GLA【高橋佳子】の死生観 (562レス)
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1: 2017/12/05(火)08:45 ID:pFvMserwe(1) AAS
 このスレッドは、宗教法人GLA(主宰:高橋佳子)の死生観、その他、宗教法人GLAに
関する話題を議論するスレッドです。
 GLAでは、「人間は永遠の生命を抱く魂の存在」と捉え、「死んだら終わり」
ではなく、魂はこの世(現象界)とあの世(実在界)を往還しながら、進化と成長を
果たしてゆく「円環的人生観」が説かれています。さらに、そのような死生観に基づき、
GLAでは独自の葬儀や人生祈念館への人生記録・ご遺骨の奉納、特別供養などの葬送が
行われていること、そのことによって人生がまったく変わり、希望と安らぎを得ている
会員の実践についても日々発表されています。
 しかし、GLAの死生観について、若干の疑問の声があることも事実ですので、ぜひ、
GLA会員の皆様からのご教示をお願いします。
省5
2: 2017/12/15(金)15:05 ID:wZC1FExdL(1) AAS
2chスレ:psy
GLA【高橋佳子】の死生観

本家(5ch)にスレが立ちましたので、5chで議論しましょう。

ここは、非常用ということで。
3: 2018/10/01(月)08:51 ID:RvMSgHq84(1) AAS
hoshu
4
(1): 2018/11/08(木)11:56 ID:Alauurl5F(1/7) AAS
2chスレ:psy

2chスレ:psy

上のスレッドの続きを、ここに書くことにする。

GLAで様々展開されている神理実践は、「狭域神理実践」と、
「広域神理実践」に分類することができるだろう。

「狭域神理実践」とは、自分自身、自分の家族、自分の職場等に
満ちる困を解決してゆく神理実践であり、
「広域神理実践」とは、社会全体に満ちる困、より多くの人々が
関わっている困、様々な人の利害が対立している困を解決してゆく
神理実践である。
省9
5
(1): 2018/11/08(木)11:57 ID:Alauurl5F(2/7) AAS
佳子先生のご著書には、広域神理実践を果たした会員の実例が
数多く掲載されている。GLAのことをよく知らない人が佳子先生の
ご著書を読むと、「GLAとは、様々な人が、次々と広域神理実践を
果たしてゆく団体である」と認識するかもしれない。

しかし、GLAのことをよく見てみると、全く矛盾する姿を目にする
ことができる。それは、佳子先生から頂いた「千年構想」、
「7つのプログラム」を放置し続けているGLAである。

例えば「通信ネットワーク環境の整備」というテーマについて見てみよう。
高齢者、病人など、自分で簡単に動けない人が集いに参加するためには、
介護者や自動車等を手配しなければならず、手配できなければ集いに
省6
6
(1): 2018/11/08(木)11:58 ID:Alauurl5F(3/7) AAS
佳子先生は「通信ネットワーク環境の整備」というテーマを明示され、
さらに(本来の用途を伏せた状態で)「インターネットを通じた
画像配信システムを構築して下さる」という形で解りやすいヒントを示して
下さっている。それにもかかわらず、GLAは「何もできないGLA」という
姿を晒し続けている。

佳子先生のご著書等に現れている「次々と広域神理実践を果たしてゆくGLA」と、
「千年構想」、「7つのプログラム」に現れている「何もできないGLA」。
2つのGLAの姿のうち、どちらが本当のGLAの姿だろうか?

それは、「何もできないGLA」というのが本当の姿なのだ。

では、ご著書等に現れている「次々と広域神理実践を果たしてゆくGLA」
省2
7
(1): 2018/11/08(木)11:58 ID:Alauurl5F(4/7) AAS
佳子先生のご著書等に現れている広域神理実践には、ほとんど、
「佳子先生の御助力」が付随している。「御助力」は多岐にわたる
場合もあれば、非常に些細なものに見える場合もある。

例えば、佳子先生が会員に対して、「この問題をあなたと責任として
背負うことはできないだろうか?」と問いかけられ、その会員が、
その問いかけによって目覚め、その後は一切の御助力を頂くことなく
広域神理実践を果たしたとしよう。

一言だけ問いかけられるというご助力は、非常に些細なように見える
かもしれないが、その御助力が無ければ、その広域神理実践は、
絶対に成立しなかったものである。だから、その広域神理実践は
省7
8
(2): 2018/11/08(木)11:59 ID:Alauurl5F(5/7) AAS
そのときのGLAの姿は、法華経の中で「化城宝処の喩」として既に予言
されているように見受けられる。
この喩は、Wikipedia の内容を引用すると、次のようなものである。
-------------------------
宝のある場所(宝処)に向かって五百由旬という遥かな遠路を旅する
多くの人々がいた。しかし険しく厳しい道が続いたので、皆が疲れて止まった。
そこの中に一人の導師がおり、三百由旬をすぎた処で方便力をもって幻の城を
化現させ、そこで人々を休息させて疲れを癒した。
人々がそこで満足しているのを見て、導師はこれは仮の城であることを
教えて、そして再び宝処に向かって出発し、ついに人々を真の宝処に導いた。
省11
9
(1): 2018/11/08(木)12:00 ID:Alauurl5F(6/7) AAS
「この問題をあなたと責任として背負うことはできないだろうか?」
と佳子先生から問いかけられて広域神理実践を果たせる人は、
自分で「動機付け」ができない人であり、何の御助力も頂かず
広域神理実践を果たせる人は、自分で「動機付け」ができる人である。

両者の間には、見た目以上の大きな差がある。
「動機付け」というのは、それだけ難しいものであり、
広域神理実践を果たしてゆく中核になる要素だからだ。

「何の御助力も頂かず広域神理実践を果たせる人」とは、ある意味では
「自分の内に佳子先生が出現した人」と表現することができるだろう。
その人の内なる佳子先生が「この問題をあなたと責任として背負うこと
省6
10: 2018/11/08(木)12:01 ID:Alauurl5F(7/7) AAS
佳子先生がご助力をストップされ、「次々と広域神理実践を果たしてゆくGLA」
が「幻」、「化城」の如く消え去った時、「ふりだしに戻った」と思う人が
いるかもしれない。しかし、それは誤りである。

「化城宝処の喩」では、導師が「化城」を出現させたのは、五百由旬の
道程のうち三百由旬をすぎた処である。すなわち、道程の半分以上は
既に歩んでいるのだ。そこまで既に歩んだからこそ、導師は「化城」を
出現させたのだ。

但し、残りの二百由旬は、既に歩んできた三百由旬とは異なり、霊操行を
基として歩んでゆく道である。

「次々と広域神理実践を果たしてゆくGLA」は、一時は幻の如く消えたかも
省5
11: 2018/11/15(木)11:59 ID:lAU/vwbik(1/3) AAS
法華七喩の中の「髻中明珠の喩」について考えてみたい。
Wikipedia には、次のようにある。
---------------------------------------------------
転輪聖王(武力でなく仏法によって世界を治める理想の王)は、
兵士に対してその手柄に従って城や衣服、財宝などを与えていた。
しかし髻(まげ、もとどり)の中にある宝珠だけは、みだりに
与えると諸人が驚き怪しむので容易に人に授与しなかった。
この物語の転輪聖王とは仏で、兵士たちは弟子、種々の手柄により
与えられた宝とは爾前経(にぜんきょう=法華経以前の様々な教え)、
髻中の明珠とは法華経であることを表している。
省13
12
(1): 2018/11/15(木)11:59 ID:lAU/vwbik(2/3) AAS
次に、「良医病子の喩」について考えてみたい。
Wikipedia には、次のようにある。
---------------------------------------------------
ある所に腕の立つ良医がおり、彼には百人余りの子供がいた。
ある時、良医の留守中に子供たちが毒薬を飲んで苦しんでいた。
そこへ帰った良医は薬を調合して子供たちに与えたが、
半数の子供たちは毒気が軽減だったのか父親の薬を素直に
飲んで本心を取り戻した。
しかし残りの子供たちはそれも毒だと思い飲もうとしなかった。
そこで良医は一計を案じ、いったん外出して使いの者を出し、
省17
13
(1): 2018/11/15(木)12:01 ID:lAU/vwbik(3/3) AAS
しかし、よく解らないのは、
「半数の子供たちは毒気が軽減だったのか父親の薬を素直に
飲んで本心を取り戻した」という箇所である。

「千年構想、7つのプログラム」というテーマに真剣に対峙している
会員は半数もいないではないか。快苦に翻弄されている状態から脱して、
テーマを推進しようとしている人は非常に少ないだろう。否、「現会員」
に限れば、もしかすると一人もいないのではないだろか?

ならば、この箇所は、「今後、佳子先生が逝去される前に、半数までは
いかなくとも、多くの人がテーマに向かい合って覚醒する」ということ
だろうか?そのあたりは、私にとっても謎のままだ。今後起こる「事実」
省4
14: 2018/11/21(水)11:54 ID:qpNFggZq6(1/5) AAS
私はこれまで、
・今後とも「千年構想」、「7つのプログラム」のテーマを放置し続けたなら、
佳子先生の早逝は避けられない
・しかし、まだ時間は残されているので、内界を転換してテーマに対峙すれば、
佳子先生の早逝は避けられる
ということを再三述べてきた。

しかし、後者は違っているかもしれないと思うようになった。
つまり、「佳子先生が早逝されない限り目覚めない人」ばかりが、
GLAに集められているのではないかと思えてきた。

そうであるとすると、「佳子先生の御存命中に内界を転換して
省2
15: 2018/11/21(水)11:55 ID:qpNFggZq6(2/5) AAS
実際のところ、どうなのだろうか?佳子先生が早逝されたとき、
「本当にこうなる前に、自分が覚醒して、頂いたテーマに向かう
ことはできなかっただろうか?」と、一人一人が自らに問いかけ、
「嘘をつけない心」によって内界を検証することが大切だろう。

内界を検証した結果、あなたの結論が「佳子先生が早逝される前に、
自ら覚醒しテーマを進捗させてゆくことは自分には無理であった」
ということであれば、佳子先生の早逝について、少なくともあなたには、
責任は無いと言えるだろう。

そして、GLA会員の全員が、そのような結論を出したのであれば、
「佳子先生の早逝は最初から定められていた事であって、
省3
16: 2018/11/21(水)11:56 ID:qpNFggZq6(3/5) AAS
自責の念を抱く必要は無いが、佳子先生が一体何を果たして下さったのか、
それは明確に認識しなければならない。

・菩薩になる事を願って転生を繰り返したのに、「快苦の奴隷」となって
その願いを適えることができなかった人々…
・その願いを適えられるように、佳子先生の弟子としての人生を与えられ、
菩薩になるための修行のテーマ(千年構想、7つのプログラム)を
与えられたのに、再び「快苦の奴隷」となってそれを放置し続けた人々…
・テーマが放置されている事に危機感を抱いた者が、自らの退会と
引き換えに警鐘を鳴らしたにもかかわらず、「快苦の奴隷」の暗き
眼差しによって、その事態をただ黙って眺めていた人々…
省4
17: 2018/11/21(水)11:57 ID:qpNFggZq6(4/5) AAS
佳子先生が一体何を果たして下さったのか、それを認識できたならば、
次は、あなたが「佳子先生にお応えする」番である。
それは、「菩薩になる」という佳子先生との約束を成就することである。

菩薩になるための「静中の工夫」となる修行は、佳子先生との一体化を
果たす霊操行である。

菩薩になるための「動中の工夫」となる修行は、頂いたテーマ
(千年構想、7つのプログラム)の実践である。

「静中の工夫」と「動中の工夫」を車の両輪として進むならば、
「快苦の奴隷」がうごめく土くれの中から、菩薩を湧出させることが
できるであろう。
省1
18: 2018/11/21(水)19:14 ID:qpNFggZq6(5/5) AAS
もう一つ、重要なことを述べておこう。
佳子先生が早逝された後、またはその兆候が現れたとき、
その意味についてあれこれ語る者は数多く現れるだろう。

しかし、そのような者が語ることは信用するに値しない。
佳子先生が早逝される真の意味を語れる者であれば、
その兆候が現れる前に、その意味を解説できるはずなのだ。

佳子先生が早逝される理由はただ一つ、それは
「一人の菩薩を生むため」である。
19
(1): 2018/12/04(火)15:15 ID:pTZjERIYA(1/3) AAS
佳子先生が示された悟りの第九段階の表では、第七段階以上が
「菩薩」であるとされている。第七段階の悟りの内容は、
「回心(慙愧と歓喜)が訪れる」「個の目的と全体の目的との合一が起こる」
ということである。

このうち、「個の目的と全体の目的との合一が起こる」について
考えてみたい。「個の目的」とは、一人一人個人の目的であろう。
また、「全体の目的」とは、ただ「全体に関わる目的」ということではなく、
「神意に適う全体の目的」という意味であると考えられる。

「神意に適う全体の目的」とは、具体的に如何なるものであるのか
簡単に解らない場合が多い。しかし、佳子先生が示される「全体の目的」が
省4
20
(1): 2018/12/04(火)15:16 ID:pTZjERIYA(2/3) AAS
では、「個の目的と全体の目的との合一が起こる」とは如何なること
だろうか?それは、佳子先生が「千年構想」「7つのプログラム」という
形で明確なヴィジョンを示される前に、たとえ曖昧なものであっても
自分自身が似たようなヴィジョンを抱ける、ということだろう。

また、佳子先生が「千年構想」「7つのプログラム」という明確な
ヴィジョンを示されたとき、「そうだ。これこそ自分が果たしたかったことだ」
と思えることではないだろうか。

自分の心をそのように動かすことができない人は、明らかに
「菩薩ではない人」である。では、「菩薩ではない人」が「菩薩」になる
ためには、何を果たせば良いだろうか?
省3
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