[過去ログ] 【輿石東】山梨県教職員組合6【不登校全国1位】 (883レス)
上下前次1-新
抽出解除 必死チェッカー(本家) (べ) 自ID レス栞 あぼーん
このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています。
次スレ検索 歴削→次スレ 栞削→次スレ 過去ログメニュー
287(2): 2009/08/20(木)17:02 ID:G+k8KOS+(1/6) AAS
甲府市の教育研究協議会が発足したのが昭和41年です。その10周年を記念して、昭和50年に
「甲教協10年のあゆみ」という記念誌が発行されました。(以後10年ごとに発行されています。)
それを読むと、甲府市の教育研究協議会の発足時の様子がよくわかります。
↓表紙
画像リンク[jpg]:www.dotup.org
↓中綴じの写真集
画像リンク[jpg]:www.dotup.org
(S47年に甲府で行われた日教組全国教研集会の様子、山教組県教研集会などの写真があります)
↓座談会:教育研究協議会の発足当時の様子を、その当時の役員の座談会形式の記事です。
画像リンク[jpg]:www.dotup.org
省11
288: 2009/08/20(木)17:05 ID:G+k8KOS+(2/6) AAS
>>287
訂正
田村要氏(校長会)、渡辺正道氏(教頭会)、石原莞爾氏(山教組甲府支部執行委員長)
森川誠一氏(支部副執行委員長)、上田忠則氏(支部書記長)、末木利彦氏(支部教育文化部長)
教育研究協議会、毎年多額な補助金が出されています。
289(1): 2009/08/20(木)17:21 ID:G+k8KOS+(3/6) AAS
>>287
内容を一部抜粋
上回:研究協議会をつくる必要性は私も二つあったと思います。一つは研究組織を一本化しようということ。
一本化された研究組織がないため種々の不都合が生じたということです。もう一つは管理職の組合離脱という
ことで,教育についてすべての教職員がひとつになって語り合う場がないということ,その場を何とかつくり
たいということでした。私が書記長になった時は,すでに,2年くらいにわたって新しい組織をつくり出す
ための努力がなされていたのですが,なかなか三者の意見の一致をみなかったのです。
甲教組として悩んだことは日教組教研につながる組合教研がどうなるのか,十数次と続いた教研が立ち消えに
なりはしないかということでした。この問題は研究協議会の研究をもって日教組教研につながる教組教研とする
という形で解決をみました。
省6
290(1): 2009/08/20(木)17:26 ID:G+k8KOS+(4/6) AAS
>>289
(続き)
石原:35年頃校長会が教育会から脱退していき,続いて教頭も脱けました。組合員の中にも校長や教頭が
入っていない教研にさみしさや,研究会を持つことについての不安がありました。一方市の教育委員会では,
つぎからつぎへと色々な研究会をつくってきたために, 自主教研が教委にリードされてしまうではないか
という不安が出てきました。この問題は三者の研究協議会の発足で解決できるということで組織化が進みま
した。校長,教頭の中にも研究会の日には学校にとり残されるという気持があり研究組織の一本化を望んで
いたと思います。精神的な底流としては,このままでは自主教研(注:日教組教育研究のこと)がどうなる
のかという危機感がいく年か続いていたと理解します。当時東八方式が成果をあげ,大きな刺激を与えたこ
とも,協議会を生んだ大きな要因になるでしょう。
291(1): 2009/08/20(木)17:30 ID:G+k8KOS+(5/6) AAS
>>290
(続き)
渡辺:管理職の側には,研究協議会をつくることにより,学校の自主的な研究が弱められはしないか,教育の
流れというものが組合的なものに変えられはしないかという心配を持つ人が多くありました。問題は決議機関
でした。組合の発言力が強くなり,校長,教頭の発言が押し切られるという心配もありました。それに対して,
まず組織をつくって協力し合ってみて,それから考えてもいいのではないかという意見が出され,気持もだんだ
んほぐれていったと思いますが……。
上田:もっとも苦しかったのは,研究協議会を個人加盟制にしろという強い意見が出された時です。協議会があれば
組合は不要だ、という一部の校長の意見に甲教組が強く反発し交渉は暗礁にのり上げてしまいました。交渉は決裂して
しまったのですが,その時の剣幕が逆に双方の歩みよりをみせ,急速に団体加盟の協議会結成へと進んでいったように
省1
292(1): 2009/08/20(木)17:37 ID:G+k8KOS+(6/6) AAS
>>291
(続き)
渡辺:当時は組合の意をつくした説明が足りなかったのではないですか。
森川:我々が積み上げてきた研究活動(注:日教組教育研究)が保障されるということ,教育の中立性という
ことを考えていけば三者が一つになれるんだということ,三者の内政不干渉というととをたてまえとしていけ
ばまとまるというようなことを,たしか当時の田中教育長が言われ,一つのきっかけをつくっていったという
記憶がぼくにあるんですけど・・・・・
上田:一致点でできるだけ運営していこう, そしてなまのイデオロギーは持ちこまないようにしていこう。
その組織的な保障として.決議機関は,校長1,教頭1,教育会2という比率でいくということになったと思います。
しかし,幹事会の構成は,各組織から同数を出そうということにしました。三者が一致できないような提案は
省3
上下前次1-新書関写板覧索設栞歴
スレ情報 赤レス抽出 画像レス抽出 歴の未読スレ AAサムネイル
ぬこの手 ぬこTOP 0.130s*