中国の伝統武術やカンフーは弱い事がバレた (359レス)
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: 2022/08/25(木)17:35
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153: [sage] 2022/08/25(木) 17:35:00.86 ID:nz8eCUE9 649 :赤い國民便當 ◆RPLwh/ddCk :2016/08/14(日) 08:23:23.07 ID:OHmb5b0H0 形意拳の起源は山西省とされている。 ただそれは開祖がたまたま山西の人だったから・・・ということではなく、 当時の社会的・経済的な理由が大きい。 晋商つまり山西商人は日本でいえば「近江商人」のようなもので、 明から清にかけて中国の貨幣経済の中心的財閥集団だった。 当然晋商は全国各地に現金、貴金属、為替などを移動させる必要があったのだが、 これを警備するための「保ヒョウ」のあいだで発達したのが形意拳。 650 :赤い國民便當 ◆RPLwh/ddCk :2016/08/14(日) 08:28:03.75 ID:OHmb5b0H0 ちなみに「保ヒョウ」の「ヒョウ」は「金+票」で、これは手裏剣のような飛び道具の意味だが、 本来は「保票」ないし「保標」と記された。 「票」は為替、有価証券のこと。「標」は「標号」つまりこういった金融商品を扱う店の屋号やな。 つまり「保ヒョウ」というのは本来「大店の安全を守るガードマン」という意味になる。 651 :赤い國民便當 ◆RPLwh/ddCk :2016/08/14(日) 08:38:41.31 ID:OHmb5b0H0 あくまでもガードマンなのだから、異民族の大軍と戦闘する必要はないし、匪賊や馬賊を捕らえる警察力も必要ない。 顧客から預かった金品を安全に送り届けることだけが目的なのだ。 当然ある程度の隊列は構成していたやろうが人数はしれてるし、戦闘はなるべく避けなければならない。 また長い道のりを移動するにもかかわらず、あくまでも民間業者やからそう大層な武装はできない。 重い槍などは道中邪魔になるからな。 それで小型の武器を携行することが多かったわけやが、昨日から説明しているように これらの武器をもっとも効果的に活用できるように素手の拳法・・・つまり形意拳の修練も欠かせないものやった。 形意拳に花招(見た目が派手なパフォーマンス用の技)がまったくなく、 シンプルイズベストを徹底しているというのは、この拳法が完全に実用第一で訓練されたという歴史によるもの。 652 :赤い國民便當 ◆RPLwh/ddCk :2016/08/14(日) 08:53:26.62 ID:OHmb5b0H0 形意拳が山西に留まらず、河北や山東などでも発展したというのも保ヒョウの影響が大きいと思う。 山西を根拠地としている「ヒョウ頭(警備会社の社長)」は各地から腕の立つ人間を募集・雇用して会社を成り立たせていた。 彼らの出身地は山西に留まらず、中国北方各地に及んだから、会社との契約が切れて故郷に戻ったヒョウ師たちは 各々の出身地で形意拳を教授するようになったわけや。 形意拳の中興の祖である神拳李洛能は河北省深県出身だが、山西に赴いて当地の戴龍邦から戴氏心意拳を学んだ。 大成後はやはり山西の大富豪の「護院(邸宅警備のガードマン)」を務めながら山西で車毅齋、宋世榮といった形意拳史に名を残す達人を育てたが、 晩年は故郷の河北省深県に戻り、ここでは劉奇蘭、郭雲深などこれまた大名人を輩出している。 形意拳がこのように広まったのはやはり保ヒョウとその存在根拠たる晋商の力が大きいやろう。 653 :赤い國民便當 ◆RPLwh/ddCk :2016/08/14(日) 09:19:09.95 ID:OHmb5b0H0 形意拳は「天地自然や動物に形をとり、その意を理とする」という意味だが、 晋商つまり山西の大商人たちがもっとも重んじたのは「信義」。 これは日本でも「商売人はなによりも信用が第一」というのと同じや。 信義がなければまっとうな商取り引きは成り立たない。 ちなみにいま世界中のチャイナタウンにある「関帝廟」だが、 関羽を信義の神様、商売の神様として祀りだしたのも晋商がルーツ。 654 :赤い國民便當 ◆RPLwh/ddCk :2016/08/14(日) 09:23:07.70 ID:OHmb5b0H0 「形意」と「信義」はどちらも「シンイー」で発音が似てるんよな。 私はもともと形意拳にはこれといった門派名などなく、ただ武芸とか武功とか呼ばれていたにすぎないのを 誰かが「信義」から名をとって「形意」と称するようになったんやないか?と思っている。 このへんは「巴子拳」が「八極拳」になったのとなんとなく事情が似てる。 http://mao.5ch.net/test/read.cgi/jyudo/1637735897/153
赤い民便 日 形意拳の起源は山西省とされている ただそれは開祖がたまたま山西の人だったからということではなく 当時の社会的経済的な理由が大きい 晋商つまり山西商人は日本でいえば近江商人のようなもので 明から清にかけて中国の貨幣経済の中心的財閥集団だった 当然晋商は全国各地に現金貴金属為替などを移動させる必要があったのだが これを警備するための保のあいだで発達したのが形意拳 赤い民便 日 ちなみに保のは金票でこれは手裏剣のような飛び道具の意味だが 本来は保票ないし保標と記された 票は為替有価証券のこと標は標号つまりこういった金融商品を扱う店の屋号やな つまり保というのは本来大店の安全を守るガードマンという意味になる 赤い民便 日 あくまでもガードマンなのだから異民族の大軍と戦闘する必要はないし匪賊や馬賊を捕らえる警察力も必要ない 顧客から預かった金品を安全に送り届けることだけが目的なのだ 当然ある程度の隊列は構成していたやろうが人数はしれてるし戦闘はなるべく避けなければならない また長い道のりを移動するにもかかわらずあくまでも民間業者やからそう大層な武装はできない 重い槍などは道中邪魔になるからな それで小型の武器を携行することが多かったわけやが昨日から説明しているように これらの武器をもっとも効果的に活用できるように素手の拳法つまり形意拳の修練も欠かせないものやった 形意拳に花招見た目が派手なパフォーマンス用の技がまったくなく シンプルイズベストを徹底しているというのはこの拳法が完全に実用第一で訓練されたという歴史によるもの 赤い民便 日 形意拳が山西に留まらず河北や山東などでも発展したというのも保の影響が大きいと思う 山西を根拠地としている頭警備会社の社長は各地から腕の立つ人間を募集雇用して会社を成り立たせていた 彼らの出身地は山西に留まらず中国北方各地に及んだから会社との契約が切れて故郷に戻った師たちは 各の出身地で形意拳を教授するようになったわけや 形意拳の中興の祖である神拳李洛能は河北省深県出身だが山西に赴いて当地の戴龍邦から戴氏心意拳を学んだ 大成後はやはり山西の大富豪の護院邸宅警備のガードマンを務めながら山西で車毅宋世といった形意拳史に名を残す達人を育てたが 晩年は故郷の河北省深県に戻りここでは劉奇蘭郭雲深などこれまた大名人を輩出している 形意拳がこのように広まったのはやはり保とその存在根拠たる晋商の力が大きいやろう 赤い民便 日 形意拳は天地自然や動物に形をとりその意を理とするという意味だが 晋商つまり山西の大商人たちがもっとも重んじたのは信義 これは日本でも商売人はなによりも信用が第一というのと同じや 信義がなければまっとうな商取り引きは成り立たない ちなみにいま世界中のチャイナタウンにある関帝廟だが 関羽を信義の神様商売の神様としてりだしたのも晋商がルーツ 赤い民便 日 形意と信義はどちらもシンイーで発音が似てるんよな 私はもともと形意拳にはこれといった門派名などなくただ武芸とか武功とか呼ばれていたにすぎないのを 誰かが信義から名をとって形意と称するようになったんやないか?と思っている このへんは巴子拳が八極拳になったのとなんとなく事情が似てる
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