[過去ログ] Inter-universal geometry と ABC予想 (応援スレ) 65 (1002レス)
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729
(1): 2022/04/29(金)17:51 ID:b8gsErp4(11/15) AAS
>>728
つづき

デーンの補題はドイツのマックス・デーンにより1910年に提唱された命題だが、1929年に同じくドイツのヘルムート・クネーザーによりデーンによる証明法には欠陥があることが指摘された。パパは米国においてこれを1957年の論文 On Dehn's Lemma and the Asphericity of Knots (『デーンの補題と結び目の非球面性について』)の中で再度証明し、その功績により1964年にはオズワルド・ヴェブレン幾何学賞の最初の受賞者となる。デーンの補題の他、ループ定理 (loop theorem) 、球面定理 (sphere theorem) の証明にも成功している。

ポアンカレ予想への挑戦
パパは米国に渡る以前から数学上の難問とされるポアンカレ予想の証明に情熱を注いでいた。前述のデーンの補題もその基盤となるものだった。自分の生活のほとんどをポアンカレ予想証明の研究に費やしており、IASからプリンストン大学へ移り、大学側から教授職、しかも週に1回の3時間の講習のみ、という条件での申し出を受けたときも、自らの研究に専念するために断っている。

同じトポロジスト(位相幾何学者)で、パパと同様ポアンカレ予想の証明を目指していたドイツ出身のヴォルフガング・ハーケンとはライバル同士のような関係だった。ある時、ハーケンがポアンカレ予想を証明したと発表したときには非常に動揺したという。結局その証明は数日後には誤りであったことが判明したが、この事件がもとでパパは精神的に不安定になってしまった。

1976年6月29日、ポアンカレ予想証明を実現できないまま胃癌によりプリンストンにて62歳で死去。ポアンカレ予想に翻弄された彼の人生は後に、アポストロス・ドキアディス (Apostolos Doxiadis) による『ペトロス伯父と「ゴールドバッハの予想」』 (Uncle Petros and Goldbach's Conjecture) というベストセラー小説のモデルとなった(わずかながら本名で登場する)。
省1
730: 2022/04/29(金)17:52 ID:b8gsErp4(12/15) AAS
>>729
つづき

人物像
パパは渡米してから逝去までの25年以上もの間、とあるホテルの同じ部屋で暮らしており、1952年の父の葬儀の時を除き、一度も祖国に帰らなかった。
生涯独身を通し、結婚して家庭を設けることのなかった彼には米国内に身よりはおらず、葬式すら行われなかったという。

外部リンク:ja.wikipedia.org
ヴォルフガング(ウルフガング)・ハーケン(Wolfgang Haken、1928年6月21日 - )はドイツ出身の数学者。専門分野はトポロジー(位相幾何学)。数学上の難問として知られる四色定理(四色問題)を証明したことで有名。
(引用終り)
以上
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