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━━━ 清原和博 19 ━━━ (1002レス)
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: 2020/07/08(水)02:58
ID:gdSJ+ySe(1/2)
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649: [sage] 2020/07/08(水) 02:58:21.68 ID:gdSJ+ySe ◆1989年9月23日 死球を受け激高。平沼にバットを投げつけ、豪快なフライングヒップアタックでKO。 その後、怒り狂った野獣ディアズに恐れることなく立ち向かい、死闘を繰り広げる。 ◆1997年8月20日 藪の陰湿極まりない内角攻めにシーズン三度目の選手生命にもかかわる死球を受ける。 「今度来たら、(藪の)顔ゆがめたる」と、卑怯な藪を煽る。 その結果、藪からは『よけない人に当てても、なんとも思わない』と意味不明な池沼とも受け取れる発言を見事引き出す。 ◆2001年9月18日 阪神ハンセルに非常に危険な死球を受け激高。 恐怖を覚えたハンセルは引きつった半笑い浮かべ、謝罪のため手招きで呼び寄せる羽目に。 ◆2003年5月25日 プロ初先発の20歳の横浜、東から前打席に危険な死球を受けていた清原はセンター前に見事タイムリー! 一塁へ駆けながら若手東に対して、鬼の形相でにらみ、「ボケッ」と叱咤激励か己に対する気合注入かはわからないが、 プロの洗礼・厳しさを教え込んだ。東にとって、スーパースター清原との熱い対戦は一生の思い出となった。 ◆2003年7月23日 広島の巨漢デイビーと一触即発の事態に。熱くなったことを恥じた清原は謝罪。 無冠の帝王から謝罪されたデイビーは動揺を隠し切れなかった。 ◆2005年4月21日 500号HRのかかった試合、2アウト満塁における阪神藤川の、 プロ野球という興行のエンターテインメント性を失いかねない投球内容に プロ野球の未来を案じた清原は激高。「チ○ポコついとんのか」と多少過激な発言はあったが、 藤川は納得し切磋琢磨、藤川の直球は日本屈指のものとなった。 その後の中日戦においては、清原に影響を受けた中日の連夜の直球勝負にファンは熱く燃えた。 ◆2005年5月6日 楽天の暴れ馬ホッジスに危険な死球を受けるも紳士的なふるまいで一塁へ。 その後、報復ではないが闘志あふれるプレイでセカンド高須と接触。清原の超パワーにより高須は負傷。 ◆2005年5月12日 対オリックス戦で頭部に危険球を受ける。生命の危険を感じるも鬼の形相で耐える清原。 「謝れ」「こっちに来て、謝れ」とマウンドの山口に向かって雄たけびをあげる。 帝王の咆哮に、山口は青ざめその場に立ち尽くした。 ◆2005年7月13日 痛め止めの座薬を効かせることのできないトレーナーに、プロとして厳しい態度で臨んだ。 プロの厳しさを学んだトレーナーは困惑しながらも、その後の業務に精進した。 *「泥水を飲む覚悟で─」と臨んだ2005年であったが、規定打席到達者中最低打率に低迷。 7番に降格されるも見事HRを放つ。その後、不人気であり、選手からの人望や信頼もない最低監督堀内とのハイタッチを拒否。 2軍落ちになるも、指導者としての適性に欠ける堀内に対する抗議は、ファンや同僚選手たちの胸をうった。 http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/meikyu/1581522385/649
年月日 死球を受け激高平沼にバットを投げつけ豪快なフライングヒップアタックで その後怒り狂った野獣ディアズに恐れることなく立ち向かい死闘を繰り広げる 年月日 の陰湿極まりない内角攻めにシーズン三度目の選手生命にもかかわる死球を受ける 今度来たらの顔ゆがめたると卑怯なを煽る その結果からはよけない人に当ててもなんとも思わないと意味不明な池沼とも受け取れる発言を見事引き出す 年月日 阪神ハンセルに非常に危険な死球を受け激高 恐怖を覚えたハンセルは引きつった半笑い浮かべ謝罪のため手招きで呼び寄せる羽目に 年月日 プロ初先発の歳の横浜東から前打席に危険な死球を受けていた清原はセンター前に見事タイムリー! 一塁へ駆けながら若手東に対して鬼の形相でにらみボケッと叱激励か己に対する気合注入かはわからないが プロの洗礼厳しさを教え込んだ東にとってスーパースター清原との熱い対戦は一生の思い出となった 年月日 広島の巨漢デイビーと一触即発の事態に熱くなったことを恥じた清原は謝罪 無冠の帝王から謝罪されたデイビーは動揺を隠し切れなかった 年月日 号のかかった試合アウト満塁における阪神藤川の プロ野球という興行のエンターテインメント性を失いかねない投球内容に プロ野球の未来を案じた清原は激高チポコついとんのかと多少過激な発言はあったが 藤川は納得し切琢磨藤川の直球は日本屈指のものとなった その後の中日戦においては清原に影響を受けた中日の連夜の直球勝負にファンは熱く燃えた 年月日 楽天の暴れ馬ホッジスに危険な死球を受けるも紳士的なふるまいで一塁へ その後報復ではないが闘志あふれるプレイでセカンド高須と接触清原の超パワーにより高須は負傷 年月日 対オリックス戦で頭部に危険球を受ける生命の危険を感じるも鬼の形相で耐える清原 謝れこっちに来て謝れとマウンドの山口に向かって雄たけびをあげる 帝王のに山口は青ざめその場に立ち尽くした 年月日 痛め止めの座薬を効かせることのできないトレーナーにプロとして厳しい態度で臨んだ プロの厳しさを学んだトレーナーは困惑しながらもその後の業務に精進した 泥水を飲む覚悟でと臨んだ年であったが規定打席到達者中最低打率に低迷 7番に降格されるも見事を放つその後不人気であり選手からの人望や信頼もない最低監督堀内とのハイタッチを拒否 2軍落ちになるも指導者としての適性に欠ける堀内に対する抗議はファンや同僚選手たちの胸をうった
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