[過去ログ] 末法燈明記の作者は最澄か? (1002レス)
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906: フレッシュフレッシュフレッシュ 2020/08/01(土)05:01 ID:mFDsn24S9(9/10) AAS
朝ごはんに梅素麺食べた。
ごま油塩胡椒、練り梅赤紫蘇を冷たい素麺にまぶして、お椀に、お酢、梅、めんつゆ(こんぶこんぶつゆ)
たまねぎ微塵。
そんなに辛口にならなかったけどね。たまねぎ。
907: [   ] 2020/08/01(土)08:19 AAS
>>901

385 (師は答えた)、「修行者たちよ、われに聞け。煩悩を除き去る修行法を汝らに説いて聞かせよう。汝らすべてはそれを持て。目的をめざす思慮ある人は、出家にふさわしいそのふるまいを習い行え。

386 修行者は時ならぬのに歩き廻るな。定められたときに、托鉢のために村に行け。時ならぬのに出て歩くな、執著に縛られるからである。それ故に諸々の(目ざめた人々)は時ならぬのに出て歩くことはない。

387 諸々の色かたち・音声・味・香り・触れられるものは、ひとびとをすっかり酔わせるものである。これらのものに対する欲望を慎んで、定められたときに、朝食を得るために(村に)入れよ。

388 そうして修行僧は、定められたときに施しの食物を得たならば、ひとり退いて、ひそかに坐れよ。自己を制して、内に顧みて思い、こころを外に放ってはならぬ。
省5
908: フレッシュフレッシュフレッシュ 2020/08/01(土)19:17 ID:mFDsn24S9(10/10) AAS
そういえば、ハムの味見の時大丈夫かな?って思ったんだった。
輪ゴムで止めて保存しておいたんだけどね。
正直臭ったんだけど、なんか熱さが飛んだら別にって感じだった。
909: フレッシュフレッシュフレッシュ 2020/08/02(日)02:58 ID:DnxKaZBlI(1/5) AAS
確かにさっき家系ラーメン風で蔦みたいな麺にしたら、お腹痛くなりかけて
ヤバいと思った。
まだ気は抜けない。
気?
アレ食ったけどあんまりアレだ。確かに生でいただかないとアレなんだよな。
とかしてもさ。
きくときはきくんだけどな。
910: フレッシュフレッシュフレッシュ 2020/08/02(日)02:59 ID:DnxKaZBlI(2/5) AAS
そういえば最後松岡しゅー造まではいかないけど、お酢入れてスープ飲んだんだわ。
911: フレッシュフレッシュフレッシュ 2020/08/02(日)03:04 ID:DnxKaZBlI(3/5) AAS
出しきるんだったら邪魔なのか?とも思うけどアレだよね。
食べたいけどアレみたいなね。でもさおさえこんでるわけじゃん。
後から酸辣湯飲んでもアレだよね?でもラーメン食ってスープを追加はある意味エグい
よな。
912: [sage  ] 2020/08/02(日)05:53 AAS
頌に曰く、真言は不思議なり
観誦すれば無明を除く(本尊を観想しながら、真言を唱えたならば、根源的な無知の闇が除かれる)
一字に千理を含み(真言のわずか一字の中に、それぞれ千の理法がふくまれ)
即身に法如を証す(そうして、この身のままで真理をさとることができる)
行行として円寂に至り ぎょうぎょうとしてえんじゃくにいたり 去去として原初に入る
(「羯諦 羯諦」と行き行きて、静かな涅槃の境地に至り
「羯諦 羯諦」と去り去りて、根源的なさとりに入る。)
三界は客舎の如し さんがいはかくしゃのごとし 一心はこれ本居なり いっしんはこれほんこなり
(いまださとりを開いてないものにとっては、三種類の生存世界は、あたかも仮の宿である。
しかし、実際には、われら衆生がそなえて持っている、ただ一つの心が、本来の拠り所なのである。)
省1
913
(1): [sage  ] 2020/08/02(日)05:56 AAS
五蘊は皆、悪魔であると如実に見て、一切の苦しみの素を遠ざけた
肉体は悪魔である 悪魔が肉体に化けたのだ
感受は悪魔である 悪魔が感受されて入って来るのだ
想念も悪魔である 悪魔が自己本位の想念を起こさせるのだ
因縁・カルマは悪魔である 悪魔が因縁をつけて来てるのだ
識も悪魔である 悪魔が人類を自滅させる知識を与えたのだ

物質界の誘惑は全部悪魔だと悟った境地(空の中)においては
五感も十二処、十八界も真実在では無いのである。
劣ったさとりへの慢や執着も亦
無きに等しいものなのである
省2
914: フレッシュフレッシュフレッシュ 2020/08/02(日)11:48 ID:DnxKaZBlI(4/5) AAS
冷感布団シートで暑くなるとか、毛玉がキモくて痒くて起きるとか逆効果になりつつある。
スーツの下にタイツ履いて外の風は寒い寒すぎるみたいな。
逆効果になってるとこも結構あるな。
とりあえず、左二の腕内側と右足ふくらはぎ内側のフリスク大のセットは今のところ
痕ナシ。
915: フレッシュフレッシュフレッシュ 2020/08/02(日)11:50 ID:DnxKaZBlI(5/5) AAS
言葉にするのが難しいという世界ですかね。
916: [sage  ] 2020/08/03(月)03:37 AAS
>>913

一般的に、仏教で説かれる「中道」や「八正道」、「四諦」、「十二支縁起説」などといった仏教哲学用語は、
仏教の開祖であるゴータマ・ブッダによって説かれたということになっている。
ところが、中村元氏は、「中道」や「八正道」、「四諦」、「十二支縁起説」の成立時期について興味深いことを言っている。
それについて重要であると考えられる箇所を『中村元選集』から(四か所続けて)引用してみようと思う。(以下 引用)

>『パーリ文「アリヤ・パリエーサエ経」がつくられたときには、中道も八正道もまだまとめられていなかったか、少なくとも重要視されていなかった。
相当漢訳の原本がつくられたときに、漸く中道と八正道とがベナレス・サルナートの説法と結びつけて考えられていたが、
しかし四種の真理の説は編纂者の念頭にはなかった。
サルナートの説法と四種の真理とが結びつけられて考えられたのは、かなり後世のことだと言わなければならない。
詩句(ガーター)の中にもサルナートの説法と四種の真理・八正道・中道と結びつけたものは一つも存在しない。』(『中村元選集・第11巻・p239)
省4
917: [ ] 2020/08/03(月)03:41 AAS
>一般的に、仏教で説かれる「中道」や「八正道」、「四諦」、「十二支縁起説」などといった仏教哲学用語は、
仏教の開祖であるゴータマ・ブッダによって説かれたということになっている。
ところが、中村元氏は、「中道」や「八正道」、「四諦」、「十二支縁起説」の成立時期について興味深いことを言っている。
それについて重要であると考えられる箇所を『中村元選集』から(四か所続けて)引用してみようと思う。(以下 引用)

>『パーリ文「アリヤ・パリエーサエ経」がつくられたときには、中道も八正道もまだまとめられていなかったか、少なくとも重要視されていなかった。
相当漢訳の原本がつくられたときに、漸く中道と八正道とがベナレス・サルナートの説法と結びつけて考えられていたが、
しかし四種の真理の説は編纂者の念頭にはなかった。
サルナートの説法と四種の真理とが結びつけられて考えられたのは、かなり後世のことだと言わなければならない。
詩句(ガーター)の中にもサルナートの説法と四種の真理・八正道・中道と結びつけたものは一つも存在しない。』(『中村元選集・第11巻・p239)

>「原始仏教の思想体系というと、人々は四種の真理(四諦)とか十二支による縁起(十二因縁)とかいうものをもち出して来る。
省5
918: [ ] 2020/08/03(月)03:42 AAS
>『ゴーダマ・ブッダが八正道を説いたかは疑問である。少なくともかれの活動の初期には説かなかったことである。
(だからかれの最初の説法に八正道が述べられたという多くの経典の記載は、後世の虚構であり、後世になってかこつけたのである。)
八正道という定型句はかなり遅れて成立したものであるらしい。最古の詩句には、八正道はどこにも説かれていない。最も古い詩句や短い句においては、八正道
のうちの一部だけを述べている。』(『中村元選集・第15巻・P.21)

>つまり、中村氏によれば、一般的に、仏教で説かれる「中道」や「八正道」、「四諦」、「十二支縁起説」などといった仏教哲学用語は、
ゴータマ・ブッダの時代には無かったか、あるいは、それらがあったとしても、さほど重要視されてはいなかっただろう、ということである。
  さらに中村氏は、最古層(古い韻文)の経典に記されている原初の形の「縁起」というものに関して、次のように解説している。
それについて重要であると考えられる箇所を、さらに『中村元選集』から(二か所続けて)引用してみようと思う。
919: [ ] 2020/08/03(月)03:43 AAS
>「縁起の観念は、古来仏教における中心観念の一つと考えられる。
戒律の集成書のうちの叙述によると、世尊はウルヴェーラー村の、ネーランジャラー河の辺のぼだい樹の下にあって、足をくんで坐したまま、
七日の間『解脱の楽しみを受けていた。』ところでそのときさとりを開くために観じたのが縁起の理法であるという。
そのほか、縁起を観じてさとりを開いたという説明は聖典のうちの処々に散見する。この伝説が果たして歴史的事実を伝えているかどうかは
はなはだ疑問である。ブッダガヤーにおける釈尊のさとりの内容については聖典自体のうちに種々に異なって伝えられていて、必ずしも一定していない。
以下において検討するように縁起説はかなり遅れて成立したものであるから、右の伝説はそのまま信用するわけにはゆかない。
殊に十二の項目を立てる縁起説は最も遅れて成立したものであるから、後代の聖典作者が、縁起の思想を強調するあまり、釈尊のさとりの内容だとして、
この場合に仮託してしまったのであろう。」(『中村元選集・第14巻・P41)

>「原始仏教の縁起説といえば十二の項目を立てる縁起説(十二因縁)を以て説くことが従来一般に行われていた。
十二の項目を立てる縁起説のほかに諸種の型式の縁起説が経典の中に説かれているが、それらの説は散文(長行)の部分にのみ
省6
920: 2020/08/03(月)08:04 ID:Q2cxwaK2L(1/2) AAS
>スマナサラ信者であるのは確かなトンマべっちょ も
「釈迦は縁起を説いてません」と断言してたが、

ヤハリ、それすらもインチキだったようだな。全く説かれてない とは
言えないからである!

>なんたる外道。 苫米地は只の悪質な商材屋?
ただし外道は外道の裏がわかるらしく斬れる場合もアル

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省2
921: 2020/08/03(月)09:24 ID:Q2cxwaK2L(2/2) AAS
>第三段階の悟りを得た者を不還果と呼ぶ。
不還果は、地獄餓鬼畜生人間の、四悪道から解脱した者のことである。人間界にはもう戻らないから不還と呼ぶ。
不還果は天上に生じて、そこで悟り=涅槃、を得る者のこと

>預流などの悟りの位も最古層経典には出てこない。
それらの用語もゴータマ・ブッダの時代にはなく、ブッダの死後に教義が整理されていくなかで生まれた概念であることが考えられる。
922: 2020/08/04(火)04:31 ID:BdouOcjyh(1/3) AAS
スッタニパータ
356 [ヴァンギーサいわく、]第七の仙人さま。あなたのおことばを聞いて、わたしは慶びます。わたしの問いは、決してむだではありませんでした。
バラモンであるあなたは、わたしをだましません。

>過去から数えて七人目のブッダという意味?
>ゴータマ・ブッダ以前にブッダがいたことがそれだけ知られていたという事

外部リンク:www.jstage.jst.go.jp

初期仏教の仏陀観は「―世界一仏」論が原則

部派仏教の時代になり大衆部所有の仏教説話集(アヴァダーナ)のマハーヴァストゥでは大乗仏教を彷彿とさせる複数仏陀観が説かれ、
「空間的には仏国土が多数あるので一つの仏国土に一人の仏陀が存在する」、「時間的には釈迦牟尼仏は過去世に色んな仏に授記され
最後に過去七仏が置かれ、また釈迦牟尼仏は未来仏として弥勒に授記する」
省5
923: 2020/08/04(火)10:43 ID:BdouOcjyh(2/3) AAS
「機会費用とは、複数の選択肢があるとき、
ある選択肢を採用したことによって犠牲にされた選択肢を選んでいたならば得られたであろう価値のことである」

生涯において
新興宗教への入信が
機会費用の莫大な損失
ということにならないように…
924: フレッシュフレッシュフレッシュ 2020/08/04(火)18:05 ID:39yzQD36n(1/2) AAS
基本的には、釈迦、仏陀、釈尊とかは同一としてゴータマ・シッタルーダとして
見るみたいなとこあるよね。
でも現地で戒名とか法名に釈の一時を与えるとかもあるみたいじゃん。
とりあえず、文献によってアレみたいだけど、釈迦と仏陀が出てきた場合にどう
そこでは読んでいるのか?とかあるだろうな。
昔の映像作品見ると、釈迦って言ってるのが多くて、ネットの現地系?日本の各地のお寺では
釈尊と呼んでいるのが多いみたいだよね。
ネットでもないと意外と分かり難いとこだよね。
925: フレッシュフレッシュフレッシュ 2020/08/04(火)18:07 ID:39yzQD36n(2/2) AAS
時が経つほど失われていくのに、そういう見解もあるみたいですよね。
ある意味精錬されていったという意見でしょうけども。
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