将棋界のちょっとダークな歴史を語るスレ (856レス)
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1: 2022/03/02(水)18:00 AAS
藤井聡太竜王(王位・叡王・王将・棋聖)の大活躍で、かつてないほどの華やかな
話題に包まれている将棋界。
今でこそ幸せ一杯の業界ですが、一時は斜陽になりかけていた時代も確かに存在
しました(-ω-)/
2: 2022/03/02(水)18:46 AAS
板谷四郎九段の次男である板谷進は親子でA級棋士にまで昇りつめた。
昭和15年生まれ。
プロ目前まで来た時、1週間失踪して捜索願いが出された。自殺を考えたそうである。
山奥の川に入り、足まで浸かった時に急に怖くなり「生きたい」と思い直したらしい。
この板谷進の弟子が杉本昌隆で、さらにその弟子が藤井聡太になる。
ここで板谷進が自殺してしまっていたら、杉本昌隆の師匠は別人だった。藤井聡太は
影響なく大成したとは思う。
3
(1): 2022/03/03(木)07:56 AAS
大内延介九段の右ストレートが空港職員の顔面にヒット!
4: 2022/03/03(木)10:06 AAS
鳥取砂丘を全裸で徘徊する米長邦雄永世棋聖
5: 2022/03/03(木)20:46 AAS
桐谷広人 

婚約者を師匠に取られて、株主優待にのめり込む日々となった。
6: 2022/03/04(金)02:03 AAS
桐谷さんの師匠は米長邦雄ではなく、升田幸三ですよ。
7: 2022/03/04(金)02:39 AAS
升田幸三の弟子だが米長邦雄に傾倒して「もう一人の師匠」と言っても過言ではない時期も確かにあった。
「好きだったからこそ余計に憎しみが湧いてきた」という感じがある。
8: 2022/03/04(金)20:32 AAS
>>3
大内九段はサウスポーだと思う(-_-;)
9: 2022/03/05(土)01:17 AAS
「名人なんてゴミみたいなもんだ」
「名人がゴミならキミはなんだ」
「さよう、ゴミにたかるハエでしょうか」
10: 2022/03/05(土)08:58 AAS
(昭和53年の名人戦第1局・仙台にて)
大山「剃っちゃったの?」
森「ええ」
花村「私に断りなしに剃っちゃいけない」
大山「坊主頭が3人になっちゃった」
一同「・・・・・・・・・」
大山「髪の毛がある人は、いろいろな髪型に出来ていいんですよ」
一同「・・・・・・・・・」
大山「我々には、それが出来ない!」
11: 2022/03/05(土)11:14 AAS
「東海の鬼」花村元司も味わい深い棋士だった。
60歳でA級返り咲きを達成。
きょうびは羽生クラスでもB1に降級してしまうご時世で「還暦A級」は
加藤一二三以来出ていない。佐藤康光がA級を維持しているが、将棋界を
席巻した羽生世代が60になった時、何人A級にいられるか。興味がある。
そのころの名人は藤井聡太(竜王も)だと思う。
12: 2022/03/06(日)09:37 AAS
佐藤康光は会長として恐ろしく有能。
まさかこんなに仕事が出来る男とは思わなんだ。それでいて独裁者タイプでない。十分過ぎるほど頑張っているから、掛ける言葉は
「気楽にのんびり行こうぜ」としたい。
13: 2022/03/06(日)12:40 AAS
二上達也は会長としてはわずかに大山康晴の在任期間を上回ったようだ。
現役時代、大山康晴に散々コンプレックスを植え付けられ、軽く見られていたようだが、最後は退陣に追い込まれた15世名人と異なり、決して独裁者にはならず、
大内延介との2頭政治を前面に押し出し、無害キャラが幸いして会長としては、
ちょっぴり大山康晴に勝った。
「人徳のガミさん」の勝利である。一度でいいから名人になって欲しかった・・・
14: 2022/03/06(日)15:04 AAS
大山康晴vs藤井聡太

一度は見てみたい幻の対決だが、大山康晴が得意の盤外戦術で嫌がらせをしても
藤井くんは気が付かないのではないのだろうか。
15: 2022/03/06(日)18:54 AAS
「兄貴はアタマが悪いから東大に行った」は米長邦雄の発言とされているが実際は
芹沢博文による創作であるらしい。
いかにも米長邦雄が言いそうなセリフなので、長期間だまされた。
四男・邦雄よりも6歳年長の長兄・泰さんは「アタマが悪くなければ、アレの兄は
務まりません」とコメントした。
さすがは年の功、兄貴の貫録。泰さんは1953年に山梨県名人戦で優勝。
全日本アマ名人戦に16歳で山梨県代表で出場している。
米長家は5人兄弟。邦雄は兄3人妹一人のきょうだい構成。
16: 2022/03/07(月)05:56 AAS
加藤一二三の師匠は以前は南口繁一だったが、還暦になった頃、
師匠を剱持松二に変えた。
剱持氏は1934年の3月生まれで、1940年1月1日生まれの加藤一二三とは
6つしか違わない。さらに言えばプロ棋士になった順番は加藤一二三の
ほうが早い。本当ならば成立しない師弟関係である。
剱持門下になりたいというよりも南口門下でありたくない、が本音で、
南口繁一の悪口の類いは一切言っていないが、何か恨むような感情が
加藤一二三にあったのではないかと思われる。
将棋世界誌では「妻と私の長年の願いだった」みたいに書かれていたから
高校時代の同級生である加藤一二三夫人も南口九段のことを快く思って
省1
17: 2022/03/07(月)14:58 AAS
伊藤果は加藤一二三よりも先に師匠を変えている。
「どうしても人間的に尊敬出来なかった」
所属を関西から関東に。師匠を南口繁一から高柳敏夫に変更。
18: 2022/03/07(月)15:31 AAS
伊藤果・・・・・・なんて読むんですか? と聞かれて「いとう・はてな」ですよ、ととぼけて応えていたという、いとう・はたす。詰将棋の名手。
19: 2022/03/08(火)07:21 AAS
南口繁一は芹沢博文にビンタを食らわしたこともある。芹沢博文の師匠・高柳敏夫が仲裁役に立ってなんとか和解したようだ。
20: 2022/03/08(火)09:16 AAS
高柳敏夫は人格者に間違いない。最初の頃は血気盛んで、口の利き方の悪い弟子の芹沢博文に腹を立て、ナイフを投げつけて「お前はどうして師匠のナイフをよけるのか!」
と怒鳴りつけたそうである。これは90年代の将棋世界誌で、本人が「投げたのは、菜っ葉包丁で、当然芹沢に当てるようには投げ付けていない」とコメントしていたが。
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