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【捏造】朝日新聞がでっち上げた従軍慰安婦 (885レス)
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807
: 2016/07/23(土)03:16
ID:lFcv7k8C0(1)
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807: [sage] 2016/07/23(土) 03:16:41.16 ID:lFcv7k8C0 2016/07/20 【社会】「だから私はTBSを退社し、この一冊を著した」〜永田町を震撼させたエース記者の告白 ©2ch.net http://da ily.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1468975054/ 6月に発売されるや、永田町を震撼させた『総理』(幻冬舎刊)の一節である。 衆院解散を決意した安倍総理が、書き上げたばかりの演説草稿を読み聞かせるほどに信頼を寄せる「私」とは、著者の山口敬之氏だ。 1990年、TBSに入社し報道局に配属された山口氏。これまでに社長賞や報道局長賞などの社内表彰を39度も受けたという、 同局きっての「エース記者」だった。 今年5月にTBSを退社し、フリーランスのジャーナリストに転身、その直後に刊行された本書では、 自民党が大敗を喫した2007年参院選から第二次安倍政権発足に至る舞台裏や、シリア情勢をめぐる官邸と米・ホワイトハウス との緊迫したやり取りなど、政権内部の動きが克明に描かれている。 ■TBSを去った理由 TBSを辞めたのは、「取材したことを報道する」という、ジャーナリストとして当たり前のことができなくなったからです。 私は政治部を経て、2013年にワシントン支局長としてアメリカに赴任しました。 このとき、現地の公文書館で、ベトナム戦争中に韓国軍が慰安所を設けていたことを示す文書を発見しました。 貴重な文書ですから、すぐにニュース番組のなかで放送したいと掛け合ったのですが、 上層部は「デリケートな問題だから、文書だけではダメだ。その現場にいた人の証言が得られなければ、放送しない」と消極的でした。 そこでさらに取材を進めた結果、当時、現場にいたというアメリカ人を発見、カメラの前でそのときの証言もしてくれたんです。 「これならいける」と映像編集作業も終えたのですが、またしても会社の答えは「放送できない」でした。 いったいなぜダメなのか、理由を質しても「君のためにならない」「大統領選も控えている」などと、要領を得ない答えが 返ってくるばかりでした。 これほど重大な事実を伝えないのであれば、もはや自分はジャーナリストではなくなってしまう――葛藤の末、 山口氏はその取材を『週刊文春』誌に寄稿。 『米機密公文書が暴く朴槿恵の゛急所゛ 韓国軍にベトナム人慰安婦がいた!』というタイトルで、 2015年4月2日号に掲載されたこの記事は国内外で大きな反響を呼んだ。 ところが、TBS上層部は、山口氏が他社の媒体で取材成果を発表したことを問題視したという。 会社からは、ワシントン支局長を解任、営業局へ異動という処分を受けました。 異動には納得できない気持ちもありましたが、当初は別の部署からテレビ局という組織を見てみるのもいい経験 になるかもしれないと考え、配属先での仕事に取り組んでいました。 しかし、私の本性は記者ですから、取材して発信するという仕事ができないことには耐えられなかった。 何より、取材した成果を明確な理由もなく報道させない組織に所属していても仕方がないと考えたのです。そして、退職を決意しました。 ちょうどその頃、本を書かないかというお話をいただいたので、退職を機に、これまでTBS記者として取材をしてきたこと、 またテレビという枠組みでは報道できなかったことを書こうと思ったんです。 http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history2/1292374130/807
社会だから私はを退社しこの一冊を著した永田町を震させたエース記者の告白 6月に発売されるや永田町を震させた総理幻冬舎刊の一節である 衆院解散を決意した安倍総理が書き上げたばかりの演説草稿を読み聞かせるほどに信頼を寄せる私とは著者の山口敬之氏だ 年に入社し報道局に配属された山口氏これまでに社長賞や報道局長賞などの社内表彰を度も受けたという 同局きってのエース記者だった 今年5月にを退社しフリーランスのジャーナリストに転身その直後に刊行された本書では 自民党が大敗を喫した年参院選から第二次安倍政権発足に至る舞台裏やシリア情勢をめぐる官邸と米ホワイトハウス との緊迫したやり取りなど政権内部の動きが克明に描かれている を去った理由 を辞めたのは取材したことを報道するというジャーナリストとして当たり前のことができなくなったからです 私は政治部を経て年にワシントン支局長としてアメリカに赴任しました このとき現地の公文書館でベトナム戦争中に韓国軍が慰安所を設けていたことを示す文書を発見しました 貴重な文書ですからすぐにニュース番組のなかで放送したいと掛け合ったのですが 上層部はデリケートな問題だから文書だけではダメだその現場にいた人の証言が得られなければ放送しないと消極的でした そこでさらに取材を進めた結果当時現場にいたというアメリカ人を発見カメラの前でそのときの証言もしてくれたんです これならいけると映像編集作業も終えたのですがまたしても会社の答えは放送できないでした いったいなぜダメなのか理由を質しても君のためにならない大統領選も控えているなどと要領を得ない答えが 返ってくるばかりでした これほど重大な事実を伝えないのであればもはや自分はジャーナリストではなくなってしまう葛藤の末 山口氏はその取材を週刊文春誌に寄稿 米機密公文書が暴く朴恵の急所 韓国軍にベトナム人慰安婦がいた!というタイトルで 年月日号に掲載されたこの記事は国内外で大きな反響を呼んだ ところが上層部は山口氏が他社の媒体で取材成果を発表したことを問題視したという 会社からはワシントン支局長を解任営業局へ異動という処分を受けました 異動には納得できない気持ちもありましたが当初は別の部署からテレビ局という組織を見てみるのもいい経験 になるかもしれないと考え配属先での仕事に取り組んでいました しかし私の本性は記者ですから取材して発信するという仕事ができないことには耐えられなかった 何より取材した成果を明確な理由もなく報道させない組織に所属していても仕方がないと考えたのですそして退職を決意しました ちょうどその頃本を書かないかというお話をいただいたので退職を機にこれまで記者として取材をしてきたこと またテレビという枠組みでは報道できなかったことを書こうと思ったんです
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