[過去ログ] 加藤綾子 Part 151 (1002レス)
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243
(1): アルファラジュ 2022/04/14(木)14:42 ID:xgwNVSqt(1) AAS
よわふぎ
>>242

> >>241
> 失礼ですが理解されているとはお見受けできませんね
> 数えきれないほどの人のガヤトリに対する信仰と想いは、目に見えない領域に潜在的な力としてそのまま残っています。
> 過去のガヤトリの信仰者によって創られた階段の助けを借りて、私達はやすやすとガヤトリの行の果実を手に入れる事ができます。
> 過去の偉大な探求者達が極限的な厳しい修業で得たものと同じくらいの恩恵をガヤトリの勤行をすることにより、急速かつ自然に受け取る事ができます。
> ガヤトリマントラほど強力なエネルギーを保持するヴェーダのマントラはありません。
> それゆえに小さな努力によるガヤトリの勤行を通して、大きな利益が得られるのです。
↑↑↑↑↑↑
省2
249
(1): アルファラジュ 2022/04/14(木)14:50 ID:0TJhVxQx(22/39) AAS
>>243
真面目に話す気がないのなら出てって頂きたい

声と聴覚は脳内で密接に関わっています。「聴覚のフィードバック効果」といって、オーセンティック・ヴォイスを出せるようになると、みるみるうちに現実に変化が起きると言います。
声によって健康面はもちろんのこと、性格から容姿まで変わってしまうそうですから、決して「声の力」を侮ってはいけません。そうした変化が起きるということは、声が人間の意識の深いところにまでつながっている証しなのではないかと私は思います。
なぜ念仏を称えるだけで「無の境地」になれるのか 「声の力」を最大限に利用して、みずからの宗教体験を深めた人として私が想起するのは、鎌倉時代に専修念仏を広めた法然上人です。 私はもともと禅宗の僧侶だったのですが、法然さんの日本思想史上における大きな働きに注目して、アメリカ留学中に法然研究を始めました。禅のほうでも、何時間も坐禅を続け、禅定が深まってくると、幻視体験が起きることがあるのですが、すべて魔境、つまり幻覚として否定されます。
ところが、法然さんは自分の念仏信仰の核心に幻視体験を据えていました。私はなぜそんなことが起きるのか、その理由を探り続けたのですが、その結果、彼が実践していた口称念仏には「声の力」が重要な位置を占めていることに気づきました。法然以前、平安時代にも念仏行者はいたのですが、たいていは観相念仏、つまり心の中で念仏を称え、阿弥陀の姿を想像するというやり方だったのです。
私は最初、極めて単純な念仏を口で称え続けるだけで、なぜ法然さんが深い神秘体験が持ったのか、不思議に思いました。しかし、単純な言葉を反復することにこそ、大きなポイントがあったのです。よく知られていることですが、マラソン選手は走っているうちにランナーズ・ハイになることがあります。
同じように水泳選手も、泳いでいるうちにスイマーズ・ハイになることがあります。それは単純な動作を反復することによって、意識の状態が変わっていくことを示しているように思われます。
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