[過去ログ] 日蓮って? (1002レス)
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526(3): 宿命転換 2024/12/11(水)11:05 ID:LBHmKZ+K(6/9) AAS
> 問曰其釈如何答弘決第五云
> 若望正觀全未論行亦歴廿五法約
> 事生解方能堪爲正修方便是故
> 前六皆属於解等云云
〔第八番問答〕
問うていう。その釈文はどこにあるのか。
答えていう。止観弘決の第五に「もし摩訶止観の第六・方便章を第七・正観章にくらべてみると、全くいまだ観心の行を論ずる段階には至っていない。方便章には観心修行の準備として二十五方便を示し、その一つひとつの事相によって理解を得ることが説かれている。まさしく観心修行のための方便としては適切である。それゆえ、摩訶止観の前六章はみな止観に対する理解を深めて行く段階である」と論じられている。
> 又云故至止觀正明
> 觀法並以三千而爲指南乃是終窮
> 究竟極説故序中云説己心中
省3
527: 2024/12/11(水)11:26 ID:5S6Tpjm6(1/2) AAS
本来、大日如来は法身仏であり姿を持たない。
仏像としてある大日如来は衆生にその存在を知らしめる為にある。
大日如来は宇宙の真理を現し、宇宙そのものである。
すべての命あるものは大日如来から生まれ、釈迦如来も含めて他の仏は大日如来の化身なのである。
528: 2024/12/11(水)11:28 ID:5S6Tpjm6(2/2) AAS
断っておくが、大日如来は宇宙の何処かで仏像の様な姿で存在しているわけでは無い。
宇宙を構成するもの全てが大日如来なのである。
また大日如来は信仰の対象では無い。
宇宙の法則そのものなのである。
例えば物理の法則、F=maを信仰する人はいない。
その法則を否定する人もいるかと思うが、法則は厳然と存在する。
529: 2024/12/11(水)18:45 ID:g93NQuzJ(3/4) AAS
>>526 第二チベット旅行記、故川口慧海氏は経蔵にて法華経を見出し、
大筋と意見を紹介する、其の内容をごく簡単に記す。
肝心の十如是は五如是しかない、此れでは天台宗の宗旨の基幹と看做せる
一念三千理論は絶対に発生しない。
この正論は、仏教学者の基本的な常識となる。
印度からの仏教経典をチベットでは逐語訳で正確に翻訳し、改竄は行われない。
法華経に携わる鳩摩羅什訳は改竄を好き勝手に行うものと証明済み。
530(1): 宿命転換 2024/12/11(水)23:05 ID:LBHmKZ+K(7/9) AAS
> >>526 第二チベット旅行記、故川口慧海氏は経蔵にて法華経を見出し、
> 大筋と意見を紹介する、其の内容をごく簡単に記す。
> 肝心の十如是は五如是しかない、此れでは天台宗の宗旨の基幹と看做せる
> 一念三千理論は絶対に発生しない。
意味なし。十如是を信じ、方便品自我偈を読誦し唱題を根幹とし、日蓮大聖人を末法の御本仏と拝するのが
我らの信心なればなり。
お前は川口とかいう習いそこないのボウズを信ずるw 我らは御本仏日蓮大聖人を信ずる。
> この正論は、仏教学者の基本的な常識となる。
> 印度からの仏教経典をチベットでは逐語訳で正確に翻訳し、改竄は行われない。
> 法華経に携わる鳩摩羅什訳は改竄を好き勝手に行うものと証明済み。
省4
531: 宿命転換 2024/12/11(水)23:08 ID:LBHmKZ+K(8/9) AAS
しかしまた、我らは「羅什三蔵の妙法蓮華経」など信じない。
日蓮大聖人の仰せのごとく南無妙法蓮華経の絶対の功徳を信ずる。
532(1): 宿命転換 2024/12/11(水)23:19 ID:LBHmKZ+K(9/9) AAS
>>530
> インド人チベット人など信じないwww
しかしインドSGI、チベットSGIのメンバーを王者王女のごとく大切にする。
しかしまた、自分自身を生身の釈迦仏のごとく尊敬し愛する。
なぜなら、我らこそ仏だからだ。
533: 2024/12/11(水)23:37 ID:g93NQuzJ(4/4) AAS
>>532創価学会に巣食う,狂信の徒が此処にもいる。
彼らは貧困の為に、他の資料を購入し閲覧の機会を一生得ない。
死後の生命が行くべき地獄の門は、彼らを枉げて指導する者たちの為に先ず開かれるだろう。
地獄では昼夜なく現生で犯した、あらゆる罪業を償う責め苦が待つ。
哀れと言うもその時はもう遅いのだ。
534: 2024/12/12(木)09:34 ID:WKL8U255(1/3) AAS
創価信者にしても大日如来信者にしても、ようは「自分の信じているものが唯一正しい」と思いたいだけ
それは自我の働き
宗教の根本はみんな同じ
この世を司っている我々の源が何かあって、それを人類は神や仏と名付けてきた
その事を各宗教は歴史を超えて言葉や形を変えながらエッセンスを語り伝えてきた
そのエッセンスがいつの間にやら背景にある時代や文化と交わったり権力に迎合したりして世俗化が進行
そして、各宗教はお互い宗祖の言うことは似通っていても、その宗教の後継者の都合や主観により様々な解釈が施された各宗教は、まるで別物の世俗化形態に変貌
こうなったら各宗教間は争うしかないよね
お互い各宗教は共通のエッセンスを忘れてしまい、まるで別物の宗教なんだから
日蓮にしてみたら、いろんな宗教があって民は必死に信仰しているのに、なぜ世の中は乱れたままなのかが不思議でしょうがなかった
省2
535: 2024/12/12(木)09:35 ID:WKL8U255(2/3) AAS
このように悩んで解決策を探るのは日蓮だけではない
みんな、なぜ宗教を信じているのになぜ自分は幸せになれないのだ、と悩んでいろんな宗教や霊的なものをサーフィンする
そして、誰しも自分にしっくりくるものを見つけてそれにのめり込む
この宗教にのめり込んでいる者は何者かと言ったら自我
ここら辺が、宗教に適切に対応しているかの試金石
元々宗教のエッセンスは全て同じなのだから、何を信じようがかまわない
というか、宗教さえ必要ない
なぜなら、信じる私と宗教、私と世界、私とあなた、私とそれ以外などの区分がそもそもの誤り
そんな区分は本質的には存在しない
宗教が説いてきた無明や楽園からの追放の意味するものは、宗なるものからの自我の分離
省7
536: 2024/12/12(木)09:40 ID:WKL8U255(3/3) AAS
なので宗教を利用するとしたら、自分と何かという二元性の分離感覚を解消する為のもの
その手段は南無妙法蓮華経で南無阿弥陀仏でも大日如来でもなんでもかまわない
ただ、それは何が正しいじゃなくて、自我を溶け去らせる象徴として利用すればいいだけのもの
しかし、実際はやっていることは正反対
自分は他と比べて正しい、自分が敵に常に勝ち続ける先に成仏がある、自分と大日如来は同一
これらは、自分という分離感覚の強化
つまり自我が自分の肥大を助長して満足させる為の宗教利用でしかない
言い換えれば、本来同一生命しかない状態において、その同一生命と同体である自分を忘れて、同一生命を神や仏と名付けて祭壇に持ち上げて恐れて、その同一生命にひれ伏して自我の独立を防衛してくれる守護者に祭り上げてしまう
どんな宗教だろうが、あるいは宗教でなくてもかまわない
自分のこの自我の自己防衛本能に気づかせてくれる、そしてその防衛を外すことにもっとも相性がいい手段があるならば、それがその人にとってのもっとも適切な手段であり、それを選択すればいいだけの話
537: 2024/12/12(木)12:46 ID:dCLvMJ2u(1/2) AAS
金剛界大日如来と胎蔵界大日如来の違いについて述べさせてください。
胎蔵界大日如来は宇宙における全ての人々や物に無条件の慈悲を与える仏様です。
例えて言えば、太陽の光と熱は善人であろうが悪人であろうと無差別に降り注ぎますが、これと同じなのです。
ここで”胎蔵”とは母親が胎児を慈しむ様に、大日如来の慈悲も無条件で絶対的なものということを意味しています。
私たちは知らないうちに、大日如来の慈悲に包まれているのです。
538: 2024/12/12(木)12:47 ID:dCLvMJ2u(2/2) AAS
次に金剛界大日如来は、悟りに必要な智慧を私たちに授ける役割を持つのです。
”金剛”とはダイヤモンドの事で、智慧がとても堅く絶対に傷がつくことがない
ことを意味しています。
金剛界の大日如来は、忍者が呪文をとなえる時の手の結び方の様な智拳印の
印相をしています。
539: 2024/12/12(木)12:49 ID:/5A5yud+(1/6) AAS
《創価学会に激震》原田会長に“池田大作の愛弟子”が反旗! 元幹部職員が初めて語った「糾弾文書」の真意
外部リンク:bunshun.jp
池田大作名誉会長の死去から間もなく1年を迎える創価学会に、激震が走っている。
元エリート幹部職員の須田晴夫氏(72)が自身のホームページ上で、
原田稔会長の“教義改変”を糾弾する文書を公開したのだ。
今回、須田氏が「週刊文春」の取材に応じ、初めてその真意を明かした。
540: 2024/12/12(木)12:49 ID:/5A5yud+(2/6) AAS
須田晴夫(創価学会員)「『創価学会教学要綱』の考察 創価学会教学変更批判
『教学要綱』では日蓮大聖人について、最後まで「上行菩薩としての役割を果たす立場である」(同書四三頁)として
「日蓮=上行菩薩」との認識を貫いていますが、
大聖人を釈迦仏から末法弘通の役割を託された
「釈迦仏の使い」であるとする認識は身延派の教義そのものです。
これまで創価学会は、大聖人が上行菩薩であるというのはあくまでも外用の姿であり、
大聖人の内証は久遠元初自受用報身如来であるとしてきましたが(二〇一五年創価学会教学部編『教学入門』一七一頁)、
『教学要綱』は「久遠元初自受用身」の用語を一切用いず、
従来の立場からすれば専ら外用の位置づけにとどまっております。
もちろん『教学要綱』も大聖人について「末法の御本仏」としていますが、
省11
541: 2024/12/12(木)12:50 ID:/5A5yud+(3/6) AAS
男子部教学室論考 的外れな“批判本”を破す(創価学会)、須田晴夫批判と反論
外部リンク:www.seikyoonline.com
「御書根本」に学会教学は伸展
“批判本”は誤読を土台、閉鎖的宗門教学に固執
このほど、須田晴夫氏が『創価学会教学要綱』(以下『教学要綱』)を論じる本を自費出版した。
その主な内容は、“『教学要綱』は日蓮を「釈迦仏の使い」と位置づけ、その下位に置いている”という批判である。
『教学要綱』では、あくまで御書に基づき、「大聖人は、自身を『如来の使い』
『教主釈尊の御使い』と位置づけ」(『教学要綱』45ページ)て、
省19
542: 2024/12/12(木)12:50 ID:/5A5yud+(4/6) AAS
また、氏は、『教学要綱』には「人法一箇」「久遠元初自受用身」といった用語が用いられていないと指摘するが、
これらについて、学会教学では、宗門教学で用いるような大聖人を神格化・神秘化する用語としてではなく、
実践に即したより深い意義を掘り下げてきた。そのうえで、
これらの用語を用いなければ大聖人の仏法を説明できないものではないことから、『教学要綱』では用いられていないのである。
氏は、大聖人を根源仏とする論拠として、「百六箇抄」「本因妙抄」などの相伝書を引用するが、
これらの相伝書が宗門の法主信仰の温床となってきたことは事実である。また、
宗内でしか通用しない相伝書に依拠するのでは、普遍的な説明にはならない。
『教学要綱』では、論拠とする御書は、日蓮仏法の骨格というべき十大部を中心としている。
省5
543: 2024/12/12(木)12:51 ID:zdzeze0H(1) AAS
天皇は即位の際、大日如来と同一化する儀式を行っていた。
それを即位灌頂(そくいかんじょう)と言う。
即位灌頂の際、天皇が結ぶ印相は金剛界大日如来を表す智拳印とされる。
大日如来を表す智拳印を結ぶ点については、本地垂迹において天照大神と
同一視された大日如来の印相を結ぶことによって、即位する天皇が大日如来と同一化し、
至高な存在となる意味があるとされる。 (Wikiより)
日本国は古来より大日如来によって統治されていたのである。
544: 2024/12/12(木)12:51 ID:/5A5yud+(5/6) AAS
また、氏は『教学要綱』は法宝と僧宝の内容を変更しているとしているが、そのような指摘は当たらない。
これまでの学会教学では、法宝について、「南無妙法蓮華経」と「南無妙法蓮華経の本尊」の二つの側面から説明してきた。
そのうえで、『教学要綱』では、「法宝とは、仏が覚知した根本の法と、
仏がそれに基づいて説いた教え」という仏教本来の定義のうえから、
「大聖人が覚知し説き示された一大秘法の『南無妙法蓮華経』」としたものである。
大聖人が覚知された根本の法(法宝)は一大秘法の南無妙法蓮華経であり、
それを「本門の本尊」「本門の戒壇」「本門の題目」の三大秘法として具現化されたのである。
また、「僧宝」について、『教学要綱』は、あくまで「僧宝とは仏宝と法宝を伝える教団(サンガ)のこと」、
省4
545: 2024/12/12(木)12:51 ID:/5A5yud+(6/6) AAS
帰依三宝(きえさんぽう)
日蓮宗
仏宝、釈尊
法宝、法華経(南無妙法蓮華経)
僧宝、日蓮
日蓮正宗
仏宝、日蓮
法宝、戒壇の本尊
僧宝、日興
省4
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