[過去ログ] 平原女王墓が卑弥呼って聞いたけど?Part986 (1002レス)
前次1-
抽出解除 レス栞

このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています。
次スレ検索 歴削→次スレ 栞削→次スレ 過去ログメニュー
119: 2024/03/27(水)20:39:49.36 AAS
エンジンは叩くだろうけど
もう人も多い
311
(2): 2024/06/22(土)08:02:01.36 AAS
魏志倭人伝における旅程は、帯方郡の郡治ではなく、帯方郡南端の海岸から始まると考えられます。史料には帯方郡内の記述がないことから、出発地点は郡治ではなく、南端の海岸と推測されます。

旅程の内訳は以下の通りです。

帯方郡南端海岸から狗邪韓国海岸まで: 7000里
狗邪韓国海岸から対馬国北岸まで: 1000里
対馬国北岸から南岸まで: 800里(400里×2)

従来の解釈では、旅程の起点が帯方郡の郡治とされていたため、島回りを行う必要はありませんでした。しかし、郡治ではなく南端の海岸から出発となると、対馬国を島回りする必要が生じます。
この修正により、末盧国への上陸地点は呼子付近と考えられます。従来の解釈では、末盧国は対馬国の南にあると考えられていましたが、島回りを考慮すると、呼子付近の方がより自然な位置関係となります。
旅程の記述においては、国の端から端までを繋ぐように書かれている点が注目されます。これは、単に距離を記すだけでなく、倭国の広大さを示す意図があった可能性も考えられます。
以上のことから、魏志倭人伝の旅程は、帯方郡南端の海岸から始まり、対馬国を島回りし、呼子付近から末盧国へ上陸するという修正が必要と考えられます。
312: [age] 2024/06/22(土)08:45:03.36 AAS
>>310
主語は、使 大倭 監 之 の使
魏志 張政です。

張政は、伊都で大倭を見いだした。
於國中有如刺史 は、張政の報告。

この段は、張政の報告書の要点で、
張政の渡来目的は、245年の韓制圧戦の
激に応えなかった女王国の査察です。

駐留した伊都の一大率によって
女王に外交権が無い事を知り
省5
619
(1): 2024/11/26(火)10:36:23.36 AAS
帯方郡から女王国までが12000里
女王国から倭種までが1000里
詰まり帯方郡から倭種までは13000里
(博多湾岸の)女王国から渡海(関門海峡)して1000里(80km)の場所は山口県付近
北部九州地域が邪馬台国なんだ
642: ネトウヨ撲滅隊! 2024/12/08(日)09:48:38.36 AAS
ネトウヨどもが邪馬台国九州説をネットで布教しているんだよな

1.畿内では西暦180年頃に原住民の銅鐸文化が廃絶し外来の銅鏡文化に置き換わる
→魏志倭人伝にいう邪馬台国が成立した桓霊の頃がちょうどこの時期

2.上記の1とほぼ同時に三輪山の麓(山の麓=ヤマアト=ヤマト)で纏向遺跡の構築が開始される
→邪馬台国の邪馬台とは当時の中国語の発音でヤマトだった

3.纏向王権は九州や吉備など九州瀬戸内の連合勢力による外来の征服王朝であったと考えられる
→魏史では倭の諸国の共立によって女王国つまり邪馬台国が建国されたと語っている

4.実在可能性のある最初の天皇である崇神の墓は纏向王権が生まれて100年以上経ってから構築された
→卑弥呼は所謂欠史八代の時代に生きた人物という事になる
省3
727
(2): 02/26(水)22:02:05.36 AAS
高天が原の神々は武人や青銅器や製鉄、機織りなど先端的技術を持った職能集団を地上に降臨させてる
と、言うことは地上世界(筑紫を設定)よりは進んだ職能集団がいる天上世界(高天が原)を

設定する場所があった、そこが?松菊里周辺から?狗弥・伽耶など中継拠点から早良平野へ降臨したと。
864: 04/22(火)06:29:02.36 AAS
いざ
伊邪國:長崎諫早(伊佐国)
已百支國:伊万里

末蘆國:唐津平野・菜畑遺跡(吾田)柏崎遺跡(笠沙岬)
伊都國(魏代):糸島平野(日向)三雲南小路(可愛山陵)井原鑓溝(高屋山上陵)潤地頭給遺跡(吾平津)
伊都國(漢代):早良平野(日本)吉武遺跡(高天原)
 斯馬國:糸島半島(士摩)

奴國:那珂比恵遺跡〜須玖遺跡(葦原那珂津国)
 不彌國:雀居遺跡(邪馬壱國)ざまい

豊国
省10
916: 06/30(月)18:14:56.36 AAS
数千人の捕虜を輸送するのは数百艘の舟が必要になり無理。
966: 07/29(火)19:39:51.36 AAS
【卑弥呼の王宮の候補】

・高祖宮
魏志に伊都国と記された糸島市にある。
糸島平野と福岡平野の間にあるクシフル山があり、福岡に通じる峠を日向峠と呼ぶことから、高祖宮は記紀にある筑紫の日向の高千穂宮に比定できる。
高千穂宮は天孫ニニギが八咫の鏡を伴って筑紫の王として即位した宮であり、神武天皇が東征に出発した宮でもある。
後にこの地に建設される怡土城、高祖城はクシフル山の山頂を含む中国式山城であり、高千穂宮の名にふさわしい。
糸島平野にある三雲南小路遺跡はニニギと木花咲耶姫の墓と伝えられる。
高祖宮の目の前の平原遺跡からは、ニニギ王家の家宝である神宝八咫の鏡が出土している。
伊都高祖宮こそ倭国の王都であり、平原遺跡は倭国女王卑弥呼が被葬者の最有力候補である。

・橿日宮
省15
前次1-
スレ情報 赤レス抽出 画像レス抽出 歴の未読スレ AAサムネイル

ぬこの手 ぬこTOP 0.031s