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邪馬壹國は北部九州に在った(王都は伊都国)part16 (758レス)
邪馬壹國は北部九州に在った(王都は伊都国)part16 http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1601445951/
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707: 日本@名無史さん [sage] 2021/08/08(日) 21:02:22 タケミナカタの奥さんは八坂刀売神で安曇の女性と伝わっていますね。 安曇ですから、女系は古代出雲國の八雷神系有力部族のワニ族ですね。 須勢理ヒメ、神屋楯ヒメ、事代主、などの家族になります。 男系は、八坂ですから、スサノオ。 素直に考えれば、大国主の義父のスサノオの娘あるいは近しい親族で、天神族の娘。 しかし、大国主がスサノオ就任後であれば、スサノオ大国主と神屋楯ヒメの娘。 安曇族の男系がどちらであるのかとも直結してきます。 解の一つは城野遺跡にありますが。 安曇野、の地名がついているということは、 ワニ族の地盤である、香椎〜宗像(古代出雲國)の全体もしくは一部が、 70年当時既にその名前で呼ばれていた、ということを意味しています。 http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1601445951/707
736: 日本@名無史さん [sage] 2021/08/11(水) 04:26:28 なんで金印が志賀島から出土したかというと、 >>707 一族の女系の祖は八坂刀売神でもあるからでしょうね。 そもそも金印などを持っていたから、八岐大蛇系のタケミナカタ一族は 200年も東西の辺境で耐え忍ぶこととなった。 一方のカモ系アジスキタカヒコネやワニ系コトシロヌシは一度は降伏しましたが、 それぞれ早期に中央政界に返り咲いています。 栄枯盛衰を悟った難升米あるいはその一族の方から進んで、 母方の縁がある豊国有力者アズミ族へ金印を献上して、身分保障してもらったのでしょう。 >>698 紀年銘鏡からすると、難升米としては、 238年朝貢、獲得した銅鏡職人が来倭 239年洛陽にて金印銀印授与が決定 240年魏使が来倭して授与式 (243年銀印・率善中郎将を伊聲耆掖邪拘へ譲渡=難升米の邪馬台国将軍就任が内定) 244年邪馬台国軍の将軍に着任 (245年難升米の将軍昇格を祝って黄幢授与) (247年出陣>>696-697) http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1601445951/736
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