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美智子資料庫 2 (561レス)
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516: 平田暁夫 帽子 [sage] 2021/11/20(土) 21:17:22.68 ID:pYSGdd4O https://dot.asahi.com/wa/2014050800073.html?page=1 週刊朝日 2014年5月9・16日号 3月26日、春雨で煙る伊勢神宮(三重県伊勢市)に、両陛下が参拝した。 式年遷宮を受けたこの参拝では、20年ぶりに剣と璽(まが玉)が皇居から持ち出 される。伊勢神宮に置かれた鏡と合わせて、皇位継承の象徴である三種の神器がそろ う日でもあった。 天皇陛下はモーニングの正装、美智子さまも白いロングドレスと帽子を新調し、 この特別な参拝に臨んだ。 美智子さまが身につけた白い帽子は、その1週間前に亡くなった平田暁夫さんの デザイン。美智子さまへ納めた最後の帽子だった。 皇后美智子さまを始め、皇族方の帽子デザイナーとして知られる平田暁夫さんが 3月19日に亡くなった。 (略) 「65年に帰国し、翌年に皇后さまの洋服のデザイナーを務めていた芦田淳さんの紹 介で、美智子さまの帽子をお作りすることになりました」(恭子さん) (略) 一方、美智子さまの帽子は、デザイン性と同時にさまざまな配慮が求められる。 美智子さまは、皇太子妃時代を含めて3度も全米ファッション界による、ベストド レッサーに選ばれた。昭和の時代は、つばの広いブルトンやターバンのように頭を覆 うボネと呼ばれる帽子も愛用したが、平成に入ると、小さな丸い帽子を載せるスタイ ルが定着した。 ほおを寄せる欧米式のあいさつでは、広いつばが邪魔になる。小さな帽子であれば 移動の荷物がかさばらず、訪問先で洋服から和服に着替えても髪形が崩れない──。 美智子さまが試行錯誤の末、たどりついた装いだった。 続く http://egg.5ch.net/test/read.cgi/emperor/1366973305/516
517: 平田暁夫 帽子 理想の形の追求 [sage] 2021/11/20(土) 21:19:51.64 ID:pYSGdd4O >>516 続き 生前、平田さんは本誌の取材にこう話していた。 「皇后さまは、訪問先に縁のあるモチーフをご希望になる。オランダならばチューリ ップ、英国の場合はバラという具合です。県花や、土地の織物をあしらうこともあり ます」 美智子さまは、仮縫いした帽子をかぶりアイデアを練る。帽子を折り曲げ、銀紙をつ けて理想の型を追求することもあった。←←★★★ 美智子さまの配慮や気配りも含めて帽子に具現化するデザイナー、それが平田さん であった。 「平田さんのような才能を持つ人々が、両陛下のご活動を支えている」(宮内庁関係者) 平田さんの帽子作りは、病気との闘いでもあった。 50歳で心臓手術を受けた。脳梗塞で倒れたこともある。胃や大腸、膀胱のがんで 入退院を繰り返したが、創作意欲は衰えなかった。 昨年12月、両陛下は歴代天皇、皇后として初のインド訪問を果たした。 「皇后さまは、ヒンドゥー教と縁の深いハスの花や、インドの国旗をイメージした帽 子をご希望でした」(恭子さん) ハスの飾りは、帽子とのバランスが難しい。悩んだ平田さんは、桃色と白い花びら が舞うような幻想的なデザインを提案した。 そのころ、平田さんは腎臓病の透析治療で入院していた。それでも、病院からアト リエに通い続けた。 「平田にとって、帽子作りそのものが人生であり、幸せでした」(恭子さん) 平田さんの情熱は、娘の石田欧子さん(50)が継いでいく。 ※週刊朝日 2014年5月9・16日号 http://egg.5ch.net/test/read.cgi/emperor/1366973305/517
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