(日)17:52 ID:pRPTm45y0(6/8) AAS
>>522
中国、コリア、マイノリティなどの行状や利権構造についてはひとことも文句を言ったことがない人だった。
全米の模範たるリベラル市民という感じだったなw その点では。
これは西部が思想系の議論を好むから・・・というだけでは説明がつかない。
アメリカの事になるとネガティブコメントがとめどなくあふれ出てくる人だったからだ。
(といってもそのネタとしては「いつの時代のアメリカだよw」というような古典からの引用ばかりだったが)
元文部官僚の寺脇ともとても気が合う人だった。
ようするに西部はアメリカの基準から言っても「模範的なリベラル」といえる言論人だった。
ジャップ発言を除けば(アメリカでジャップ発言すればレイシスト確定)じつに安全なお行儀のよいリベラル。
「どこが保守なのか?」と思うかもしれないが、これはネオ・コンサバティブの特徴でもある。
726: (中国地方) [DE] 2018/01/21(日)18:08 ID:pRPTm45y0(7/8) AAS
伝統といいながら日本的な伝統について知識がなさ過ぎた。
西洋の古典のほうが強く、日本の古典の話題になると西洋古典へ話をもって行きたがった。
そこらへんはまさに虚無そのものといえた。
伝統といいながら、具体的な伝統には興味が持てないのだ。
西部が最後によりどころにしたのはWW2での特攻隊の精神だったが
特攻隊がいいか悪いかは別として、それは現代史に属するものであり、伝統と関係あるのか不明だった。
特攻隊を賛美してもよいが「伝統」から真っ先に発想する形がそれというのは突飛だ。
つまり西部の議論は入り口と出口がかけ離れていて、出口ではニヒリスティックな感じになるのが常だった。
ニヒリズムを飼いならすどころかニヒリズムに終始苦しんだ人生だったと言える。
だからこういおう。
省1
801: (中国地方) [DE] 2018/01/21(日)18:24 ID:pRPTm45y0(8/8) AAS
>>739
世界を見回すと「真正」の保守というのは
自分の育った文化が、いつの間にか否定されてるのに危機感をもって告発するところから出発する。
『ナショナル・レビュー』のウィリアム・バックリーJrとか
日本でいうと渡部昇一先生がそれにあたる。
バックリーJrは名門イェール大学に入ったら学生も「教師も」マルクス主義者ばかりなのに怒って本を書いた。
渡部先生は苦学して外国に留学して帰ってきたら日本の大学がまっかっかになっていて、怒りの言論活動を開始。
両人ともローマ・カトリックというのはご愛敬だがw
西部のように苦しんで、第4インターの革命家から転向して転向して東大教授から世を疎む孤高の思想家へと
苦労して保守派になった人、それを人は「ネオ保守派」と呼ぶ。
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