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演歌トリビア Part12 (952レス)
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721
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721: [age] 2024/11/25(月) 05:50:33.24 (2ページ目)「父の棺には大好物を入れた」「“お疲れ様会”みたいにしたかった」…梅宮アンナ(49)が振り返る“父・辰夫との別れ” _ スターと暮らせば _ 文春オンライン bunshun.jp/articles/-/50601?page=2 ——「俺、こんな体でいつまで生きるんだろう」と仰ったわけですから、辰夫さんも透析を続けられて深く思うところがあったのでしょうね。 アンナ 透析をやるようになってから、選挙に行ったんですよ。「投票したいから、運転してくれる?」って言われたから投票所に連れて行ってあげて。 「誰に入れたの?」って聞いたら、「俺は安楽死を望んでいる。いまの日本では安楽死はダメだけど、 認めさせようとしている政治家がいるから、その人に入れた」って。 それを聞いて、生きること、死ぬことの意味合いをすっごく考えさせられたんですよ。もちろん、父もそれは考えていただろうし。 延命といっても、これ以上する必要ってどこにあるのかなって。父本人が誰よりも辛くて。 「希望も夢も、なんかワクワクすることもなくなると、やっぱり人間って生きてる意味がないんだよ」と、ずっと言ってましたね。 ——『ボクらの時代』では、アンナさんは闘病中の辰夫さんについて「もっと優しかったはずなのに」とも仰っていました。 辛い闘病が原因で、荒んでしまう日もあったのですか? アンナ 病気が人を変えてしまうんですよ。これは父に限らず、同年代で親御さんが病気をされていたり、 高齢だったりするお友達に話すと「いや、うちもそう」「うちだって、いつも怒鳴ってるもん」とか言いますね。 人間って、余裕があった時には笑っていられたことが、余裕がなくなるとなんだか頭にきちゃう。 高齢者ってわけじゃなくて、若い人でも年齢に関係なく起こると思うけど。 父は神様みたいな人だったんですよ。絶対に怒らないし、根っからの自由人でやることなすこと大胆で。 だけど、A型だったせいか生真面目で。「ダメ」なんて言わなかった父が、「ダメ」を通り越して怒鳴るみたいなね。 ちょっと、物を動かしたら「触るな!」とか。 父はこの家が好きで、一日中海を見てたら幸せな人なのでいいけど、元々母は都会が好きで海なんか興味ないから。 うちの両親を見てると、価値観の合うものがほとんどなくて(笑)。母も頭では「ついていかないと」ってわかっていても、 心はついていけなかったと思います。東京から神奈川に越すだけでも、母にとっては結構な勇気がいることなので。 金曜に行くと、母はいつも泣いてました。しがみつく感じで「帰らないで」って言うんだけど、私にも東京での生活と仕事があったし 、百々果もいるし。それに、当時の私は親と一緒に生活するというのが頭になかったんですよ。親となんか絶対住めないと思ってたし。 それぐらい、人に依存したりされたりするのがダメなインディペンデント型の人間なので。 ——真鶴と渋谷で離れて暮らしているなかで、辰夫さんが亡くなられたのを知ったと。 アンナ その頃は目の前にあることを必死にやるしかなくて。今日のことだけ、明日のことなんか考えられなかった。 携帯が鳴って、母からだと「あぁ、パパ亡くなったのかな」と思うようにしてました。そういうカウントダウンが、 どこか自分のなかであったと思うんです。 そういう心の準備をしてたので、実際に亡くなった時はパニックにならなかった。もう大変すぎたから、正直「あぁ、終わった」と思った。 「パパ、お疲れさま。頑張ったね。みんなも頑張ったね」という。悲しいとか寂しい気持ちは、たぶん後からやってくるんだろうなって。 ——『梅宮家の秘伝レシピ』では、辰夫さんが「晩年も、病で痩せた体でもキッチンに一日中立っている」とありました。 最後に作られた料理などは覚えてらっしゃいますか? アンナ 最後、なんだろう。最後の最後まで好きなもの作ってたかも。でも、体にいいものを、とか考えずに作っていたと思う(笑)。 昔から、そうだったから。透析をする何年も前からいろいろと薬を飲んでたし、お医者さんに「梅宮さん、塩分の摂り過ぎですよ」 って食事制限するようにも言われてたけど、守らないんですよね。 私が知る限り、塩分は1日6gまでって言われた。そうしたら「おまえ、6gなんてどんなもんか知ってるか」と真顔で言われて(笑)。 ——料理されてるから、どれくらいの量かわかってしまう。 アンナ 「俺は1日6gじゃなくて、1回で6g以上だ」「病院や医者が言う“体にいい”ってのは、誰にでも当てはまるもんじゃないんだ」みたいなね。 とにかく「好きなものを食べて、俺は死にたい」って言い続けてた。透析を始めて10か月で命が終わってしまったけれども、 そうなる直前までは食欲もあったし。 http://awabi.2ch.sc/test/read.cgi/enka/1725395747/721
ページ目父の棺には大好物を入れたお疲れ様会みたいにしたかった梅宮アンナが振り返る父辰夫との別れ スターと暮らせば 文春オンライン 俺こんな体でいつまで生きるんだろうと仰ったわけですから辰夫さんも透析を続けられて深く思うところがあったのでしょうね アンナ 透析をやるようになってから選挙に行ったんですよ投票したいから運転してくれる?って言われたから投票所に連れて行ってあげて 誰に入れたの?って聞いたら俺は安楽死を望んでいるいまの日本では安楽死はダメだけど 認めさせようとしている政治家がいるからその人に入れたって それを聞いて生きること死ぬことの意味合いをすっごく考えさせられたんですよもちろん父もそれは考えていただろうし 延命といってもこれ以上する必要ってどこにあるのかなって父本人が誰よりも辛くて 希望も夢もなんかワクワクすることもなくなるとやっぱり人間って生きてる意味がないんだよとずっと言ってましたね ボクらの時代ではアンナさんは闘病中の辰夫さんについてもっと優しかったはずなのにとも仰っていました 辛い闘病が原因で荒んでしまう日もあったのですか? アンナ 病気が人を変えてしまうんですよこれは父に限らず同年代で親御さんが病気をされていたり 高齢だったりするお友達に話すといやうちもそううちだっていつも怒鳴ってるもんとか言いますね 人間って余裕があった時には笑っていられたことが余裕がなくなるとなんだか頭にきちゃう 高齢者ってわけじゃなくて若い人でも年齢に関係なく起こると思うけど 父は神様みたいな人だったんですよ絶対に怒らないし根っからの自由人でやることなすこと大胆で だけど型だったせいか生真面目でダメなんて言わなかった父がダメを通り越して怒鳴るみたいなね ちょっと物を動かしたら触るな!とか 父はこの家が好きで一日中海を見てたら幸せな人なのでいいけど元母は都会が好きで海なんか興味ないから うちの両親を見てると価値観の合うものがほとんどなくて笑母も頭ではついていかないとってわかっていても 心はついていけなかったと思います東京から神奈川に越すだけでも母にとっては結構な勇気がいることなので 金曜に行くと母はいつも泣いてましたしがみつく感じで帰らないでって言うんだけど私にも東京での生活と仕事があったし 百果もいるしそれに当時の私は親と一緒に生活するというのが頭になかったんですよ親となんか絶対住めないと思ってたし それぐらい人に依存したりされたりするのがダメなインディペンデント型の人間なので 真鶴と渋谷で離れて暮らしているなかで辰夫さんが亡くなられたのを知ったと アンナ その頃は目の前にあることを必死にやるしかなくて今日のことだけ明日のことなんか考えられなかった 携帯が鳴って母からだとあぁパパ亡くなったのかなと思うようにしてましたそういうカウントダウンが どこか自分のなかであったと思うんです そういう心の準備をしてたので実際に亡くなった時はパニックにならなかったもう大変すぎたから正直あぁ終わったと思った パパお疲れさま頑張ったねみんなも頑張ったねという悲しいとか寂しい気持ちはたぶん後からやってくるんだろうなって 梅宮家の秘伝レシピでは辰夫さんが晩年も病で痩せた体でもキッチンに一日中立っているとありました 最後に作られた料理などは覚えてらっしゃいますか? アンナ 最後なんだろう最後の最後まで好きなもの作ってたかもでも体にいいものをとか考えずに作っていたと思う笑 昔からそうだったから透析をする何年も前からいろいろと薬を飲んでたしお医者さんに梅宮さん塩分の摂り過ぎですよ って食事制限するようにも言われてたけど守らないんですよね 私が知る限り塩分は日までって言われたそうしたらおまえなんてどんなもんか知ってるかと真顔で言われて笑 料理されてるからどれくらいの量かわかってしまう アンナ 俺は日じゃなくて回で以上だ病院や医者が言う体にいいってのは誰にでも当てはまるもんじゃないんだみたいなね とにかく好きなものを食べて俺は死にたいって言い続けてた透析を始めてか月で命が終わってしまったけれども そうなる直前までは食欲もあったし
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