[過去ログ] 南京大虐殺は史実 (1002レス)
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969
(2): 2024/08/28(水)12:43 ID:Vd0zW+6H0(1/6) AAS
少なくともあった派の主張では「午後5時の日没から午後7時半までに殺害を実行した」事になっていますよw
午後3時半に中隊長が殺害の打合せをしてますので、殺害までの1時間半の間に照明設備を用意したり使用した記述もありませんw
あった派の主張通り殺害が実行されたなら「第一大隊は日没後暗闇の中で午後7時半まで殺害を実行していた」という事になりますw
しかも人数は1500人なので3中隊に50人毎に分割して実行した場合、1回で50人を殺害するには露営地外の殺害場所まで「連行、殺害、収容所に戻る」を10回繰り返す必要がありますが、1回に使用出来る時間は僅か15分ですw
照明設備を使用した証言も記録も無く、日没後の暗闇の中で実行出来たとでもw
常識的に可能かどうか判断出来ると思いますがw

そもそも現存する資料とオリジナルが比較できないのに、どのような「具体的根拠」で「同一だ!」と判断出来るのですかねえw

通常の戦闘詳報ではあり得ない
「隣接部隊等の戦況の進捗状況とチグハグ」
「軍事的慣例と異なる記述」
省20
973
(1): 2024/08/28(水)15:24 ID:Vd0zW+6H0(2/6) AAS
>>961
KKの指摘は小宅曹長が孤立した後、中隊と合流出来なかった事が前提でなければ成立せず的外れw
実際には小宅曹長が孤立したのは一時的なものでその後中隊主力と合流して指揮を取っているw
KKの主張では小宅曹長が孤立したのは第三中隊の右翼に進出せよとの大隊命令によるもので12時30分前後w
その後小宅曹長は中隊主力と合流し、15時30分前後に中国兵が投降してくるまで指揮を取っているw

 兵士廠の建物の前にある陸橋で指揮を取っていたが、やがて中国軍が後退し、その中に白布を振っている兵も見えたので射撃を禁止し、彼らに対して手招きをした。すると、城壁上から私を狙って撃ってきて、五、六発が私の近くに当たった。
 それでも中国兵は三三五五降伏してきたので、私のところで検問して後に送った。検問している途中、中国軍の逆襲にそなえたり、井上戦車隊長との打ち合わせ等があり、どのくらい捕虜がいたのか正確には分からない。あとで千二百の捕虜がいて、他の隊が捕まえた捕虜二、三百も合わせると千五百人になると聞いた記憶がある。
丸MARU 1990年7月号 通算528号 連載第19回

中隊主力とはぐれていたら何で小隊でしかない小宅曹長が中国兵を検問したり、他部隊の井上戦車隊長と打ち合わせをしたりするんですかねえw

KKは自説に固執して小宅曹長は中隊主力から孤立したままだった事にしたのだろうなあw
省3
974
(1): 2024/08/28(水)15:34 ID:Vd0zW+6H0(3/6) AAS
だれが「日没後に全く行動不能になる」なんて主張しているんですかねえw

また「書かれていない文字が見える肯定派特有の症状」が発症しているのですかw

こちらの主張は「日没後の暗闇では「連行5分、殺害5分、収容所に戻るのに5分」を実行するのは困難」という事ですよw

「連行、殺害、戻る」のに各6分かかるだけで180分かかりますので「17時殺害開始19:30終了」という戦闘詳報を否定する事になるんですがw

こちらが主張していない事に対して藁人形叩きをやりたいならご自由にドウゾとしか言えないですがw
975
(1): 2024/08/28(水)16:00 ID:Vd0zW+6H0(4/6) AAS
いくらあった派でも「主張を行なっている側が具体的根拠を出す必要がある」という議論の根本は理解していると思いたいのですがw

「オリジナルと同一である」という主張を行なっているのはどちらなのでしょうw

具体的根拠が無いならそれで終了ですねw
980
(1): 2024/08/28(水)20:42 ID:Vd0zW+6H0(5/6) AAS
>>977
>そもそも、阿羅インタビューで不思議なのは、小宅曹長は「第一小隊、第三小隊、指揮班の計六、七十人を指揮して」と述べた上で、「我々の中隊長がどこにいるのか…分かりませんでした」とも述べています。中隊の中核である指揮班に中隊長がいないというのは非現実的です。

南京ではその非現実的な事が頻繁していたようですがw
中隊本部所属の森尾市太郎の証言では中隊本部に所属する者でさえ攻撃時に「中隊長と一緒だったかどうかは記憶に無い」と言っていますよw
そして入城後どこにいたかと言えば「城内の中隊本部」ですよw
つまり中隊長が所在不明な事は戦場では珍しい事ではないという事ですよw

森尾市太郎 歩兵第66連隊第3中隊 中隊本部 上等兵
証言
「 十三日朝、城壁の前の高台で中隊長と一緒だったことは記憶していますが、私は昼前、中華門から入り、そのとき中隊長も一緒だったかどうか記憶にありません。
 城内では煉瓦作りの建物を中隊本部にして、中隊長もここにいました。」
省8
981
(2): 2024/08/28(水)22:00 ID:Vd0zW+6H0(6/6) AAS
>>977
>しかし『野州兵団奮戦記』では、軽装甲車中隊の井上中尉からの依頼で奇襲攻撃をしたのは、小隊から抽出した二個分隊(山形、田波分隊)を宛てたことになっており、中隊行動ではありません。

???
何で小隊から分隊を抽出したら中隊行動ではなくなるんですかね?
指揮班長の小宅曹長が奇襲部隊を抽出するなら第一小隊、第三小隊からになりますし、小隊から部隊を抽出するなら分隊規模になるのは当然ですが?
小隊規模で奇襲部隊を抽出すれば第四中隊の約半数を奇襲部隊に回す事になって本隊の攻撃力が低下して奇襲の意味がなくなりますし、中隊規模なら指揮下の全部隊が奇襲参加する事になるんですが?

奇襲攻撃とは「奇襲で相手を混乱させる事で本隊からの攻撃を容易にする為」に行うものですw

まさか「軍事行動は全部隊が参加するものだ!」なんて思っていませんよね?

そもそも小宅曹長は指揮班長で第1小隊長代理ですw
田波分隊長は第3小隊の分隊長、山形徳治は第3小隊の第2分隊長ですw
省14
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