塩見周子「煎餅ババア」 (139レス)
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109: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga] 2022/08/14(日) 18:05:58.87 ID:a8uQb+4u0(109/133) AAS
 京都って、帰ろうと思えば3時間くらいでサクッと帰れちゃうんだよね。
 東京での普段の仕事でも、1日中あっちこっち移動してればそれくらい時間かかってる時もある。

 だからと言って、感じ入るものが無いと言えばウソになる。
 久しぶりに故郷の駅に降り立つと、あぁ、これが郷愁ってヤツなんかなぁ、なんて。

「どんな匂いする?」

 新幹線の中では20〜30分おきに暴走と爆睡を繰り返していた志希ちゃんが、興味津々そうにあたしの顔を覗き込む。

「自分のルーツに直面すると、周子ちゃんはどんな気持ちになるのかにゃ?」
省10
110: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga] 2022/08/14(日) 18:08:09.79 ID:a8uQb+4u0(110/133) AAS
 必死に追いかける美嘉ちゃんを茶化すように、志希ちゃんは向こうの通りへと駆けていってしまった。
 あーあ、あたしんちそっちじゃないんだけど。
 まぁいいか。

「周子」

 後ろからあたしに声を掛けたのは、奏ちゃんだ。
 フレちゃんも隣にいる。

「私達は、しばらく市内を観光していれば良いのかしら?」
「え? あぁ」

 ――なるほど。
 志希ちゃん達も、わざとあっちに走って行ったのかな。
省6
111: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga] 2022/08/14(日) 18:09:00.00 ID:a8uQb+4u0(111/133) AAS
「それなら、紗枝はんが同行できたら良かったなぁ」

 紗枝はんとプロデューサーさんは、仕事の都合であたし達と一緒の新幹線では来れなかった。
 大仏は奈良で、めんそーれは沖縄だってことをフレちゃんに教えてあげられる人がいない事が悔やまれる。

 ま、それはともかくとして。

「じゃあ、あたしちょっと寄るトコあるんで」

 後ろ手に手を振って歩き出すと、
省3
112: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga] 2022/08/14(日) 18:10:27.97 ID:a8uQb+4u0(112/133) AAS
 1年と、ちょっとか――。
 キンキンに冷えた朝だったな、あの日は。

 お上りさん丸出しのデッカいキャリーバッグをガラガラ引きながら、陽も昇らない時間に、この通りを歩いてた。

「懐かしいっちゃ、懐かしいか」

 1年で街並みがそう変わるわけじゃない。
 ましてこの辺の街道は、よく知らんけど街並みの保全がどうとか、そういう仕組みができてるらしいし。

 それでも、帰ってきたな、って感じはする。
省9
113: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga] 2022/08/14(日) 18:11:39.15 ID:a8uQb+4u0(113/133) AAS
 向こうに見えたのは、あたしの実家『塩見屋』。
 今日も繁盛して――。

 は? 何あれ?
 あたしがいる。

 遠目でよく見えないけど、あたしっぽいシルエットの等身大パネルが店先に置いてあるのが見える。

 飛ぶ鳥を落とす勢いの人気アイドル塩見周子の生家ですー、ってか?
 あんな事をお父さんが率先してするはずがない。

 お母さんめ、散々あたしの髪に文句言ってたくせに。
 ホンマええ根性してるわ。
省4
114: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga] 2022/08/14(日) 18:13:01.98 ID:a8uQb+4u0(114/133) AAS
 と言いつつ、やっぱりビビリなのがあたし。
 なので、いつぞやのヤンチャ坊主達よろしく、入口の端っこからそーっと顔を伸ばし、中の様子を伺う。

 ばあちゃんはカウンターの奥で、まるで置物のように座っていた。

 よく見ると、トレードマークの襷をかけていない。
 ちょっとムワッとする陽気の中、厚手の着物を折り目正しいままに着て。

 微動だにせず、まるで目を開けながら眠っているみたいだった。

 いや――ひょっとして、ひょっとしないよね?
省9
115: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga] 2022/08/14(日) 18:13:58.09 ID:a8uQb+4u0(115/133) AAS
「あ、あのぉ……」

 勇気を出して、とうとうあたしは声を掛けた。
 ばあちゃんは、まだ動かない。

「あの……す、すみませぇんっ」

 少し声を張ると、ばあちゃんの肩がピクッと動いた。
 おぉ、良かった生きてたわ。

 ゆっくりと顔をこちらに向けて、ばあちゃんの視線があたしと交錯する。
省6
116: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga] 2022/08/14(日) 18:15:36.41 ID:a8uQb+4u0(116/133) AAS
 ――あたしに気づいていない、か。

 ま、通りの人達からも、気づかれなかったし。こんな髪色だし。

「東京です」

 ほんの少し悩みながら答えたあたしに、ばあちゃんは「えっ?」と耳を向けた。

「あ、あの……東京です」
「えぇ?」
「あの、と、東京っ」
「トウキョー? あぁ〜、東京、へぇー、遠いとこからよう来はったねぇ」
省11
117: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga] 2022/08/14(日) 18:16:56.75 ID:a8uQb+4u0(117/133) AAS
「よう買うていきはるんは、この辺りかしらねぇ。
 好きなのを5枚選んで1000円。ザラメはちょっと固いけどね、美味しいですえ。
 ほいでね、えーと、こっちの箱はね、えぇーと、10枚入ってますよ。
 こっちは20枚。ちょっと女性だと重たいかしらね。
 宅急便もありますさかいね。あぁ、そうそう、後ろにあるのが変わり種です。のりチーズとか。
 あぁ、ええと、そこに座ってね、お茶出しますんで食べていかれるんも大丈夫ですよ」

「へぇー」

 値上げしたんだ。
 あたしがいた頃は、5枚で800円やったのにな。

 しかし、要領を得ない紹介だ。
省10
118: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga] 2022/08/14(日) 18:18:29.66 ID:a8uQb+4u0(118/133) AAS
「…………」
「どないしはりました?」

「いや、その……」

 言え!
 あたしは塩見周子や、って。

 今のタイミングしかない。

 あの時、ばあちゃんの夢を“なんか”呼ばわりして、ごめんなさいって言え! あたし!
省11
119: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga] 2022/08/14(日) 18:19:40.05 ID:a8uQb+4u0(119/133) AAS
「そうや」

「え?」

 レジに向かおうとしたばあちゃんの足が、ピタリと止まった。

「お時間、ありますかの?
 ちょっとそこに掛けて、涼んでいってください。
 今ね、冷たいお茶お出ししますんで、ちょぉ待っとってくださいね」

「えっ? ちょ……」
省9
120: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga] 2022/08/14(日) 18:20:29.23 ID:a8uQb+4u0(120/133) AAS
 ――――。

 本当にお客さん、来ないな。
 まるで、この店の中だけ時間が止まっているみたいだ。

 今日が最後になるんかな。あたし。

「ごめんなさいねぇ」

 振り返ると、ばあちゃんがお盆を持ってこちらに向かってきていた。
省7
121: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga] 2022/08/14(日) 18:21:21.41 ID:a8uQb+4u0(121/133) AAS
 見たことが無い。
 ばあちゃんの新商品だ。

 黒文字を添えられたそれは、およそ煎餅とは思えないような上品な出で立ちで――。

 舞妓はんのような――雪のような白粉をあしらった、今まで見た中で一番綺麗なお煎餅だった。

「柔いのが好きやったでしょう?」

「……えっ?」
省3
122: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga] 2022/08/14(日) 18:22:20.16 ID:a8uQb+4u0(122/133) AAS
「……何や」

 照れくさくて、頬をポリポリと掻く。

「気づいてたん?」
「何言うてんの。当たり前やないの」
「ふふ……言ってよ」

 ええ根性してはるわぁ。さすが京都の商人。

「その、さ……ばあちゃん」
「なぁに?」
省8
123: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga] 2022/08/14(日) 18:23:53.56 ID:a8uQb+4u0(123/133) AAS
 いくらでも思い出せる。
 いちいち特定できないくらい、あたしはばあちゃんに迷惑をかけ続けてきた。

「それだけやない。もっと……まだある。
 あたしがお中元持っていって、その日の夕方、あたしの勘違いで救急車呼ぶ事になって……
 皆からばあちゃん、白い目で見られてさ」

 ばあちゃんと目を合わせることができないまま、お皿の上に乗ったお煎餅に視線を落として、やっと気づく。

 手紙にあった雪って、これのことか。

 あたしはずっと、ばあちゃんの事を勘違いしてたんだな。
 勝手にボケたもんだと。
 下り坂の残り試合を、衰えながら消化していく、可哀想な境遇にいるんだと。
省6
124: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga] 2022/08/14(日) 18:25:23.21 ID:a8uQb+4u0(124/133) AAS
 あたしが馬鹿にしたアイデアを、こんな素敵なものにできるほど、まだまだ心は萎えてないし――。
 優しくて可愛い、大きな人だった。

 でも、だからと言って――。
 ばあちゃんに対するやらかしに、あたしが無責任のままでいていいはずが無い。

「今日来てみてさ……やっぱあたし、この店好きやわ。
 でも、これからも好きでいさせてもらえるために……あたし、言わなきゃあかん」

「あの人が好きでねぇ。新しいお煎餅を考えるの」

 顔を上げると、お婆ちゃんは視線を外し、遠い目をしながら懐かしむように通りを眺めていた。
省7
125: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga] 2022/08/14(日) 18:27:05.54 ID:a8uQb+4u0(125/133) AAS
 ケラケラと笑って、ばあちゃんは話を続ける。

「次第に客足も遠くなって、つまんなくなっちゃったんだろうねぇ。
 イライラして、一度、おイタをした子に怒鳴った事があったんよ。
 したら、その親御さんから、逆にお礼言われちゃって」

 ――ははーん、なるほど。
 煎餅ババアの誕生秘話見たり、ってか。

「ばあちゃんの成功体験だったわけやね」
「そう。何も生み出せない私が、人との繋がりを保つ唯一の手段。
 おかげで子供達からも、親御さん達からも、たっぷり注目してもらえてねぇ」

 今で言う炎上商法ってヤツかな。
省6
126: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga] 2022/08/14(日) 18:28:21.29 ID:a8uQb+4u0(126/133) AAS
「……ばあちゃん」
「たくさんお客さん来てくれて、たくさん、新しいお煎餅できたねぇ……。
 ホンマに、いくら感謝しても、しきれんよねぇ」

「言わんでよ……」

 そんなこと無い。
 あんなの、好きでやってただけで――それに第一。

「言わないでよ……あたし、感謝される筋合いなんてない。
 何もばあちゃんにしてあげられてない……!」

 全部それをぶっ壊したんだ。
 今閑古鳥が鳴ってるの、あたしのせいなんだよ。
省11
127: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga] 2022/08/14(日) 18:30:21.41 ID:a8uQb+4u0(127/133) AAS
「ばあちゃん……!」

 やめてよ――!
 そんな事、あたしなんかに言わんでよ!

「ただ、ちょっと怒鳴り方間違えたかしらねぇ。
 ああいう怒り方で、もっと新しいお客さん増えるかと思っとったんやけど、全然サッパリ来んで」
「アホ! 当たり前や!
 せっかく救急車呼ばれといて、あんな……あんな難癖あらへんわっ!」
「忘れてもうたんやねぇ、煎餅ババアの怒り方。
 しばらく怒鳴ってなかったものねぇ、誰かさんのせいで、おほほほ」
「アホぉ……!」
省8
128: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga] 2022/08/14(日) 18:31:53.55 ID:a8uQb+4u0(128/133) AAS
「冷めないうちに、早う」
「とっくに冷めとるわ」

 お鼻をチンして、フンッと笑い、あたしは黒文字を手にとって改めてそれと対峙した。

 ――お。意外と、柔らかくない。
 そりゃ、ケーキとかと違うのは分かるけど。

 おや、今気づいたけど、餡子をお煎餅で挟んでるんだ。
 そういやそんなん言った事あったなー。ずっとあっためてたんかな。

 そして、煎餅っぽい食感を残してそうな、そこそこ絶妙な固さ。
 ちゃんと考えられてそうやん。
省10
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