[過去ログ] 氷河期代弁団体2【生活再建】 (746レス)
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234(2): 2018/01/07(日)16:39 ID:JtwHVr3M0(1/4) AAS
>>112-113から続き
・・・目標の不在あるいは目標の不明示においては手段の正当化はありえない。にもかかわらず、このように手段の方だけが正当化されるとすれば、それはこの社会が「国民の総意」で契約的かつ人為的に設立され、
かつこの社会が国民にはわからないが絶対的な意志と目標を有していることになる。とすれば、ルソーの言う、「人民が知ることのできない」「人民の一般意志」でもってわれわれの社会(国家)がある目標に進んでいるとの
無意識の信仰(狂信)が自由社会をいまだに支配していることになる。今日の自由社会にはヒトラーやスターリンのあの狂気の社会と同一の信仰がまだ広くかつ強力に存在している。
もともと、出生の時点から人間を平等にすることなど万が一にも不可能なことで、空想である。その方法は最小限、
レーニン/ヒトラー/スターリン/ポル・ポトらが試行したように、子供を家族からとりあげ国家管理の下で育てるしかないが、それこそ悪魔のような暗黒の社会以外の何物でもない。
さらに、社会は多様な能力と多様な性向の人間が存在するから成立するのであり、家畜のような画一的な成育という「生産」による「人間」とは、“人間”ではないし、
またそのような「人間」からなる社会は機能不全となって崩壊するしかない。画一的「人間」だけでこの複雑な人間社会は運営できないのは言うまでもなかろう。また、学校教育では授けることのできない、
家族を通じてしかできない知識やノウハウは、家族のないそのような社会ではポッカリと脱落してしまうから、別の機能不全をもたらす。
省5
237(2): 2018/01/07(日)16:43 ID:JtwHVr3M0(2/4) AAS
・・・自由社会でもその結果生じていくのは社会的犯罪の増大と社会を機能させている種々雑多な集団の絆の崩壊であり、法と秩序の限りない崩壊だけである。法と秩序の崩壊は自由の喪失になっていく。
仮に強権をもってこの崩壊を阻止するとすればそれは全体主義体制しかなく、この場合はより確実に自由は窒息する。
ハイエクは「社会的正義」について、次のように包括的に糾弾している。「社会的正義」は、魔女や幽霊を信じるのと同じ迷信であると、ハイエクの批判は手厳しい。
ハイエク曰く、「<社会的正義>の場合に処理しなければならないものは、他の人々を強制する口実となる時には戦わなければならない部類の、擬似宗教的な迷信(=「平等」)である。
そして、<社会的正義>への支配的な信念(=「平等」)は、当面、おそらくは自由文明の他のほとんどの価値に対する最大の脅威であろう。」
簡潔に訳せば、ある特定の個人、グループあるいは階級などの持つ価値Aを<社会的正義>=「平等という迷信」の名において制裁すれば、当然の結果として、その<社会的正義>による制裁は
「平等」に他の人々すべてに波及する。その結果、その自由文明から価値Aは消え去ることになる。だから、迷信である「平等」を根拠とする<社会的正義>は迷信であり、存在してはいけないのである。
「社会的正義」という衣を着て主張され、この主張はルソー/マルクス主義に汚染(洗脳)された擬似知識人からなされているが、一般大衆もそれを支持する。一般大衆の方はこのようなルソー的な宗教的ドグマが背景にあることはいざ知らず、
単に自分も財産家の子供として出生したかったという、嫉妬や羨望の感情からの支持であろう。この点について累進課税を例として、竹内靖雄が軽快かつ簡明な解説をしている。
省3
255(1): 2018/01/07(日)17:06 ID:JtwHVr3M0(3/4) AAS
>>234>>237の続き
・・・富の一般的な偏在にしても富の各家族への偏在にしても、それが大規模社会の経済と政治の正常な機能を支えている。すなわち、自由と道徳と法に反してまで平等のドグマの信仰を優先し
自らの社会の経済と
政治の機能不全に向かって自己破壊的な暴走、それが「正義」の仮面をつけた“嫉妬の哲学”である。そればかりか、この富の偏在という不平等がほぼすべての人々の所得の向上をなす牽引車となっている重要な真理が忘れられている。
一定の時間が経過すると、かつての貧者(もしくはその子孫)が豊かな生活を享受している、
そのような“不平等の時間的経過における富の相対的向上性”を総合的に判断しない人間のその日暮らし的感覚が支配的であるのが、今日の自由社会の現実である。 ??
ハイエク曰く、「今は貧しいものでさえ、自分たちの(過去の祖先と比較して)相対的な物質的幸福を過去の不平等の結果に負っている。」と、不平等の本質的なプラス面を力説してやまない。
・・・人間がそれぞれの才能や努力そして幸運に従って、内面の精神的なものであれ外面の物質的なものであれ、質的により高級な水準に向かって向上しようとすることは、
才能/努力/幸運は各人に不平等であるが故に必然的な不平等を進めるから、平等主義はまた、人間のこのような質的向上を決して認めないし断じて許さない。
省6
256(1): 2018/01/07(日)17:09 ID:JtwHVr3M0(4/4) AAS
>>234>>237の続き
・・・裏返して言えば、“開かれた不平等”の文明が、社会の高貴さを保ち、かつ真・善・美を活き活きと生命あるものとする脊椎でありうる。例えば、公共的なものへの自己犠牲の精神は、
そのような少数(エリート)の精神がそれを有さない多数に仰がれて“差別”され称賛される、上下的な関係がその性向をもつ社会的基盤が存在して初めて生命をうる。
● 平等の腐敗力
平等主義こそが、自由な政治社会にとって(じわじわと体を蝕む癌のごとくに)危険な脅威である。
近代デモクラシーとは平等化の政治であり、民衆の平等への渇望を卑しい欲望とせずに「人間の権利」として是認する政治であるから、本質的に反道徳性を黙認する政治である。
平等のこの腐敗の原理を、豊かな視野から体系的に警告した先駆者の一人は、トックヴィルであろうが、人間が(少数者を除き)「平等に対しては、熱烈な、飽くことなき、
永久的な、うちやぶることのできない情熱をもっている」ことが、デモクラシーが平等主義に立脚する故のその害毒をいつまでも弱めることなく自己破壊的に自らの社会に対する腐蝕を続けるのである。
省6
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