[過去ログ] 平原女王墓が卑弥呼って聞いたけど?Part986 (1002レス)
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22(1): 2024/02/04(日)04:50:34.10 AAS
>>10
そうだな
「径」は円墳でなければならない
274(1): 2024/05/12(日)08:24:43.10 AAS
九州説だと当然のことながら畿内ヤマト政権と同時期の並立が可能ですな。
保守派であれば、
畿内ヤマト政権が本流。
九州に不安定な地方政権が時々できて、地理的近さからその時々の中国王朝と独自外交していたという考え方。
一方で、保守派のバイブルである記紀そのものに、
神武が九州出自であると明記されている。
よって、神武東征をどう解釈するか、いつの時代に設定するか、で説が分かれる。
伊都説であれば、
宮崎県の日向国は、
景行の制定した国名であって時代がかなり下ることから、
省6
310(2): 2024/06/22(土)07:58:03.10 AAS
伊都国に女王卑弥呼が居たと書かれた文の説明
1「丗有王 皆統屬女王國」
魏の世には、伊都国に王がいた、倭の国々は皆、女王国に従属していた。
解説、この文は元々は公孫氏の残した資料からの引用であると考えられ、「丗有王」は公孫氏の世4代50年を指していたと考えられるが魏の世の意味に流用して使われている。
女王国とは女王卑弥呼を共立した中心メンバーの国、伊都国、奴国、不弥国を指すと考えられ、倭の国々が女王国に従っていた状態を説明している。
2「自女王國以北 特置一大率檢察諸國 諸國畏憚之 常治伊都國 於國中有如刺史」
女王卑弥呼は女王国より北は、特に一大率を置いて諸國を検察させていた。諸国はこれを恐れはばかっていた。女王卑弥呼は常に伊都国で一大率を使い諸国を治めていた。一大率は(魏)国中に於ける刺史のようなものである。
解説、この文章の主語は女王卑弥呼であり、一大率を使い伊都国に居た女王卑弥呼が諸国を治めていた様子を説明している。
ここで使用されている刺史の業務は諸国の検察とされており魏で行政権を担っていた刺史とは異なる。
この刺史も元々は魏の刺史はではなく、公孫氏の設置した刺史のことで国中とは公孫氏の国中のことを指していたが、刺史の場合も魏の世の意味に流用して使われているのである。
426: 2024/07/29(月)01:48:20.10 AAS
>>104
「もう少し待っといてなー」だけ目標にしてる...
これめちゃくちゃ臭くて草
画像リンク[jpg]:i.imgur.com
画像リンク[jpeg]:i.imgur.com
509: 2024/08/14(水)02:02:32.10 AAS
2の頃からトラックでもスケートしておっさんのメジャーな趣味はギアでしか差が出るからコロナには興味ないって
やってる感だすことしか言わんなマジで無い
大型トラックのほうが良いのかもしれん
559: 2024/08/31(土)00:48:13.10 AAS
>>445
だね
そりゃスケ連はそこ分かってないのだよ
572(2): 2024/10/15(火)08:50:27.10 AAS
>>571
韓伝の「韓在帯方之南 東西以海為限南與倭接 方可四千里」や三国史記 巻第四 新羅本紀 智證麻立干紀の「于山国在溟州正東海島 或名欝陵島 地方一百里」等の記述があるから1里=約80mの短里は否定のしようがないよw
循環論法?何それwww
仮定じゃなくて実際に使用されてる。
699: ネトウヨ撲滅隊! 02/14(金)08:01:20.10 AAS
ネトウヨ思考
・日本人は縄文人の子孫
・日本語は縄文語の子孫
・Y遺伝子Dが自慢
・縄文文化を縄文文明という
・邪馬台国は九州と主張
・日本が中華に朝貢したのが許せない
・アイヌ人はシベリアからやってきた虐殺者
・なぜかエベンキという民族に関心がある
・古史古伝や日ユ同祖論などのオカルトを信奉
省4
761: 03/08(土)22:26:16.10 AAS
「武蔵」の様に、令制国とそれなりの音韻根拠がなくちゃ。
飛鳥京・藤原宮木簡に「无耶志国(むざし-)」「身狭(むさ)国」
7世紀頃までは「无射志」(むざし)や「牟射志」(むざし)
他にも「牟佐志(むさし)」、「無邪志(むざし)」、「无邪志」、「胸刺」といった表記がある。
844: 04/11(金)22:18:21.10 AAS
神話時代の神々の「衣褲(きぬはかま)姿」とは全然印象違うな、
官人や商人と思われる絵画は江戸時代の商人のような姿に見える。
892: 05/31(土)20:51:22.10 AAS
538年、百済時代の泗沘サビ(現在の扶余)にあった扶余羅城、裏手には扶蘇山城。
扶蘇山にある、迎月台とか送月台とか、月に関わる名称が残ってて月見で有名な場所。
衛氏朝鮮の時代(紀元前2世紀)に朝鮮半島の南部に存在したとされる辰国。
後の「月支國」はこの扶蘇山の麓に有ったんじゃないかと、ちなみに扶蘇は秦始皇帝の長男の名な。
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