[過去ログ] 【ウハも】 開業医達の集い 19診 【粒も】 (1002レス)
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172: コンプ薬屋 2018/10/08(月)08:06 ID:8VEra+a2(4/5) AAS
父が勤務していたファイバースコープベンチャーに国産化の手引きをした日医大?専?卒の横須賀の
産婦人科医の息子は旧制静岡高校から東大医は無理そうなのでと言うことで京大医に行った。
ここで千葉医を選ばなかったから、首都圏に戻れなくなって関西定住。ここがやっぱり日医大?専?の親らしい。
産婦人科医の妻も医師だけど、時代的に女子医か帝国女子医(現・東邦)になる。

息子の京大医は「岐阜に(教授として)出ないか」と言う話があったのに「あんな(戦時中の)新設
医大ではろくな研究ができないから」と言う理由で出なかった。結果その後話がなく関西医大講師と
愛媛だったかな?の非常勤まで。関西に来ていた女子医卒の妹と開業した。

でもこの時代の学生の質を見ると、設備もさることながら学生・医局員の質も研究向きではなさそう。
どの板か不明だけど「白い巨塔」スレがあって、そこで、なぜ里見助教授が飛ばされるとはいえ
山陰医大の教授の席を断ったのか?と言う話があった。上司で財前派だった鵜飼医学部長の
指揮下にいるのが嫌だった、と言う見方に対して、原作引用で、いかに山陰医大がうらぶれた
大学として描かれているかを指摘して、これなら新設された関西がんセンターで格落ちポスト
の方を選ぶ選択肢もわからなくはない、と言うレスが続いたと記憶している。

丁度関西がんセンターは、国立がんセンターが昭和37年開設、白い巨塔が昭和38年連載開始
なので、国立がんセンターの特徴が移植されていた。

父が気管支ファイバースコープの共同開発先を探したのは昭和39−40年(1964−65年)と同時期。
「東大、慶応、千葉の3大学で食いつきがなければ、関西で京大、阪大(、京府)に当たった」というのも
よくわかる気がする。
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