[過去ログ] なぜ教育現場は治外法権が成立しているのか 2 (433レス)
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305: 学校の恐怖政治・治外法権も言論への暴力 2017/05/03(水)20:36 ID:u6eRnhvu(2/4) AAS
 「反日朝日は 五十年前にかえれ」

 名古屋本社寮襲撃の犯行声明文の一節。50年前の1937年は、日中戦争が勃発した年だ。

 阪神支局事件の時効が迫るころ、大阪社会部記者だった東京社会部の小池淳デスク(48)は右翼の思想的支柱と呼ばれていた高齢男性を訪ねた。歴史認識をめぐり、朝日新聞と対立していた。物腰は穏やかだが、言葉には朝日新聞への激しい反発が込められていた。発言が一連の声明文と重なって感じられ、
「事件と関係があるのでは」と興奮したのを覚えている。警察も男性に関心を寄せたが、事件との関連は見つからなかった。男性はその数年後に死去した。

 右翼活動家だけではなく、宗教団体なども含め様々な可能性を想定して関係者を取材した。当時東京社会部記者だった臼井敏男さん(68)は「うわさや推測はたくさんあった。分からないことだらけの事件だった」。

 発生から時効成立まで16年間、一貫してこの事件の取材を担ってきたのは、樋田毅さん(65)だ。「テロリストを養成したい」と話す右翼活動家の自宅で、明け方まで議論したこともあった。編集現場は離れ定年後の再雇用の職場で働くが、今も本業の合間をぬって情報を追い続けている。「取材を続けている限り、まだ負けていないと言えるから」

 意見や立場の違いがあっても、暴力によって人の命を奪っていいはずがない。記者は、この事件を忘れずに追い続ける。
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朝日新聞社

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特集:阪神支局襲撃から30年
タイムライン:記者襲撃、あの夜から
動画ページ
最初に撃たれた東京本社 襲撃事件前、見逃された予兆

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最終更新:5/3(水) 16:40
朝日新聞デジタル
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