国立アイヌ民族博物館ウポポイ(民族共生象徴空間) (697レス)
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63: [] 2021/02/12(金) 16:46:45.43 ID:xlUVxm5D0 東北の基層言語っていうのはやっぱり一番あり得るものとしてはアイヌ語ですよね。考古学で言う擦文文化はアイヌだが、それ以前になるとそこにいたとは限らない可能性はないものでしょうか。オホーツク文化の担い手はニヴフ人だという説もあるみたいで、日本列島にもニヴフ人がもしかしたら居て、縄文語の候補の一つだったかもしれないとか。 ニヴフ語には大陸方言とサハリンの方言があるんですけど、サハリンの内部の方が方言分岐が激しいんですね。だからニヴフ語の故地はサハリンの方だったという可能性の方が考えられます。アイヌ語には千島やサハリンの方言もあるけれど、北海道内部の方が方言差がずっときめ細かいので、アイヌ語族の故地はやはりより南にあったと考える必要があります。もちろん内地の北東北のアイヌ語の記録がほとんど残っていない現在では解明が大変難しい問題だと思いますが。 他の語族でもそういうことを言う人がいて、オーストロネシアの原郷 Urheimat が台湾にあるという説が有力だとされているものの、いくつかある語派の大半が台湾に集中しているのが根拠になっています。ところが、元々は中国大陸部の揚子江流域にいて、台湾にいったん移って、台湾が山が高くて交通が不便で首狩族とかいうこともあって往来が少なく、それで非常に多様性ができたというふうに考えた方がどうも良さそうです。 多様性が多いということだと中国語だと福建省が一番複雑で、一番古い特徴をもっていますが、そこが中国語の Urheimat だと考えている人はおらず、もっと北の方から南の方に伝わって、辺境地で山がちのところだから古い特徴が残っているという例もあります。 http://kizuna.5ch.net/test/read.cgi/museum/1612874721/63
東北の基層言語っていうのはやっぱり一番あり得るものとしてはアイヌ語ですよね考古学で言う擦文文化はアイヌだがそれ以前になるとそこにいたとは限らない可能性はないものでしょうかオホーツク文化の担い手はニヴフ人だという説もあるみたいで日本列島にもニヴフ人がもしかしたら居て縄文語の候補の一つだったかもしれないとか ニヴフ語には大陸方言とサハリンの方言があるんですけどサハリンの内部の方が方言分岐が激しいんですねだからニヴフ語の故地はサハリンの方だったという可能性の方が考えられますアイヌ語には千島やサハリンの方言もあるけれど北海道内部の方が方言差がずっときめ細かいのでアイヌ語族の故地はやはりより南にあったと考える必要がありますもちろん内地の北東北のアイヌ語の記録がほとんど残っていない現在では解明が大変難しい問題だと思いますが 他の語族でもそういうことを言う人がいてオーストロネシアの原郷 が台湾にあるという説が有力だとされているもののいくつかある語派の大半が台湾に集中しているのが根拠になっていますところが元は中国大陸部の揚子江流域にいて台湾にいったん移って台湾が山が高くて交通が不便で首狩族とかいうこともあって往来が少なくそれで非常に多様性ができたというふうに考えた方がどうも良さそうです 多様性が多いということだと中国語だと福建省が一番複雑で一番古い特徴をもっていますがそこが中国語の だと考えている人はおらずもっと北の方から南の方に伝わって辺境地で山がちのところだから古い特徴が残っているという例もあります
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