南京事件は史実★3  (718レス)
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(1): 01/31(金)17:04 ID:RwoTXMzg0(1/8) AAS
山川出版社『世界史小辞典〈改訂新版〉』
「南京事件」
南京大虐殺ともいう。日中戦争初期に、中国国民政府の首都南京を攻略した日本軍が、中国軍民に対して大規模な残虐行為を行った事件。1937年12月13日に南京を占領した日本軍は、住民を巻き込んだ包囲殲滅戦、残敵掃討戦を展開した。この時、すでに戦闘部隊の体をなさず、戦意を喪失した膨大な数の投降兵、敗残兵、捕虜、負傷兵を、戦時国際法に違反して処刑、殺害した。日本軍の軍事占領は翌年3月まで続き、この間に敗残兵狩り、便衣兵(私服になった兵士)狩りを行い、兵士の嫌疑をかけた成年男子市民も殺害した。中国女性の強姦、食糧や物資の略奪、人家の放火・破壊など軍紀の乱れによる不法行為も多発した。南京城内とその周辺さらに付近の農村も含めて10数万の中国軍民が犠牲になったと推測される。
4: 01/31(金)17:04 ID:RwoTXMzg0(2/8) AAS
山川出版社『詳説日本史』(2022年3月29日文部科学省検定済)
南京陥落の前後、日本軍は市内外で略奪・暴行を繰り返したうえ、多数の中国人一般住民 (婦女子を含む) および捕虜を殺害した (南京事件)。 南京の状況は、外務省ルートを通じて、早くから陸軍中央部にも伝わっていた。(P312)
5: 01/31(金)17:05 ID:RwoTXMzg0(3/8) AAS
広辞苑第七版【南京大虐殺】
日中戦争で南京が占領された1937年(昭和12年)12月前後に南京城内外で、日本軍が中国軍の投降兵・捕虜および一般市民を大量に虐殺し、あわせて放火・掠奪・強姦などの非行を加えた事件
6: 01/31(金)17:07 ID:RwoTXMzg0(4/8) AAS
東京書籍「新編 新しい社会 歴史」
(中学校社会科用文部科学省検定済教科書)
P220
日本軍は、1937年末に首都の南京を占領し、その過程で、女性や子どもなど一般の人々や捕虜を含む多数の中国人を殺害しました(南京事件①)
①この事件は「南京大虐殺」とも呼ばれます。被害者の数については、さまざまな調査や研究が行われていますが、いまだに確定していません。
7: 01/31(金)17:08 ID:RwoTXMzg0(5/8) AAS
2009年センター試験(日本史AB共通)
問5
1920年代から30年代にかけての日本軍の国外活動に関して述べた次の1から3について、古いものから年代順に正しく配列した選択肢を選べ

1.日本軍が中国の都市南京を攻略するに際して、捕虜や非戦闘員を殺害する事件が起きた
2. 中国東北部での日本軍の活動に対して、国際連盟からリットン調査団が派遣された。
3.関東軍参謀河本大作らが、中国軍閥の一人である張作霖を、奉天郊外において爆殺した。

正解:3→2→1
8: 01/31(金)17:17 ID:RwoTXMzg0(6/8) AAS
文部科学省『教科書制度の概要』
第三次訴訟において検定意見が違法と判断された箇所
学界の状況に基づいて判断すると、南京占領の際の中国人の女性に対する貞操侵害行為は、行為の性質上その実数の把握が困難であるものの、特に非難すべき程多数で、残虐な行為として指摘され、中国軍民に対する大量虐殺行為とともに南京大虐殺と呼ばれて、南京占領の際に生じた特徴的事象とされているのが支配的見解であると認められる。
修正意見は、記述に関する学説状況の認識を誤ったか、検定基準の解釈適用を誤ったもので、その判断過程に看過し難い誤りがあるというべきである。
【控訴審(東京高裁)判決(最高裁結論支持)】
9: 01/31(金)17:20 ID:RwoTXMzg0(7/8) AAS
日中歴史共同研究(日本側論文)
しかし、日本軍による捕虜、敗残兵、便衣兵、及び一部の市民に対して集団的、個別的な虐殺事件が発生し、強姦、略奪や放火も頻発した。日本軍による虐殺行為の犠牲者数は、極東国際軍事裁判における判決では 20 万人以上(松井司令官に対する判決文では 10 万人以上)、1947 年の南京戦犯裁判軍事法廷では 30 万人以上とされ、中国の見解は後者の判決に依拠している。一方、日本側の研究 では20 万人を上限として、4 万人、2 万人など様々な推計がなされている。このように犠牲者数に諸説がある背景には、「虐殺」(不法殺害)の定義、対象とする地域・期間、埋葬記録、人口統計など資料に対する検証の相違が存在している。
日本軍による暴行は、外国のメディアによって報道されるとともに、南京国際安全区委員会の日本大使館に対する抗議を通して外務省にもたらされ、さらに陸軍中央部にも伝えられていた。その結果、38 年 1 月 4 日には、閑院宮参謀総長名で、松井司令官宛に「軍紀・風紀ノ振作ニ関シテ 切ニ要望ス」との異例の要望が発せられたのであった。
虐殺などが生起した原因について、宣戦布告がなされず「事変」にとどまっていたため、日本側に、俘虜(捕虜)の取扱いに関する指針や占領後の住民保護を含む軍政計画が欠けており、また軍紀を取り締まる憲兵の数が少なかった点、食糧や物資補給を無視して南京攻略を敢行した結果、略奪行為が生起し、それが軍紀弛緩をもたらし不法行為を誘発した点などが指摘されている。
10: 01/31(金)17:21 ID:RwoTXMzg0(8/8) AAS
外務省 歴史問題Q&A
問6 「南京事件」に対して、日本政府はどのように考えていますか。
1.日本政府としては、日本軍の南京入城(1937年)後、非戦闘員の殺害や略奪行為等があったことは否定できないと考えています。しかしながら、被害者の具体的な人数については諸説あり、政府としてどれが正しい数かを認定することは困難であると考えています。
2.先の大戦における行いに対する、痛切な反省と共に、心からのお詫びの気持ちは、戦後の歴代内閣が、一貫して持ち続けてきたものです。そうした気持ちが、戦後50年に当たり、村山談話で表明され、さらに、戦後60年を機に出された小泉談話においても、そのお詫びの気持ちは、引き継がれてきました。
3.こうした歴代内閣が表明した気持ちを、揺るぎないものとして、引き継いでいきます。そのことを、2015年8月14日の内閣総理大臣談話の中で明確にしました。
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