[過去ログ] 真如苑 vol.114 (849レス)
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(1): 2019/04/16(火)08:07 ID:LJnsuH7rn(1) AAS
初禅とは禅定の第一段階です。(どのように初禅を極めるのがベストかについては、次スレにおいて皆で議論を深めることにして)
このカルトでは接心を禅であるかのように宣伝したりするのでーそもそも初禅かどうかも議論が分かれるような状態なのに―、
禅ならざるものをそれのように信じさせられているのは、まさにカルトのマインドコントロールの一つといえます。
マハルシは醍醐寺よりずっと高級です。ブッダシャキャムニはもともとバラモン教の修行から始めて、それを超える新興宗教である仏教の基礎をつくったのですが、
残念なことに仏教史の展開の中で仏教の独自性は薄められ、また元に戻ってしまった面があり、醍醐寺などはその極端な例かもしれないのです。
カルトを幼稚園とすればマハルシは小学校の最初のほうで教わるべき基礎的知識、つまり世界の宗教には差異もあるけれど共通点もあり、
ブッダが涅槃に赴いたあとでも、あちらの宗教の中ではブッダにやや近い変種も出現してるという一例でもあり、またさらにすすんでは瞑想の中で思索の対象にもなり得る
課題を提供してくれる賢人の一人だと思われます。
また仏教としての筋道からいって、まず無我を説くのが常道であり、五蘊非我という解釈もあるにせよ
いきなり常楽我浄などと教えるのは方向違いで、そんな教え方をする必然性についてじゅうぶん説明責任を果たしていないと感じます。
チベット密教でさえ初転法輪(四聖諦・八正道・中道・無我相)、第二法輪(空、法無我)、第三法輪(如来蔵思想、真識=真言密で言えばケンリツダヤ識など)と筋道に沿って説くのに,無我を説かず、
盲信の種を識の表層レヴェルに撒いて組織エゴと(その一部分になった)個我への執着を増長させる幼稚な洗脳
よりは、真我の瞑想を教える非仏教のほうがまだ謙虚誠実であるように思えます。
尤もマハルシの場合、インド古代思想からの伝統に支えられた深い思弁と体験が根底にあるので、比較のしようがありませんけどね。
(そうした基盤の上にブッダシャキャムニは滅尽定に至る禅定を完成した。五蘊無我の修習もその為の方法論でした。)
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