[過去ログ] 余命 録 (159レス)
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34: 2015/10/19(月)03:28 ID:4a4ApuP5t(3/3) AAS
テーマ 余命34号
国費による日本書籍の翻訳事業を拡大することを要望します。
要望
南京事件・従軍慰安婦についての中国と韓国の攻勢が、ユネスコ世界記憶遺産への登録やアメリカにおける慰安婦像の増設など、増長の一途をたどっています。
その対抗策として、該当歴史関連書を英語のみならず主要言語に翻訳して、世界中に日本の立場や正しい歴史を発信することが必要です。
日本政府は、約8000万円で日本文化に関する書籍100冊程度を英訳し、海外の研究機関や図書館などに提供すると昨年発表しました。
その事業の延長として、南京事件・従軍慰安婦に関する事実や、背景にある中国の反日活動や意図(日米韓の分断や日本の孤立化)、そして中国の覇権主義による究極の目標について著した日本の書籍を、主要な外国語に翻訳して配布することが急務です。
サンフランシスコ市議会とユネスコでの敗北への反省という意味からも、日本国民の税金を有効に活用した日本国民のための翻訳事業の拡大を緊急課題をされることを強く要望します。
35: 2015/10/21(水)12:21 ID:QhvZDmVbU(1/6) AAS
テーマ 余命35号 「漢字の手書き、多様な字形OK」文化審の指針案について
要望
文化庁の文化審議会漢字小委員会は16日、漢字の手書き文字について、「とめる」「はらう」など、細部にこだわって正誤を判断せず、多様な字形を認めるべきだとする指針の中間報告案をまとめた。
これは「日本の文化をダメにする余計な事」である。
教育は教育で厳格に覚えさせるようにして、実用は実用で、幅を利かせて許容させる今のままで十分である。
実用のためとの口実で、文化教養レベルを落とす余計なことを許可している。
外国人向けの、しらじらしい日本文化破壊である。
現状の維持を強く要望する。
36: 2015/10/21(水)12:24 ID:QhvZDmVbU(2/6) AAS
テーマ 余命36号 外国人留学生奨学金の廃止と日本の学生に対する支援制度について
要望
現状、生活費、授業料(国立大学無料、私立大学1/3)、渡航旅費(往復航空券)、渡日費用、宿舎補助、医療費補助(実費の80%)が支給されています。
 以前は、特定の職務(教育職や研究職)についた者に、奨学金の返還が免除されていたそうですが、今はその制度もありません。
 日本の優秀な学生に対しては奨学金のような貸与制ではなく、給付制による奨学金制度や特定の職務についた者への奨学金の返還免除が必要です。
 外国人留学生奨学金の廃止と同時に日本の将来を担う優秀な学生に対しての支援制度作りを強く要望します。
37: 2015/10/21(水)12:25 ID:QhvZDmVbU(3/6) AAS
テーマ 余命37号 留学生をビジネスとする大学の廃校と受入れ30万人計画の撤廃の件
要望
少子化の世の流れに逆らい大学を乱立させた結果、留学生を受け入れで経営を維持する大学があちこちにある。その穴埋めに中国韓国から招いた留学生が来日し全体の約7割を占めるまでに至った。
 年々この穴埋め留学生が日本に多数残り始めており、留学生受け入れ計画=移民受け入れ政策、になっている。
これら2国は日本に敵意を持つ者が多く、領土問題で分かるように敵性も高い。その弊害は大きく、スパイなど危険な存在になったりして国民にもその実態が知られつつある。
 近年、頻出する難民・移民からの国家侵略侵食、というパターンが欧米において顕著であり、対応に四苦八苦している。日本の経済界もこれらを助長する動きと連動している。しかし、それは欧米の二の舞いになるだけである。
よって留学生を受け入れないと成り立たない大学の廃校と外国人留学生受入れ30万人計画の撤廃を強く要望します。
38: 2015/10/21(水)12:31 ID:QhvZDmVbU(4/6) AAS
テーマ 余命38号
シリア難民について
要望
そもそも在日朝鮮人特別永住者に対する永住資格というものは日本政府が与えている許可であって権利ではない。
 特別永住者資格の要件は「戦前から日本に居住していた外国人」であることが前提だが、実際には戦後、多くの朝鮮人が密航して来て不法に特別永住資格を得ている。
このほとんどは難民ではない。
 現在、シリア難民に対するヨーロッパ諸国の対応が拒否に変わりつつある。この流入先がいずれ日本になることは避けられないだろう。
人道問題といわれれば拒否はしにくいし、ましてや在日朝鮮人にいい加減な難民許可をしておいてシリア難民の拒否となればまさに人種差別でありいいわけはできないだろう。
 よって難民認定の基準を強化するには、まず在日朝鮮人の特別永住者資格の取消しからはじめなければならない。
 文化的にイスラム諸国との共存は困難であることは明白である。極言すれば国が壊れる。
省2
39: 2015/10/21(水)12:33 ID:QhvZDmVbU(5/6) AAS
テーマ 余命39号
日本の人種差別法について
要望
余命12号で指紋押捺制度の見直しについて、余命14号で出入国特例法について要望している。指紋押捺制度は明らかな人種差別法であるが、特例法の方もひどいものだ。
 一般の在日外国人は重犯罪を犯した場合には受刑後に祖国に強制送還されるが、特別永住者(在日朝鮮人)の場合には、
「内乱に関する罪、外患に関する罪、国交に関する罪、外国の元首、外交使節又はその公館に対しての犯罪により禁錮以上の刑に処せられた者」など一部の特殊ケースを除いてそのままという世界でも例のない超法規的人種差別法である。
告訴され損害賠償を求められれば、抗弁できないだろう。これに加えて「年金保険料を支払っていない在日朝鮮人であるにもかかわらず、その朝鮮人限定で申請があれば年金を満額支払う」という制度が問題となっている。
 いずれも米国で訴訟の動きと国連への人種差別問題としての提起の動きがある。
年金問題は在日朝鮮人への支給を止めるか、全外国人に支給するかの二択である。
ばかばかしい話にならないうちに是正されるよう要望する。
40: 2015/10/21(水)12:34 ID:QhvZDmVbU(6/6) AAS
テーマ 余命40号
在日生活保護受給者の年金保険料全額免除と満額受給は廃止せよ。
要望
外国人への生活保護費支給については余命1号で「憲法違反である。直ちに中止されたい」
と要望しているが、その違法な生活保護を受けている在日の国民年金保険料は申請すれば全額免除となっている。また全額免除で年金を満額受け取れる。
憲法違反と人種差別のダブルである。この件も国連への人種差別資料としてピックアップされている。
日本国民は怒っている。即刻、廃止するよう要望する。
41: 463 米国戦時情報局慰安婦資料 2016/02/19(金)17:44 ID:Vf5fsRbs4(1/17) AAS
余命三年時事日記 463 米国戦時情報局慰安婦資料
外部リンク:yh649490005.xsrv.jp

クミ トービン
【戦時 日本人 捕虜尋問報告 第49号】
アメリカ戦時情報局心理作戦班による慰安婦に関する報告書の全文を日英で掲載します。
トニー・マラーノ氏、藤木俊一氏からは許可済みです。

【テキサス親父】慰安婦問題より引用
外部リンク[htm]:texas-daddy.com
全てのファイル一括ダウンロードする事が可能です。
詳しくは、こちらをご覧下さい。(送られて来た封筒も公文書も見れます)
省4
42
(1): 463 米国戦時情報局慰安婦資料 2016/02/19(金)17:49 ID:Vf5fsRbs4(2/17) AAS
資料(2枚目)
【テキサス親父】慰安婦問題より引用
外部リンク[htm]:texas-daddy.com
全てのファイル一括ダウンロードする事が可能です。

アメリカ戦時情報局 心理作戦班
アメリカ陸軍インド・ビルマ戦域軍所属 APO689
OFFICE OF WAR INFORMATION
Psychological Warfare Team
Attached to
U.S. Army Forces India-Burma Theater APO 689
省17
43
(1): 463 米国戦時情報局慰安婦資料 2016/02/19(金)17:50 ID:Vf5fsRbs4(3/17) AAS
はじめに
この報告は、1944年8月10日ごろ、ビルマのミートキナ陥落後の掃討作戦において捕らえられた20名の朝鮮;人「慰安婦」と20名の日本の民間人に対す る尋問から得た情報に基づくものである。
PREFACE
This report is based on the information obtained from the interrogation of twenty Korean “comfort girls” and two Japanese civilians captured around the tenth of August, 1944 in the mopping up operations after the fall of Myitkyina in Burma.

この報告は、これら朝鮮;人「慰安婦」を募集するために日本軍が用いた方法、慰安婦の生活および労働の条件、日本軍兵士に対する慰安婦の関係と反応、軍事情勢についての慰安婦の理解程度を示している。
The report shows how the Japanese recruited these Korean “comfort girls”, the conditions under which they lived and worked, their relations with and reaction to the Japanese soldier, and their understanding of the military situation.

「慰安婦」とは、売春婦、もしくは、「軍を追いかけている売春婦」、つまり「追軍売春婦」以外の何者でもない。
A “comfort girl” is nothing more than a prostitute or “professional camp follower”

「慰安婦」という用語は、日本軍特有のものである。この 報告以外にも、日本軍にとって戦闘の必要のある場所ではどこにでも「慰安婦」が存在してきたことを示す報告がある。
attached to the Japanese Army for the benefit of the soldiers. The word “comfort girl” is peculiar to the Japanese. Other reports show the “comfort girls” have been found wherever it was necessary for the Japanese Army to fight.
省4
44
(1): 463 米国戦時情報局慰安婦資料 2016/02/19(金)17:50 ID:Vf5fsRbs4(4/17) AAS
募 集;
1942年5月初旬、日本の斡旋業者たちが、日本軍によって新たに征服された東南アジア諸地域における「慰安役務」に就く朝鮮;人女性を募集するため、朝鮮に到着した。
RECRUITING;
Early in May of 1942 Japanese agents arrived in Korea for the purpose of enlisting Korean girls for “comfort service” in newly conquered Japanese territories in Southeast Asia.

この「役務」の性格は明示されなかったが、それは病院にいる負傷兵 を見舞い、包帯を巻いてやり、そして一般的に言えば、将兵を喜ばせることにかかわる仕事であると考えられていた。
The nature of this “service” was not specified but it was assumed to be work connected with visiting the wounded in hospitals, rolling bandages, and generally making the soldiers happy.

これらの周旋業者が用いる誘いのことば は、多額の金銭と、家族の負債を返済する好機、それに、楽な仕事と新天地シンガポールにおける新生活という将来性であった。
The inducement used by these agents was plenty of money, an opportunity to pay off the family debts, easy work, and the prospect of a new life in a new land, Singapore.

このような偽りの説明 を信じて、多くの女性が海外勤務に応募し、数百円の前渡金を受け取った。
On the basis of these false representations many girls enlisted for overseas duty and were rewarded with an advance of a few hundred yen.
省4
45
(1): 463 米国戦時情報局慰安婦資料 2016/02/19(金)17:51 ID:Vf5fsRbs4(5/17) AAS
資料(3枚目)
【テキサス親父】慰安婦問題より引用
外部リンク[htm]:texas-daddy.com
全てのファイル一括ダウンロードする事が可能です。

これらの女性およそ800人が、このようにして雇用され、1942年8月20日ごろ、「慰安所の楼主」に連れられてラングーンに上陸した。
Approximately 800 of these girls were recruited in this manner and they landed with their Japanese “house master ” at Rangoon around August 20th, 1942.

彼女たちは、8人ないし22人の集団でやって来た。
They came in groups of from eight to twenty-two.

彼女たちは、ここ からビルマの諸地方に、通常は日本軍駐屯地の近くにあるかなりの規模の都会に配属された。
From here they were distributed to various parts of Burma, usually to fair sized towns near Japanese Army camps.
省6
46
(1): 463 米国戦時情報局慰安婦資料 2016/02/19(金)17:52 ID:Vf5fsRbs4(6/17) AAS
性 質;
尋問により判明したところでは、平均的な朝鮮;人慰安婦は25歳くらいで、無教養、幼稚、気まぐれ、そして、わがままである。慰安婦は、日本的基準から いっても白人的基準からいっても、美人ではない。 とかく自己中心的で、自分のことばかり話したがる。
PERSONALITY;
The interrogations show the average Korean “comfort girl” to be about twenty-five years old, uneducated, childish, and selfish. She is not pretty either by Japanese of Caucasian standards.

見知らぬ人の前では、もの静かでとりすました態度を見せるが、「女の手練手管を心得ている」。
She is inclined to be egotistical and likes to talk about herself. Her attitude in front of strangers is quiet and demure, but she “knows the wiles of a woman.”

自分の 「職業」が嫌いだといっており、仕事のことについても家族のことについても話したがらない。
She claims to dislike her “profession” and would rather not talk either about it or her family.

捕虜としてミートキナやレドのアメリカ兵から親切な扱いを受けた ために、アメリカ兵のほうが日本兵よりも人情深いと感じている。慰安婦は中国兵とインド兵を怖がっている。
Because of the kind treatment she received as a prisoner from American soldiers at Myitkyina and Ledo, she feels that they are more emotional than Japanese soldiers. She is afraid of Chinese and Indian troops.
47
(1): 463 米国戦時情報局慰安婦資料 2016/02/19(金)17:54 ID:Vf5fsRbs4(7/17) AAS
生活および労働の環境;
ミートキナでは慰安婦たちは、通常、個室のある二階建ての大規模家屋(普通は学校の校舎)に宿泊していた。
LIVING AND WORKING CONDITIONS;
In Myitkyina the girls were usually quartered in a large two story house (usually a school building) with a separate room for each girl.

それぞれの慰安婦は、そこで寝起きし、業を営ん だ。彼女たちは、日本軍から一定の食料を買っていた。
There each girl lived, slept, and transacted business. In Myitkina their food was prepared by and purchased from the “house master” as they received no regular ration from the Japanese Army.

ビルマでの彼女たちの暮らしぶりは、ほかの場所と比べれば贅沢ともいえるほどであった。この点はビルマ生活2年目についてとくにいえることであった。
They lived in near-luxury in Burma in comparison to other places. This was especially true of their second year in Burma.

食料・物資の配給量は多くなかったが、欲しい物品を購入するお金はたっぷりもらっていたので、彼女たちの 暮らし向きはよかった。
They lived well because their food and material was not heavily rationed and they had plenty of money with which to purchase desired articles.
省6
48
(2): 463 米国戦時情報局慰安婦資料 2016/02/19(金)17:55 ID:Vf5fsRbs4(8/17) AAS
優先順位料金等;
慰安婦の営業条件は軍によって規制され、慰安所の利用どの高い地域では、規則は厳格に実施された。
PRIOR SYSTEM;
The conditions under which they transacted business were regulated by the Army, and in congested areas regulations were strictly enforced.

利用度の高い地域では、軍は料金、利用優先順位、および 特定地域で作戦を実施している各部隊のための利用時間割り当て制を設ける必要があると考えた。
The Army found it necessary in congested areas to install a system of prices, priorities, and schedules for the various units operating in a particular areas.

尋問によれば普通の料金は次のとおりであった。
According to interrogations the average system was as follows:
49: 463 米国戦時情報局慰安婦資料 2016/02/19(金)19:19 ID:Vf5fsRbs4(9/17) AAS
資料(4枚目)
【テキサス親父】慰安婦問題より引用
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1.兵  午前10時〜午後5時 1.5円 20〜30分
2.下士官 午後5時〜午後9時 3 円 30〜40分
3.将校 午後9時〜午後12時 5 円 30〜40分

1. Soldiers 10 am to 5 pm 1.50 yen 20 to 30 minutes
2. NCOs 5 pm to 9 pm 3.00 yen 30 to 40 minutes
3. Officers 9 pm to 12 pm 5.00 yen 30 to 40 minutes
省8
50
(1): 463 米国戦時情報局慰安婦資料 2016/02/19(金)19:21 ID:Vf5fsRbs4(10/17) AAS
この問題を解決するため、軍は各部隊のために特定日を設けた。その日の要員として、通常当該部隊員二名が、隊員の確 認のために慰安所に配置された。
In order to overcome this problem the Army set aside certain days for certain units. Usually two men from the unit for the day were stationed at the house to identify soldiers.

秩序を保つため、監視任務の憲兵も見まわった。第18師団がメイミョーに駐留したさい、各部隊のために「キョウエイ」慰安所が使用した利用日割表は、次のとおりである。
A roving MP was also on hand to keep order. Following is the schedule used by the “Kyoei” house for the various units of the 18th Division while at Naymyo.

日曜日――第18師団司令部。
月曜日――騎兵隊
火曜日――工兵隊
水曜日――休業日、定例健康診断
木曜日――衛生隊
金曜日――山砲兵隊
省14
51: 463 米国戦時情報局慰安婦資料 2016/02/19(金)19:21 ID:Vf5fsRbs4(11/17) AAS
次に、それぞれの兵士の所属と階級が確認され、そののちに兵士は「列をつくって順番を待った」。
Each soldier’s identity or rank was then established after which he “took his turn in line”.

慰安婦は接客を断る権利を認められていた。接客拒否 は、客が泥酔している場合にしばしば起こることであった。
The girls were allowed the prerogative of refusing a customer.This was often done if the person were too drunk.

報酬および生活状態
「慰安所の楼主」は、それぞれの慰安婦 が、契約を結んだ時点でどの程度の債務額を負っていたかによって差はあるものの、慰安婦の稼ぎの総額の50ないし60パーセントを受け取っていた。
PAY AND LIVING CONDITIONS;
The “house master” received fifty to sixty per cent of the girls’ gross earnings depending on how much of a debt each girl had incurred when she signed her contract.

これ は、慰安婦が普通の月で総額1500円程度の稼ぎを得ていたことを意味する。慰安婦は、「楼主」に750円を渡していたのである。多くの「楼主」は、食料、その他の物品の代金として慰安婦たちに多額の請求をしていたため、彼女たちは生活困難に陥った。
This meant that in an average month a girl would gross about fifteen hundred yen. She turned over seven hundred and fifty to the “master”. Many “masters” made life very difficult for the girls by charging them high prices for food and other articles.
省4
52: 463 米国戦時情報局慰安婦資料 2016/02/19(金)19:23 ID:Vf5fsRbs4(12/17) AAS
資料(5枚目)
【テキサス親父】慰安婦問題より引用
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また、兵士たちも、軍から支給された避妊具を自分のほうからもって来る場合が多かった。慰安婦は衛生に関して、彼女たち自身についても客についても気 配りすように十分な訓練を受けていた。
had been supplied by the army. They were well trained in looking after both themselves and customers in the matter of hygiene.

日本軍の正規の軍医が慰安所を週に一度訪れたが、罹患していると認められた慰安婦はすべて処置を施され、隔離された のち、最終的には病院に送られた。
A regular Japanese Army doctor visited the houses once a week and any girl found diseased was given treatment, secluded, and eventually sent to a hospital.

軍そのものの中でも、まったく同じ処置が施されたが、興味深いこととしては、兵士は入院してもその期間の給与をもらえなくなることはなかったという点が注目される。
This same procedure was carried on within the ranks of the Army itself, but it is interesting to note that a soldier did not lose pay during the period he was confined.
省10
53: 463 米国戦時情報局慰安婦資料 2016/02/19(金)19:26 ID:Vf5fsRbs4(13/17) AAS
兵士たちの反応;
慰安婦の一人によれば、平均的な日本軍人は、「慰安所」にいる ところを見られるのをきまり悪がり、彼女が言うには、「慰安所が大入り満員で、並んで順番を待たなければならない場合には、たいてい恥ずかしがる」そうで ある。
SOLDIERS REACTIONS;
The average Japanese soldier is embarrassed about being seen in a “comfort house” according to one of the girls who said, “when the place is packed he is apt to be ashamed if he has to wait in line for his turn”

しかし、結婚申し込みの事例はたくさんあり、実際に結婚が成立した例もいくつかあった。
However there were numerous instances of proposals of marriage and in certain cases marriages actually took place.

すべての慰安婦の一致した意見では、彼女たちのところへやって来る将校と兵士のなかで最も始末が悪いのは、酒に酔っていて、しかも、翌日戦前に向かうことになっている連中であった。
All the girls agreed that the worst officers and men who came to see them were those who were drunk and leaving for the front the following day.

しかし、同様に彼女た ちが口を揃えて言うには、日本の軍人は、たとえどんなに酔っていても、彼女たちを相手にして軍事にかかわる事柄や秘密について話すことは決してなかった。
But all likewise agreed that even though very drunk the Japanese soldier never discussed military matters or secrets with them.
省11
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