[過去ログ] 日本人どこから来たんだ?15 (881レス)
上下前次1-新
このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています。
次スレ検索 歴削→次スレ 栞削→次スレ 過去ログメニュー
693(1): LUNAMASK 2010/07/24(土)16:10 ID:8v4WeJ6Z(6/11) AAS
更に、ヨンサマ冬のソナタのロケ地春川市中島方面にまでポリツェ鍛鉄製品が南下して
いる。七支刀のような鍛鉄製品はポリツェ・邑婁族が作ったものだろう。
694: LUNAMASK 2010/07/24(土)16:16 ID:8v4WeJ6Z(7/11) AAS
これとは別にウラジオにはマグロ漁を行い、貝塚を築く文化があったが、低温化による
海岸線の荒廃で消滅している。倭人伝の豆と同じなのか高坏土器を使用していた。
これはおそらく倭人の北方にあった盖(がい)国であり、近辺に盖馬という名前の山が
ある。
695(1): LUNAMASK 2010/07/24(土)16:26 ID:8v4WeJ6Z(8/11) AAS
こういうと縄文人が大陸に押し寄せたんじゃないかと思われるだろうが、沿海州
から半島にかけてはD1も、縄文と似た新開流文化というのもあり、昔は縄文的
文化は日本海の両岸に広がっていたんだろう。
696(1): 2010/07/24(土)16:38 ID:D11MxrN7(2/2) AAS
>>695
日本海が湖だった頃の話ですか?
697: LUNAMASK 2010/07/24(土)16:57 ID:8v4WeJ6Z(9/11) AAS
Xinkailiu文化前4000(BP6000)年、Yankovsky(貝塚、マグロ)文化前1100年→、
Krounovka文化前800年→、Poltse文化前500年→、靺鞨文化紀元0年→ 後渤海、
金、元・・・Poltse南下はKrounovkaの水石里移動をもたらしたのだろう。
698(3): LUNAMASK 2010/07/24(土)17:16 ID:8v4WeJ6Z(10/11) AAS
>>691
>新羅海賊に出世して倭国に度々侵入
これって、五芒星が分布する尾張・海部と重なり、ひょっとして尾張・海部族の
御先祖かも。C3くさい。これは粛慎C3cを飛び越え鮮卑・匈奴C3と同類。
699: LUNAMASK 2010/07/24(土)17:26 ID:8v4WeJ6Z(11/11) AAS
外部リンク[html]:www.maibun.com
↑おそらくこれはポリツェ族を含む尾張海部族が初めて持ち込んだ商品だったのでは。
700: 2010/07/24(土)17:34 ID:ckiaFy//(1) AAS
粛慎→ユウロウ→粛慎
五胡十六国の時代は粛慎と呼ばれる
よって同一である可能性大
701: 2010/07/24(土)18:24 ID:URUfe1Lv(1) AAS
>>692 >>日本では岐阜とか、千葉に養老という地名があるが、どうもくさいね。
・・・?婁(ゆうろう、?音:Yìlóuはエフロウで、養老yanglaoヤウラウとは発音がちがう。
702(3): 2010/07/24(土)20:03 ID:4Xk33hTY(1/8) AAS
わぉ〜わぉ〜、月光たん(^-^)/
>>687
天孫族である古代イ族が前方後円墳を造らせたんでつね!!!
わぉ〜わぉ〜、ドレミたん(^-^)/
>>606
中国でも日本人の源流が古代イ族であることを認めているんでつね!!!
703(2): 2010/07/24(土)20:06 ID:4Xk33hTY(2/8) AAS
そんでもって月光たん!!
>>698
五芒星の尾張・海部族は「稲作文化をもつ海神族」でつよ〜!!
LUNAMASK:2010/03/25(木) 12:51:12 ID:WNZduykI
承前
この稲作文化をもつ海神族というのが海部であり、久留米の方から、ニギハヤヒ、
ホアカリ等を奉じて丹後半島に上陸濃尾平野に入るというコースをとったんでしょう。
704(3): 2010/07/24(土)20:16 ID:4Xk33hTY(3/8) AAS
わぉ〜わぉ〜わぉ〜
これが「稲作文化をもつ海神族」である尾張・海部族の文化でつね!!
↓
LUNAMASK:2010/03/25(木) 12:47:33 ID:WNZduykI
火祭
外部リンク:ja.wikipedia.org
これは「稲作文化をもつ海神族の文化」だが、起源は背振山東南↓
鬼すべ - 福岡県太宰府市、太宰府天満宮
鬼夜 - 福岡県久留米市大善寺、大善寺玉垂宮
火振り神事 - 熊本県阿蘇市、阿蘇神社
省3
705(3): 2010/07/24(土)20:26 ID:4Xk33hTY(4/8) AAS
わぉ〜わぉ〜わぉ〜
>>606
>>704の「稲作文化をもつ海神族の文化」が、四川・雲南の古代イ族が日本人の源流であることの根拠なんでつね!!
>>606の文献にある紀伊半島の祭りとは、新宮のお燈まつり祭りや那智の火祭りのことでしょう〜(^-^)/
706(1): ドレミ ◆YeeMODUSQg 2010/07/24(土)21:38 ID:cMAFapfT(2/7) AAS
>>705
自分は、稲作文化はありえない気がしてきました。
チベット・ビルマ系民族の南方での東限は、湖北省宣昌であり
武漢とかに進出したらマラリアでバタバタ死ぬでしょう。
よって、日本でも奄美や沖縄には居住適性がないでしょう。
古代イ族は南方の尼蘇人やその近隣のハニ(哈尼)族ではなく、黒彜の分派のはずです。
湖北省宣昌から、長江を東進した民族は白馬氏がいうように存在しないと・・・自分は思います。
707(2): 2010/07/24(土)21:59 ID:4Xk33hTY(5/8) AAS
わぉ〜わぉ〜
>>706
そういえばドレミたんも四川・雲南からの南方系渡来ルートはないと言ってましたね〜(^-^)/
【金沙遺跡で日本の神社建築のルーツを発見=祭祀用の高床式建物―四川省成都市】
外部リンク:headlines.yahoo.co.jp
では日本列島に稲作文化をもたらしたのは、どの民族とドレミたんは考えているのかな??
708(1): ドレミ ◆YeeMODUSQg 2010/07/24(土)22:04 ID:cMAFapfT(3/7) AAS
>>702
中国人は江南倭人説は認めていないけど、残念ながらこっちは拒絶反応が無いもので・・・
多分、日本でも「雲南殺人祭り」があって、先住民が滅んだんだー!わーお!っぽい感覚ではないかと。
大涼山のほうの話題は気が滅入るので・・・
1930年代の四川・雲南の辺境の写真があると聞いて探してみたら
外部リンク[htm]:www.peopleschina.com
これは、今のチベット族嘉戎人と近縁の阿バ州の理県付近で確定でしょう。
画像リンク[jpg]:www.peopleschina.com
庄学本
外部リンク[php]:zhuangxueben.artron.net
省6
709(1): 2010/07/24(土)22:05 ID:4Xk33hTY(6/8) AAS
わぉ〜わぉ〜わぉ〜
>>707
【金沙遺跡で日本の神社建築のルーツを発見=祭祀用の高床式建物―四川省成都市】
>祭祀を取り仕切る蜀王だけが登ることを許されていたと推測されている。
>中国の古代建築物の専門家、楊鴻[員力](ヤン・ホンシュン)教授は
>この建物を「古蜀大社」と名付け、日本の神社の原型だと述べた。
古蜀大社はすなわち古代イ族の神社で、日本の神社の原型なんだお〜(^0^)/
710: 2010/07/24(土)22:10 ID:CLeksyOO(1) AAS
>>696
津軽海峡は最浅140mなので
最終氷期でも日本海は津軽海峡で太平洋と繋がっていた
塩水だったと思われるので湖と言うより地中海のような海だろう
711(1): ドレミ ◆YeeMODUSQg 2010/07/24(土)22:17 ID:cMAFapfT(4/7) AAS
>>707
これ>>505からすると、日本も最初はインディカ米(長粒米)じゃないと辻褄があわないですね。
中国大陸で、ジャポニカ米は東北大米と呼ばれる傾向があり、今は黒龍江省が主な生産地です。
准河以南の60年前の農業では、(文献上は)長粒米の栽培が主流です。
よって自分的には、稲作文化の担い手は、室韋(しつい)か扶余(ふよ)のほうが、辻褄があう気がするんですよ。
これは、あくまでも、LUNAMASKさんみたいにジャポニカ米にこだわる場合からでる結論です。
日本の古代の栽培種がインディカ米(長粒米)という前提ならば、タイ系民族があり得るのではないかと思います。
712(7): 2010/07/24(土)22:38 ID:Nvs1IcHj(1) AAS
「縄文人」について、ちと参考までに。
『縄文文化は東アジアの中で孤立してはいないし、むしろ東アジア的世界の一翼を担っていたとも言える。しかし、一方で日本列島
独自の展開を見せていることも事実である。そして幸か不幸か現代の日本国の領土とおおよそオーバーラップしているので
あるが、それはあくまで結果として一致しているのである。--(略)---少なくとも研究をする上で、日本列島周辺と比較することは重要
である。縄文時代に日本列島の範囲を示す文化要素の存在は、縄文文化の範晴を示すものとして、 「縄文式」土器の概念(日本列島
各地の縄文土器型式が列島外とは一線を画して、相互に結び付き合って一つのまとまりを示していて、これらの土器型式群の総称
として縄文式土器、縄文土器がある)として設定しうることを、土器型式以外の要素から証明することにつながると私は考える。』
---「文化としての縄文土器型式」 川崎保著 P187より一部抜粋
>日本列島各地の縄文土器型式が列島外とは一線を画して、相互に結び付き合って一つのまとまりを示していて、
>これらの土器型式群の総称として縄文式土器、縄文土器がある
省22
上下前次1-新書関写板覧索設栞歴
あと 169 レスあります
スレ情報 赤レス抽出 画像レス抽出 歴の未読スレ AAサムネイル
ぬこの手 ぬこTOP 0.024s