愛の道阿修羅 真・女神転生ウィッチオブフォローワーズ3 (376レス)
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351: みっくすぶるーちゅニュース 2022/10/12(水)07:46 ID:c3JtgBA2Y(1/21) AAS
沿道の主な施設
大極殿跡
立命館朱雀キャンパス
佛教大学
船岡山
京都ライトハウス 千本北大路下ル
上品蓮台寺 千本鞍馬口上ル
引接寺(千本えんま堂) 千本廬山寺下ル
石像寺(釘抜地蔵)
大報恩寺(千本釈迦堂)
省35
352: みっくすぶるーちゅニュース 2022/10/12(水)07:58 ID:c3JtgBA2Y(2/21) AAS
唯名論(ゆいめいろん、Nominalism〈ノミナリズム〉)は、主に哲学・形而上学にお
ける立場の一つ。対義語は実在論(Realism)。文脈によって様々な意味をもつ[1]。
普遍論争における唯名論。普遍者実在論(実念論・概念実在論とも)に対する唯名論。
様々な抽象的対象についての唯名論[1]。
歴史
古代ギリシャ
唯名論の反対概念は実在論である。プラトンは実在論、すなわち非唯名論の立場を明確
に述べた西洋哲学の最初の作家と考えられている。
「universal」という英語の語彙は、アリストテレスの造語である「καθ?λου(katholou)」
の訳語として当てられたものである。アリストテレスは、プラトンのイデア論への批判
省34
353: みっくすぶるーちゅニュース 2022/10/12(水)08:04 ID:c3JtgBA2Y(3/21) AAS
普遍論争
中世西欧のスコラ哲学において、「人間」「犬」「薔薇」などは、類の概念として形
相存在として実在するのかどうかという議論(普遍論争)があり、これに対し唯名論
は、類の概念は実在しないと答えた。
唯名論の立場は、類の概念(普遍概念、普遍者)は、名前としてのみ存在するのであ
り、実在するのは類の概念の形相(フォルマ)ではなく、具体的な個物(レース)、
つまり個々の具体的な人間やイヌや薔薇であると考えた。これに対する考えが実念論
(普遍者実在論)で、「薔薇」とか「ネコ」などの類の概念が形相として実在すると
した。
西欧では、13世紀末以降に、理性が信仰から独立して行くのと並行して唯名論が優勢
省32
354: みっくすぶるーちゅニュース 2022/10/12(水)08:53 ID:c3JtgBA2Y(4/21) AAS
実在論(じつざいろん、Realism)とは、名辞・言葉に対応するものが、それ自体と
して実在しているという立場。対応するものが概念や観念の場合は観念実在論になり、
物質や外界や客観の場合は、素朴実在論や科学的実在論になる。
実在論の起源は古代ギリシアのプラトンが論じたイデア論にまで遡ることができる。
イデアの理論によれば、感覚することができる世界は実在するものでなくイデアの射
影であると考えられた。個々の感覚を理性によって把握することによってのみ実在す
るイデアを認識することができると論じている。
アリストテレスもまた普遍的な概念として実在を考えており、感覚によって捉えられ
る個物を「第一実体」、そしてそれが普遍化されたものを「第二実体」と呼んで区別
した。
省43
355: みっくすぶるーちゅニュース 2022/10/12(水)09:02 ID:c3JtgBA2Y(5/21) AAS
反実在論
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
分析哲学において反実在論(英: anti-realism)という言葉は、あるものの客観的
実在性を否定する立場、あるいは検証超越的な言明の真偽を問うことを否定する立場
を指して使われる。後者の立場はときに、「Pであるかそうでないかという事柄につ
いての事実などない」と言うことによって表現される。それゆえ、他人の心、過去、
未来、普遍、(自然数などの)数学的実体、倫理的範疇、物質的世界、あるいは思考
についてさえ反実在論が語られうる。上記の二種類の説明ははっきりと異なっている
が、しばしば混同されている。たとえば、他人の心の存在を否定する「反実在論者」
(独我論者)は「観測不可能な他人の心が存在するかどうかという事柄についての事
省44
356: みっくすぶるーちゅニュース 2022/10/12(水)09:08 ID:c3JtgBA2Y(6/21) AAS
普遍論争
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
中世スコラ哲学において、普遍論争(ふへんろんそう、英: Problem of universals)
とは、「普遍」(「普遍者」ともいう、英: universals) の実在に関する論争を言う。
これと内容的に同じ議論が、古代から続いており、近代哲学や現代の哲学でも形を変え
て問題となっているが、普遍概念をめぐる論争として中世の論争を特にこの名で呼ぶ。
概要
通説では、中世における最大の論争である普遍論争(the problem of universals)
は、3世紀にフェニキア人ポルフュリオス(232/33 - 305頃)によって書かれた『ア
リストテレス範疇論入門』(Eisagoge eis tas Aristoteles kategorias、通称:
省17
357: みっくすぶるーちゅニュース 2022/10/12(水)09:13 ID:c3JtgBA2Y(7/21) AAS
普遍概念
一般に、普遍(羅: universus)とは、一つ(uni)の方向性をもった(versus)広
がり全体のことを言う[4]。一方、普遍論争における普遍概念(羅: universalia)
とは、伝統的に、個物/もの(羅: res、レース)に対する普遍、すなわち「複数のも
のの述語となるもの」(類概念)と定義される[5]。個物とは中世において自明的に
存在すると考えられた個別的な事物のことで、例えば、フィレンツェに住む商人のミ
ケーレ氏とか、そのミケーレ氏の邸で飼っている犬のフェリスとか、ミケーレ氏の邸
内に生えている柏の大樹などである。
ミケーレ氏は、「人間の類」に属し、犬のフェリスは「犬の類」に属し、柏の巨木は
「柏の樹の類」に属している。これらの「類の概念」は「形相(羅: forma、フォル
省32
358: みっくすぶるーちゅニュース 2022/10/12(水)09:46 ID:c3JtgBA2Y(8/21) AAS
実在論と唯名論
アンセルムスなどの実在論者は、普遍概念は存在するとし、何ものかが明らかでない
個物の基体存在物に、例えば「人間」の形相が付与されることで、すなわち「人間の
普遍概念」が基体存在に加わることで、簡単に云えば、「人間の具体的存在」すなわ
ち「個物としての人間」が成立するとした。このように、類の概念、すなわち普遍概
念が実在するとする考えを、「実念論」または「実在論(Realismus)」と呼ぶ。
実在論者は新プラトン的立場に立ち、イデアが事物より先に立ちそれ自身において存
する点に鑑み、アダムによって堕落しキリストに救済されることが成り立つためには、
人類という普遍者が存在し、それが人間の本質として前提されなければならないと考
えた。そうでないとすると、アダムの原罪もキリストの受難も個々の事実に過ぎず、
省29
359: みっくすぶるーちゅニュース 2022/10/12(水)13:22 ID:c3JtgBA2Y(9/21) AAS
「薔薇の名前」と普遍論争
エーコの小説のなかでは述べられていないが、フランシスコ会と教皇庁の争いは、フ
ランシスコ会総長チェゼーナのミケーレ他幹部が、論争に決着を付けるためアヴィニ
ョンを訪れるが、教皇庁側の対応に疑問を抱いた彼らが、一夜にしてアヴィニョンを
逐電し、ドイツ(当時の神聖ローマ帝国領)へと逃れるに及んで最終的に決裂した。
このとき、逃走した者のなかには、当時の普遍論争において、唯名論の側の立場に立
つ筆頭の論客として知られた、オッカムのウィリアムも含まれていた(この後、教皇
庁はミケーレを解任し、フランシスコ会に新しい総長を選出させた結果、二人の総長
が並立するという事態になる)。
オッカムのウィリアムは、論理思考における「オッカムの剃刀」で良く知られている
省30
360: みっくすぶるーちゅニュース 2022/10/12(水)13:53 ID:c3JtgBA2Y(10/21) AAS
形相(けいそう。英語: form、古代ギリシア語: ε?δος、エイドス)とは、哲学用語
で質料に対置して使われる用語。日本語としては、「ぎょうそう」とも読めるが、哲
学用語として使う時には「けいそう」と読む。
アリストテレス哲学における「形相」
「質料」(ヒュレー)と「形相」(エイドス)を対置して、内容、素材とそれを用い
てつくられたかたちという対の概念として初めて用いた人は、古代ギリシアの哲学者
アリストテレスである。彼の『形而上学』の中にこういう概念枠組みが登場する。ま
た『自然学』でもこうした枠組みで説明が行われる。
プラトンが観念実在論を採り、あるものをそのものたらしめ、そのものとしての性質
を付与するイデアを、そのものから独立して存在する実体として考えたのに対し、ア
省42
361: みっくすぶるーちゅニュース 2022/10/12(水)13:59 ID:c3JtgBA2Y(11/21) AAS
大陸哲学(たいりくてつがく、英語:continental philosophy)とは、ドイツ及び
フランスを中心とする大陸ヨーロッパ(Continental Europe)において19世紀以降
主流となる現代哲学である。イギリスやアメリカを初めとする英語圏において19世紀
後半から20世紀以降主流となる分析哲学に比較して呼称される。
特徴
大陸哲学と言ってもはっきりと(例えば地理的ないし定義的に)英米の哲学と区切ら
れるものではなく、あくまで緩い区切りである。現に英米にも大陸哲学的な手法や研
究をしている哲学者はいるし、逆もまた然りである。例えばイギリスやアメリカに留
学して分析哲学を学び、独自の分析哲学を展開するパスカル・アンジェルや数理哲学
のジャン・カヴァイエスがそうであるし、アメリカではリチャード・ローティーやス
省29
362: みっくすぶるーちゅニュース 2022/10/12(水)14:03 ID:c3JtgBA2Y(12/21) AAS
分析哲学(ぶんせきてつがく、英: Analytic philosophy)は、ゴットロープ・フレ
ーゲとバートランド・ラッセルによる論理学(記号論理学)研究及び言語哲学研究の成
果に起源を持ち、ラッセルの教えを受けたルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインの言語
哲学研究、及びウィトゲンシュタインの思想に対する誤解を含めて彼から多大な影響を
受けた論理実証主義の受容とそれに対する批判、日常言語学派の発展と影響の拡大など
の歴史を経て形成された現代哲学の総称である。なお広辞苑によれば、分析哲学の主唱
者はジョージ・エドワード・ムーアである。
これは、現代の記号論理学や論理的言語分析、加えて、自然科学の方法及び成果の尊重
を通じて形成された。20世紀には英語圏で主流となった哲学である。たとえばアメリ
カ合衆国の圧倒的多数の大学で、哲学科で教育され研究されるのは「分析哲学」であ
省13
363: みっくすぶるーちゅニュース 2022/10/12(水)14:07 ID:c3JtgBA2Y(13/21) AAS
特徴
性質的特徴
分析哲学という一つのまとまった、一枚岩の哲学は存在しない。しばしば分析哲学と
は言語哲学であるかのように言われるが、分析哲学の哲学者は分析哲学が「もっぱら
言語とか論理とかいった主題を扱うものだと決め込んでいる節がある」[1]とはいえ、
実際には言語そのものを対象としているのは分析哲学の一部であり、主題においても
立場においても非常に多様である。しかし、概ね次のように特徴付けることができる
だろう。
一つ目は、厳密には解明されるべき真理は存在せず、哲学の目的はただ思考の論理的
明晰化をはかることであるという、実証主義の伝統である。この考えは、アリストテ
省27
364: みっくすぶるーちゅニュース 2022/10/12(水)14:12 ID:c3JtgBA2Y(14/21) AAS
歴史
分析哲学の歴史は、大まかに言えば、19世紀末から20世紀初頭にかけての論理学の発
展を背景にした、「論理的言語分析の哲学」[2]、つまり或る種の典型的な言語哲学
として始まった。なお、言語は古代ギリシア哲学から哲学の主題であり続けたが、今
日では一般に、「言語哲学」は分析哲学における言語哲学を指す。これは、バートラ
ンド・ラッセルのように論理学的な人工言語を重視する流れ(理想言語学派)と、反
対に日常言語を重視する流れ(日常言語学派)とに分かれた。この分離は以後ますま
す大きくなり、これは1960年代以降、分析哲学における言語哲学の衰退に繋がっている。
言語哲学以外にも、分析哲学に関わり、当初からの重要な位置をしめていたものに科
学哲学があり、またこれに関連して、従来の認識論が現代の自然科学の自然認識を基
省20
365: みっくすぶるーちゅニュース 2022/10/12(水)14:18 ID:c3JtgBA2Y(15/21) AAS
第二次世界大戦以後
「ポスト分析哲学」も参照
第二次大戦後すぐは日常言語学派が大きな力を持つようになり、ギルバート・ライル、
ジョン・L・オースティンらによって哲学的な問題が日常言語の問題へと解体されてい
った。これに対するウィトゲンシュタインの影響は大きく、この洞察はムーアに帰着する。
しかしその後、第二次大戦中にドイツ語圏から主要な哲学者がアメリカへと移住した
ことをうけ、第二次大戦後の分析哲学の中心は次第にアメリカへと移って行った。こ
の動きを代表するのが、ルドルフ・カルナップの影響をうけたW・クワインの戦後の一
連の著作である。クワインは分析と総合の区別の否定、意味の全体論、根源的翻訳の
議論、自然化された認識論の議論など、刺激的なテーゼを提出し、分析哲学の指導的
省16
366: みっくすぶるーちゅニュース 2022/10/12(水)14:26 ID:c3JtgBA2Y(16/21) AAS
森 ?外(もり おうがい、1862年2月17日[1][注釈 1]〈文久2年1月19日[2]〉 - 1922
年〈大正11年〉7月9日)は、日本の明治・大正期の小説家、評論家、翻訳家、教育者、
陸軍軍医(軍医総監=陸軍中将相当)、官僚(高等官一等)。位階勲等は従二位・勲一等・
功三級、医学博士、文学博士。本名は森 林太郎(もり りんたろう)。
Mori Ogai in the atelier of Sculptor Takeishi Kozaburo in 1916.jpg54歳の森?外(1916年)
誕生 森 林太郎(もり りんたろう)
1862年2月17日
石見国津和野町田村(現・島根県津和野町町田)
死没 1922年7月9日(60歳没)
東京府(現・東京都)
省28
367: みっくすぶるーちゅニュース 2022/10/12(水)14:43 ID:c3JtgBA2Y(17/21) AAS
★18世紀まで無いってのちょっと分かんないけど、アレだよね。とりあえず、無かったって話しで見るんでしょ?
概要
伝統的に美学は「美とは何か」という美の本質、「どのようなものが美しいのか」と
いう美の基準、「美は何のためにあるのか」という美の価値を問題として取り組んで
きた。科学的に言えば、感覚的かつ感情的価値を扱う学問でもあり、ときに美的判断
[3]そのものを指すこともある。より広義には、この分野の研究者たちによって、美
学は「芸術、文化及び自然に関する批評的考察」であるとも位置づけられる[4]。
美学が一つの学問として成立した歴史的背景には、18世紀に啓蒙主義の思想と自然科
学の確立に伴って表面化した科学的認識と美的もしくは感覚的認識の相違が認められ
たことと関係している。アレクサンダー・ゴットリープ・バウムガルテンは理性的認
省35
368: みっくすぶるーちゅニュース 2022/10/12(水)15:01 ID:c3JtgBA2Y(18/21) AAS
引用
美学(自由学芸の理論、下級認識論、美しく思いをなす技術、理性類似物の技術)は、
感性的認識学の学である。(第1節)
美学の目的は、感性的認識そのものの完全性にある。然るに、この完全性とは美であ
る。そして、感性的認識そのものの不完全性は避けられねばならず、この不完全性は
醜である。(第14節)
歴史
ギリシャ・ローマ時代には美学という明確な術語が存在しなかった[6]。古代にも美と
芸術は存在論、形而上学、倫理学、技術論などから捉えられたが巨視的な考察は乏し
かった[6]。また、古代における美学の捉え方は特定の局面の断片的または個別的なも
省33
369: みっくすぶるーちゅニュース 2022/10/12(水)15:05 ID:c3JtgBA2Y(19/21) AAS
Wakare Uta cover vocaloid Iroha Nekomura 猫村いろは/わかれうた(中島みゆき)
動画リンク[YouTube]
日本における美学
日本における主要な美学関連学会としては美学会があり、雑誌『美学』(年四回)お
よび欧文誌 Aesthetics (隔年)を発行している。毎年十月に行われる全国大会の
ほか、年五回関東および関西で研究発表会が開催される。なお2001年の国際美学会議
(4年おき開催)は日本で行われた。
訳語
日本語の「美学」は、中江兆民がフランスのウジェーヌ・ヴェロン(フランス語版)
の著作(1878年)を訳して『維氏美学』(上 1883年11月、下 1884年3月)と邦題
省41
370: みっくすぶるーちゅニュース 2022/10/12(水)15:19 ID:c3JtgBA2Y(20/21) AAS
藤原定家は、「むかし貫之歌のたくみにたけおよびがたくことばづよくすがたおもし
ろき様をこのみて余情妖艶の体をよまず」(『近代秀歌』)として、「あはれ」(優
美)の範疇を開拓した。
藤原定家によって重んじられた幽玄様、右心体の趣を禅的思想で深めた正徹は、「い
かなる事を幽玄体と申すべきやらむこれぞ幽玄体とてさだかに詞にも心にも思ふ斗り
いふべきにはあらぬ也」と、名状しがたい悟入の境地と芸術の奥義とが照応している
ことを指摘した(『正徹物語』)。
ここから芸道の精神が生まれ、演劇論としては、能の世阿弥の『花鏡』の「動十分心
動七分身」(心を十分に動かして身を七分目に動かせ)という余情演技、「せぬが所
が面白き」という「為手(して)の秘する所」を中心とする能の幽玄論の「かたちな
省12
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ぬこの手 ぬこTOP 1.712s*