[過去ログ] 【野球】篠塚和典氏が明かす─西本VS江川の“ライバル伝説”「われわれ野手も感じていた」 [砂漠のマスカレード★] (414レス)
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(5): 砂漠のマスカレード ★ 2020/05/30(土)13:10 ID:ljmYj1x79(1) AAS
ダブルプレーを取るための攻め「守っていて楽しい投手」

読売巨人軍史上屈指の好打者で通算1696安打を放ち、守備でも名二塁手として鳴らした篠塚和典氏(1992年途中までの登録名は篠塚利夫)。
Full-Countでは、篠塚氏が現役時代にと
もに戦った名投手たちを振り返る「篠塚和典 背中を見てきた投手たち」を連載中。
今回は、巨人の2枚看板として同僚の“怪物”江川卓氏に強烈なライバル心を抱き続けた、西本聖氏について語る。

西本氏といえば、切れ味鋭いシュートが武器で、特に右打者の内角に食い込むそれは威力十分。1983年の日本シリーズ第2戦に先発し、西武打線を4安打完封、27アウトのうち21を内野ゴロで取ったのは今も語り草だ。この試合でも二塁を守っていた篠塚氏は、「当時はセカンドのポジションからでわかりづらかったけれど、いまテレビで昔の映像を見ると、『うわっ、よく曲がってるなあ』と驚きますよ。特に(西武の主砲の)田淵幸一さんが嫌がっていた。『これは、右打者は嫌がるわ』と思います」と嘆息する。

 その後西本氏は1989年にトレードで中日に移籍し、巨人戦で篠塚氏とも対戦している。「それまで同じチームでやっていた選手だからやりづらい、というのもあったけれど、西本さんは僕のような左打者に対しても、意外にインコースにシュートを投げてきたんですよ。膝の上に自打球を当てたことを覚えています。僕はあまり自打球を当てたことがなかったんですけどね」と篠塚氏は苦笑する。抜群のバットコントロールを誇った天才打者が珍しく自打球を当てたほど、西本氏のシュートは鋭かった。しかも篠塚氏は「巨人時代はもっと曲がっていたと思う」と言うのだから、おそるべしだ。

「ランナー一塁の場合、守っている内野手はダブルプレーを取りたいという意識が強いのですが、西本さんはダブルプレーを取るための攻め(配球)をして、そのためのボールを投げていると感じました。
こっちの思い通り内野ゴロを打たせてくれるケースが多かったです。
コントロールが良く、このコースに行けば打球はこっちにくる、と計算しながら楽しく守れました」と振り返る。
省8
3: 2020/05/30(土)13:11 ID:ljmYj1x70(1) AAS
西本氏は江川氏の引退後、1989年に中日に移籍し、同年に初の20勝を挙げ最多勝のタイトルを獲得。
さらにオリックス移籍、巨人復帰を経て、94年限りで引退した。江川氏の倍以上の20年に渡る息の長い現役生活だった。何から何まで対照的なライバル伝説である。

画像リンク[jpg]:i.imgur.com
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(2): 2020/05/31(日)18:30 ID:He9l1gaX0(1) AAS
画像リンク[jpg]:number.ismcdn.jp

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