[過去ログ] 最近の世界救世教いづのめ教団で思うこと (218レス)
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19: 2019/09/20(金)02:26 ID:lhg6j+9jB(1/4) AAS
写真の考察の続き。
自分でも、しつこいと思うけど、ちょっと、ショックだったこともあったので、書いてみたい。
写真の「視線」とでも言うのだろうか?それを確認することで、どこの位置から撮影したかが確認できる。
たぶん撮影場所は、14列目の廊下だろう。
想定される、写真の位置から、この写真を撮ったとすると、右側の茶髪の人とのラインと、左側の指定席に座っている白い服を着た人とのラインで挟まれるイスの数を数えてみる。
一番手前をどこにするのかが、問題なので、10列までとする。
数えてみると、37席ある。
20: 2019/09/20(金)02:35 ID:lhg6j+9jB(2/4) AAS
写真で該当するところの頭の数を数えてみると、24〜25。
この推測が正しければ、写真の3分の1近くが、空席になる。
当然の事ながら、私の頭の数え方が、間違っている可能性は否定しない。
しかし、想定される撮影位置からであれば、もし、本当に満席に近ければ、右側が頭が、重なり、数えることが出来ないのではないだろうか?
写真右側をみると、頭が重なって無く、一つ一つ数えることが出来そうに見える。
とすれば、それだけ、空席があったのではないだろうか?
写真右側は、かなり空いていたのではないだろうか?
21: 2019/09/20(金)02:38 ID:lhg6j+9jB(3/4) AAS
さすがに、参拝者が50名を切っていたとは、思いたくないが、実数として70〜80名程度だったのではないだろうか?
22: 2019/09/20(金)23:58 ID:lhg6j+9jB(4/4) AAS
Facebookをみたら、「パンフレット、及び、リーフレットの増刷が決定した」と出ていた。
正直に言って、「なんで、これがニュースになるのだろう?」と疑問になった。
しかも、どうも、すごい喜んでいるでいるようだ。
「パンフレット」だから、配って当たり前、無くなれば、増刷をして当たり前。
既に、無くなっていて、かつ、配りたいという要望があるが、何らかの事情で、増刷が出来なかった。ということであれば、ニュースとして価値はあるだろう。
しかし、どうも、文章的には、
配ってもらって、無くなった。
事を喜んでいる感じがする。
だとすれば、このネタは、パンフレットを作った人たち以外、あまり意味がないはずのもの。
何故、載せたのだろうか?
23: 2019/09/21(土)00:05 ID:MWeLahCJg(1/2) AAS
考えられる可能性の一つは、「載せた人は、何も考えていない」という可能性がある。
「載せるものと、載せないもの」の識別が出来なくなって、「自分達にとって、意味があることを載せている。」
Facebookを「誰にも、見せるつもりが無い」という可能性だ。
もう一つの可能性は、様々な関係者に「自分達は、頑張っているし、信者さんも味方してくれいる」と言うことを見せるためだ。
要するに、「いづのめ教団は、もう危ない」と思っている人たちに、「そんなことは、ありません」と示すことだ。
後の可能性の方が高いような気がする。
「いづのめ教団」のFacebookを見ていると、どうも、「外部への広報」というよりも、「自分達は、まだまだ、元気です。」と言うこと「誰か」に示すことが目的のように見える。
24: 2019/09/21(土)00:13 ID:MWeLahCJg(2/2) AAS
そんなことをしていて大丈夫なのだろうか?「元気」だったら、「視点」が外に向かうのではないか?
今のFacebookの視点は、内向きだと思う。
ホームページも更新がなされているように、見えない。(更新は、Facebookを通してで、Newsは、3年前から変わっていない)
「教団」として、全体に、「外向き」の視点と「元気」が無くなってきているのではないか?
25: 2019/09/22(日)01:57 ID:QiCeyWDrA(1) AAS
いづのめ教団のFacebookに、「ほほえむ」の写真が載っていた。
普通は、「表紙」を出すと思うのだが、「中身」を出してきた。
どうしてだろう?
26: 2019/09/23(月)01:51 ID:HVK+vKIqk(1) AAS
「ほほえむ」というのには、「浄霊体験」が載っているらしい。
あれほど、「宗教的なこと」を避けてきたいづのめ教団としては、珍しいと思う。
どんな内容が書いてあるのか、少し、興味がある。
27: 2019/09/24(火)00:22 ID:06wk8RPwh(1/4) AAS
世界救世教には、「景仰」というのがある。
この本の「刊行によせて」という文章の中に、
本教信仰の向上は、一口に申して”教祖明主様(岡田茂吉)に近づくこと”であると思います。
と述べられています。
また、世界救世教いづのめ教団の売店で、この「景仰」が販売されているのでが、そこにあった宣伝パンフに
その体現者でいらっしゃった
とある。ここでは、「実践者」ではなく、「体現者」と表現されている。
このことは、
省5
28: 2019/09/24(火)00:27 ID:06wk8RPwh(2/4) AAS
別の表現をすれば、
世界救世教いづのめ教団の目的は、教祖(岡田茂吉)のような人を増やすこと。
という事だろう。
世界救世教いづのめ教団の目的を
岡田茂吉のような人を増やすこと
と理解することによって、世界救世教いづのめ教団の
省2
29: 2019/09/24(火)00:33 ID:06wk8RPwh(3/4) AAS
さて、ここで、ちょっとした問題がある。
いま、「世界救世教いづのめ教団」は、「包括法人 世界救世教」の「被包括団体」だ。
「世界救世教」のホームページにある、「信徒のページ」にいくつかの文書があるが、この文書中で、「明主様模範説は、間違いだ」と書かれている。
世界救世教いづのめ教団は、明らかに「明主様を模範」といしているみたいだが、問題はないのだろうか?
30: 2019/09/24(火)00:43 ID:06wk8RPwh(4/4) AAS
包括団体と被包括団体の関係は、私はよくわからないが、「包括団体」に「間違い」と書かれていることを堂々とやっているということはどう言うことだろうか?
包括団体は、被包括の事柄については、一切口を出せないのだろうか。
逆に、被包括の側から包括側に、「そのようなことを載せてもらっては困る」というクレームが出なかったのだろうか?
それとも、「信徒のページ」に載っているものは、信徒が、勝手に言っていることで、世界救世教は関係ないのだろうか?
世界救世教は、そんなに信徒に対する指導力がないのだろうか?
実は、「包括団体 世界救世教」にとって、「被包括団体 世界救世教いづのめ教団」は、「世界救世教」と名乗ってはいるが、「世界救世教」とは、全く別の団体で、早晩、包括被包括関係を解除することが決まっているのだろうか?
そんなことを思ってしまった。
31: 2019/09/25(水)01:39 ID:dVWIjr+m9(1/4) AAS
最近、世界救世教の古い新聞を読む機会があった。
その中に、
神様に、御縋りし「きる」事が、大切だ。
という内容があった。
「縋る」だけではだめで、「きる」事が大切だという。
どういうことだろうか?
それは、相手(この場合は、神様)を絶対に信じ切るという事だろう。
それは、相手の力や技だけではなく、誠意や善意、そして、愛を信じきる事だろう。
信じ切って、相手に全てを任せるだけでなく、自分の全てと、その結果を委ねていくというではないだろうか?
相手に「任せる」というのは、相手に対する信頼を表すことだが、「委ねる」は、より深い信頼を相手に置いていることだと思う?
32: 2019/09/25(水)01:50 ID:dVWIjr+m9(2/4) AAS
さて、先日、世界救世教いづのめ教団において、
「委ねる」という言葉は、岡田茂吉の著作物で、「教え」として教団が
採用しているものの中に無いので、「委ねる」を使った、「教え」は、
岡田茂吉の「教え」ではない。
という見解が出たという話を聞いた。
前述のように、古い新聞に、「縋りきる」という言葉が使われ、「神」に対する信頼の重要性を説いているのだから、「委ねる」という事が、より一層の神への信頼を表していることは、明白だ。
岡田茂吉も「お任せせよ」というという事を書いていると聞いている。岡田茂吉自身が、「神への信頼」を「お任せせよ」という言葉で説いているのに、より深い、信頼を表す「委ねる」を「言葉を使っていない」という理由で禁止するとは、とんでもない錯誤だと思う。
余りにも、形式主義的すぎて、心配になる。
33: 2019/09/25(水)01:59 ID:dVWIjr+m9(3/4) AAS
「神への信頼」を表す、「委ねる」を禁止した世界救世教いづのめ教団は、結果的に、「神への信頼」を結果的に否定したことなるのではないか?
むしろ、「委ねる」という言葉に表される、「神への信頼」に対して、違和感を感じたから、世界救世教いづのめ教団は、「委ねる」を禁止したのではないだろうか?
「神への信頼」を「拒否した」と言うことは、「神」に対して、「縋りきる信仰」も禁止したことになる。
「古い新聞」を見ていると、「現当利益をいただくためには、縋りきることが大切」と言っている。
「縋りきる」事を禁止した、世界救世教いづのめ教団は、大丈夫だろうか?
34: 2019/09/25(水)02:05 ID:dVWIjr+m9(4/4) AAS
何故、「心配」かと言えば、「世界救世教いづのめ教団」の「本来」の「売り」は、「現当利益」だ。「現当利益」を売りにしていることは、最近の
Facebookの中に、「現当利益があった」という記述をみたので、変わっていないと思う。
なので、「現当利益」があるための「本来」の道を、閉ざしてしまった世界救世教いづのめ教団に未来は、あるのだろうか?
あったとして、それは、岡田茂吉が世界救世教を設立したときに目指した、「神への道」と同じなのだろうか?
そんなことを思った。
35: 2019/09/26(木)01:43 ID:whraymWP2(1/5) AAS
世界救世教いづのめ教団は、
岡田茂吉は、宗教をしたかったわけではない。
と言っているらしい。
どうも、
「宗教団体」になったのは、「時代」のせいだ
と考えているようだ。
「宗教をしたくなかった」とはどういう意味だろう?
一番簡単な解釈は、
省4
36: 2019/09/26(木)01:47 ID:whraymWP2(2/5) AAS
一番合理的な解釈は、
自分の考え方が、当時の常識からかけ離れていたために、周りを納得させるために、
神から教えられた
と言った。
だろう。
37: 2019/09/26(木)01:54 ID:whraymWP2(3/5) AAS
最近の世界救世教いづのめ教団の動きは、「岡田茂吉は、『神はいない』と考えていた」と思っているからではないだろうか?
ならば、早々に宗教法人を解散して、全く別の団体になった方が、良いのではないか?
38: 2019/09/26(木)23:42 ID:whraymWP2(4/5) AAS
世界救世教いづのめ教団には、岡田茂吉が識者に対して、メモを取り学ばれたことを
「識者」に対する接待だ。
という指導者がいるという。
この人は、
岡田茂吉は、全てを知って生まれ、「学ぶ」と言うことは、一切無かった。
というのだろうか?
岡田茂吉の人生を見れば、若い頃には、様々な後援会へ行ったり、様々な哲学書を読み、学んだことは明白だ。
人生の最晩年でさえ、美術館を建設するために、様々な美術の勉強をしたらしい。
むしろ、岡田茂吉の本当のすばらしさは、「教祖」といって崇めれられるようになっても、分からないことは、分からないといい、素直に勉強をし、識者に対して、頭を下げたことではないか?
岡田茂吉は、「新人たれ」と言った。「常に、進歩向上を怠ってはいけない。」と。
省4
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