[過去ログ] ソ連の対独戦勝は米英のレンドリースと戦略爆撃のお陰? (969レス)
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721: 2017/05/25(木)10:11 ID:8AKRzDdx(1/2) AAS
>>719
>実際、米国は対ソ連レンドリース用の型落ちトラック生産して、ソ連の各方面軍の兵站をささえていた
ならナチ軍の『兵站』はどうなんだ?
西部方面においてと同様に、ドイツ指導部は東部においても電撃的な攻撃と
勝利を見込んでいた。そのため、それに対応する数の捕虜が生じることになった。
東部経済本部部長だったヴィルヘルム・シューベルト陸軍中将の報告からは、
飢餓による捕虜の集団死亡が計画に入れられていたことが明らかになる。
各省の次官に宛てたこの報告は、征服されるべきソ連地域の農業搾取を扱った
ものだった。その中には一九四一年五月二日付けで次のように記されている。
「戦争の三年目(一九四一年から一九四二年にかけて)において全国防軍を
省6
724(1): 2017/05/25(木)10:21 ID:8AKRzDdx(2/2) AAS
>>722
>ソ連が自国だけで消耗戦を戦い抜いたとする方が生産工学史上、よほど神話めいてる。
米国もまたソ連の対日参戦を不可欠としていたのだから、米ソの取引関係は『対等』なんだが?
また、1941年12月7日の日米開戦以降、米国はソ連に対して対日参戦をさせようと圧
力を強めていったが、ソ連はこれに対してあらゆる口実を設けて応じようとしなかった。
12月16日、ルーズベルト大統領はソ連最高指導者のヨシフ・スターリンに、ソ連、中国、
英国、オランダ、米国の各国代表による会議を速やかに重慶で開催したいと提案し、さ
らにモスクワで米英中の大使とソ連首脳との会談を行うことを提案したが、ソ連はこれ
にも応じなかった。
その後も米国は再三にわたってソ連の対日参戦を促しているが、ソ連の態度は変わら
省10
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