[過去ログ] 六月の花嫁を語ろう Part5 (770レス)
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550: 2014/09/04(木)05:48 ID:xmnnymVK0(2/8) AAS
して云く「未顕真実」と法華経に云く「此の事は為て不可なり」等云云、仏自ら云く「我世に出で
て華厳・般若等を説きて法華経をとかずして入涅槃せば愛子に財ををしみ病者に良薬をあたへずして死にたるがごとし仏自ら地獄に堕つべし」と云云、不可と申すは地獄の名なり況や法華経の後・爾前の経
に著して法華経へうつらざる者は大王に民の従がはざるがごとし親に子の見へざるがごとし、設い法華経を破せざれども爾前の経経をほむるは法華経をそしるに当たれり、妙楽云く「若し昔を称歎せば豈に今を
毀るに非ずや」文、又云く「発心せんと欲すと雖も偏円を簡ばず誓の境を解らざれば未来法を聞くとも何ぞ能く謗を免れん」等云云、真言の善無畏・金剛智・不空・弘法・慈覚・智証等は設とい法華経を大日
経に相対して勝劣を論ぜずして大日経を弘通すとも滅後に生まれたる三蔵・人師なれば謗法はよも免れ候はじ、何に況や善無畏等の三三蔵は法華経は略説・大日経は広説と同じて而かも法華経の行者を
大日経えすかし入れ、弘法等の三大師は法華経の名をかきあげて戯論なんどかかれて候大科を明らめずして此の四百余年一切衆生を皆謗法の者となせり、例せば大荘厳仏の末の四比丘が六
551: 2014/09/04(木)05:49 ID:xmnnymVK0(3/8) AAS
百万億那由佗の人を皆無間地獄に堕せると、師子音王仏の末の勝意比丘が無量無辺の持戒の比丘・比丘尼・うばそく・うばいを皆阿鼻大城に導きしと、今の三大師の教化に随いて日本国四十九億九万四千八百二
十八人或は云く日本紀に行基の人数に云く男女四十五億八万九千六百五十九人云云の一切衆生又四十九億等の人人四百余年に死して無間地獄に堕ちぬれば其の後他方世界よりは生れて又死して
無間地獄に堕ちぬ、かくのごとく堕つる者は大地微塵よりも多し此れ皆三大師の科ぞかし、此れを日蓮此に大に見ながらいつわりをろかにして申さずば倶に堕地獄の者となつて一分の科なき身が十方の大阿鼻獄を
経めぐるべしいかでか身命をすててよばわらざるべき涅槃経に云く「一切衆生異の苦を受くるは悉く是如来一人の苦なり」等云云、日蓮云く一切衆生の同一苦は悉く是日蓮一人の苦と申すべし。
平城天皇の御宇に八幡の御託宣に云く「我は是れ日本の鎮守八幡大菩薩なり百王を守護せん誓願あり」等云云、今云く人王八十一・二代隠岐の法皇・三・四・五の諸王已に破られ畢んぬ残の二十
余代・今捨て畢んぬ、已に此の願破るるがごとし、日蓮料簡して云く百王を守護せんというは正直の王・百
552: 2014/09/04(木)19:12 ID:xmnnymVK0(4/8) AAS
人を守護せんと誓い給う、八幡の御誓願に云く「正直の人の頂を以て栖と為し、諂曲の人の心を以て亭ず」等云云、夫れ月は清水に影をやどす濁水にすむ事なし、王と申すは不
妄語の人・右大将家・権の大夫殿は不妄語の人・正直の頂八幡大菩薩の栖む百皇の内なり、正直に二あり一には世間の正直・王と申すは天・人・地の三を串くを王と名づく、天・人・地の
三は横なりたつてんは縦なり、王と申すは黄帝・中央の名なり、天の主・人の主・地の主を王と申す、隠岐の法皇は名は国王・身は妄語の人なり横人なり、権の大夫殿は名は臣下・身
は大王・不妄語の人・八幡大菩薩の願い給う頂きなり、二には出世の正直と申すは爾前・七宗等の経論釈は妄語・法華経・天台宗は正直の経釈なり、本地は不妄語の経の釈迦仏・迹
には不妄語の八幡大菩薩なり、八葉は八幡・中台は教主釈尊なり、四月八日・寅の日に生まれ八十年を経て二月十五日申の日に隠れさせ給う、豈に教主の日本国に生まれ給うに有らずや、
大隅の正八幡宮の石の文に云く「昔し霊鷲山に在つて妙法華経を説き今正宮の中に在て大菩薩と示現す」等云云、法華経に云く「今此三界」等云云、又「常に霊鷲山に在り」等云云、遠くは三
553: 2014/09/04(木)19:13 ID:xmnnymVK0(5/8) AAS
千大千世界の一切衆生は釈迦如来の子なり、近くは日本国・四十九億九万四千八百二十八人は八幡大菩薩の子なり、今日本国の一切衆生は八幡をたのみ奉るやうにもてなし
釈迦仏をすて奉るは影をうやまつて体をあなづり子に向いて親をのるがごとし、本地は釈迦如来にして月氏国に出でて正直捨方便の法華経を説き給い、垂迹は日本国に生れては正直の頂
きにすみ給う、諸の権化の人人の本地は法華経の一実相なれども垂迹の門は無量なり、所謂跋倶羅尊者は三世に不殺生戒を示し鴦崛摩羅は生生に殺生を示す、舎利弗は外道となり是
くの如く門門不同なる事は本凡夫にて有りし時の初発得道の始を成仏の後・化他門に出で給う時我が得道の門を示すなり、妙楽大師云く「若し本に従て説かば亦是れ昔殺等の悪の中に
於て能く出離するが故なり是の故に迹中に亦殺を以て利他の法門と為す」等云云、今八幡大菩薩は本地は月支の不妄語の法華経を迹に日本国にして正直の二字となして賢人の頂きにや
どらんと云云、若し爾らば此の大菩薩は宝殿をやきて天にのぼり給うとも法華経の行者・日本国に有るならば其の所に栖み給うべし。
法華経の第五に云く諸天昼夜に常に法の為の故に而も之を衛護
554: 2014/09/04(木)19:14 ID:xmnnymVK0(6/8) AAS
す、経文の如くんば南無妙法蓮華経と申す人をば大梵天・帝釈・日月・四天等・昼夜に守護すべしと見えたり、又第六の巻
に云く「或は己身を説き或は他身を説き或は己身を示し或は他身を示し或は己事を示し或は他事を示す」文観音尚三十三身を現じ妙音又三十四身を現じ給ふ教主釈尊何ぞ八幡大菩薩
と現じ給はざらんや・天台云く「即是れ形を十界に垂れて種種の像を作す」等云云。天竺国をば月氏国と申すは仏の出現し給うべき名なり、扶桑国をば日本国と申すあに聖人出で給わざらむ、
月は西より東に向へり月氏の仏法の東へ流るべき相なり、日は東より出づ日本の仏法の月氏へかへるべき瑞相なり、月は光あきらかならず在世は但八年なり、日は光明・月に勝れ
り五五百歳の長き闇を照すべき瑞相なり、仏は法華経謗法の者を治し給はず在世には無きゆへに、末法には一乗の強敵充満すべし不軽菩薩の利益此れなり、各各我が弟子等はげませ給へはげませ給へ。
弘安三年太歳庚辰十二月 日 日蓮花押爾前得道の旨たる文、経に云く見諸菩薩等云云、又云く始見我身等、此等の文の如きは菩薩初地初住に叶う事有ると見えたるなり、故に見諸
菩薩の文の下には而我等不預斯事と・又始見の
555: 2014/09/04(木)23:33 ID:xmnnymVK0(7/8) AAS
文の下には除先修習等云云、此れは爾前に二乗作仏無しと見たる文なり。問う顕露定教には二乗作仏を許すや顕露不定教には之を許すか秘密には之を許すか爾前の円には二乗作仏を許すや別教
には之を許すか、答う所詮は重重の問答有りと雖も皆之を許さざるなり、所詮は二乗界の作仏を許さずんば菩薩界の作仏も許さざるか衆生無辺誓願度の願の闕くるが故なり、釈は菩薩の得道と見たる
経文を消する許りなり、所詮華・方・般若の円の菩薩も初住に登らず又凡夫二乗は勿論なり化一切衆生皆令入仏道の文の下にて此の事は意得可きなり。問う円の菩薩に向つては二乗作仏を説くか、答う説
かざるなり未曾向人説如此事の釈に明かなり。問う華厳経の三無差別の文は十界互具の正証なりや、答う次下の経に云く如来智慧の大薬王樹は唯二所を除きて生長することを得ず所謂声聞と縁覚となり等云云
二乗作仏を許さずと云う事分明なり、若し爾らば本文は十界互具と見えたれども実には二乗作仏無ければ十界互具を許さざるか、其の上爾前の経は法華経を以て定む可し既に除先修習等云云と云
う華厳は二乗作仏無しと云う事分明なり方等般若も又以て此くの如し。惣じて爾前の円に意得可
556: 2014/09/04(木)23:33 ID:xmnnymVK0(8/8) AAS
き様・二有り、一には阿難結集の已前に仏は一音に必ず別円二教の義を含ませ一一の音に必ず四教三教を含ませ給えるなり、故に純円の円は爾前経には無きなり故に円と云えど
も今の法華に対すれば別に摂すと云うなり、籤の十に又一一の位に皆普賢行布の二門有り故に知んぬ兼ねて円門を用いて別に摂すと釈するなり此の意にて爾前に得道無しと云うなり、二には阿難結集の時・多羅
葉に注す一段は純別・一段は純円に書けるなり方等・般若も此くの如し、此の時は爾前の純円に書ける処は粗法華に似たり、住中多明円融之相等と釈するは此の意なり。
天台智者大師は此の道理を得給いし故に他師の華厳など惣じて爾前の経を心得しには・たがい給えるなり、此の二の法門をば如何として天台大師は心得給いしぞとさぐれば法華経の信解品等を以て一一の
文字別円の菩薩及び四教三教なりけりとは心得給いしなり、又此の智恵を得るの後にて彼等の経に向つて見る時は一向に別・一向に円等と見えたる処あり、阿難結集の後のしはざなりけりと見給えるなり、天
台一宗の学者の中に此の道理を得ざるは爾前の円と法華の円と始終同の義を思う故に一処のみの円教の経を見て一巻二巻等に純円の義を存ずる
557: 2014/09/05(金)05:37 ID:ogQiRbcb0(1/6) AAS
故に彼の経等に於て往生成仏の義理を許す人人是れ多きなり、華厳・方等・般若・観経等の本文に於て阿難・円教の巻を書くの日に即身成仏云云即得往生等とあるを見て一生乃至順次生に往生成仏を
遂げんと思いたり、阿難結集已前の仏口より出す所の説教にて意を案ずれば即身成仏・即得往生の裏に歴劫修行・永不往生の心含めり、句の三に云く摂論を引いて云く了義経・依文判義等と云う意なり、爾前の経を文の如く判ぜば仏意に乖く可しと云う
事は是なり、記の三に云く法華已前は不了義なる故と云えり此の心を釈せるなり、籤の十に云く「唯此の法華のみ前教の意を説き今経の意を顕す」と釈の意は是なり。
抑他師と天台との意の殊なる様は如何と云うに他師は一一の経経に向つて彼の経経の意を得たりと謂へり、天台大師は法華経に仏四十余年の経経を説き給へる意をもつて諸経を釈する故に阿難尊者の書きし
所の諸経の本文にたがひたる様なれども仏意に相叶いたるなり、且らく観経の疏の如き経説には見えざれども一字に於て四教を釈す、本文は一処は別教・一処は円教・一処は通教に似たり、釈の四教に亘るは法華
の意を以て仏意を知りたもう故なり、阿難尊者の結集する経にては一処
558: 2014/09/05(金)05:38 ID:ogQiRbcb0(2/6) AAS
は純別・一処は純円に書き別円を一字に含する義をば法華にて書きけり、法華にして爾前の経の意を知らしむるなり、若し爾らば一
代聖教は反覆すと雖も法華経無くんば一字も諸経の意を知るべからざるなり、又法華経を読誦する行者も此の意を知らずんば法華経を読むにては有る可からず、爾前の経は深経なればと云つて浅経の意をば顕さず浅経な
ればと云つて又深義を含まざるにも非ず、法華経の意は一一の文字は皆爾前の意を顕し法華経の意をも顕す故に一字を読めば一切経を読むなり一字を読まざるは一切経を読まざるなり、若し爾らば法華経無き国には諸経
有りと雖も得道は難かる可し、滅後に一切経を読む可き様は華厳経にも必ず法華経を列ねて彼の経の意を顕し観経にも必ず法華経を列ねて其の意を顕すべし諸経も又以て此くの如し、而るに月支の末の論師及び震
旦の人師此の意を弁えず一経を講して各我得たりと謂い又超過諸経の謂いを成せるは曾て一経の意を得ざるのみに非ず謗法の罪に堕するか。
問う天竺の論師・震旦の人師の中に天台の如く阿難結集已前の仏口の諸経を此くの如く意得たる論師・人師之有るか、答う無著菩薩の摂論には四意趣を以て諸経を釈し、竜樹菩薩の大論に
559: 2014/09/05(金)05:39 ID:ogQiRbcb0(3/6) AAS
は四悉檀を以て一代を得たり、此れ等は粗此の意を釈すとは見えたれども天台の如く分明には見えず、天親菩薩の法華論も又以て此くの如し、震旦国に於ては天台以前の五百年の
間には一向に此の義無し、玄の三に云く「天竺の大論尚其の類に非ず」云云、籤の三に云く「一家の章疏は理に附し教に憑り凡そ立つる所の義・他人の其の所弘に随い偏に己が典を讃す
るに同じからず、若し法華を弘むるに偏に讃せば尚失なり況や復余をや」文、何となれば既に開権顕実と云う何ぞ一向に権を毀る可きや、華厳経の心仏及衆生・是三無差別の文は華厳の人
師・此の文に於て一心覚不覚の三義を立つるは、源と起信論の名目を借りて此の文を釈するなり、南岳大師は妙法の二字を釈するに此の文を借りて三法妙の義を存せり、天台智者大師は之
を依用す此に於て天台宗の人は華厳・法華同等の義を存するか、又澄観・心仏及衆生の文に於て一心覚不覚の義を存するのみに非ず性悪の義を存して云く、澄観の釈に「彼の宗には此れを謂
つて実と為す此の宗の立義・理通ぜざる無し」等云云、此等の法門許す可きや否や、答えて云く弘の一に云く「若し今家の諸の円文の意無くんば彼の経の偈の旨理実に消し難し」同
560: 2014/09/05(金)19:52 ID:ogQiRbcb0(4/6) AAS
じく五に云く「今文を解せずんば如何ぞ心造一切三無差別を消解せん」文、記の七に云く忽ち都て未だ性悪の名を聞かずと云えり、此等の文の如くんば天台の意を得ずんば彼の経の偈の意・知り難きか、又震旦の
人師の中には天台の外には性悪の名目あらざりけるか、又法華経に非ずんば一念三千の法門・談ずべからざるか、天台已後の華厳の末師並びに真言宗の人・性悪を以て自宗の依経の詮と為すは天竺より伝わり
たりけるか祖師より伝わるか、又天台の名目を偸んで自宗の内証と為すと云へるか、能く能く之を験す可し。
問う性悪の名目は天台一家に限る可し諸宗には之無し、若し性悪を立てずんば九界の因果を如何が仏界の上に現ぜん、答う義例に云く性悪若断等云云、問う円頓止観の証拠と一念三千の証拠に華厳経の
心仏及衆生是三無差別の文を引くは彼の経に円頓止観及び一念三千を説くというか、答えて云く天台宗の人の中には爾前の円と法華の円と同の義を存す、問う六十巻の中に前三教の文を引いて円の義を釈
せるは文を借ると心得、爾前の円の文を引いて法華の円の義を釈するをば借らずと存ぜんや、若し爾らば三種の止観の証文に爾前の諸経を引く中に円頓止観の証拠に華厳の菩
561: 2014/09/05(金)19:53 ID:ogQiRbcb0(5/6) AAS
薩於生死等の文を引けるをば、妙楽釈して云く「還つて教味を借て以て妙円を顕す」とは此の文は諸経の円の文を借ると釈するに非ずや、若し爾らば心仏及衆生の文を一念三千の証拠に引く事は之を借れるにて有るべし、答う当世の天台宗は華厳宗
の見を出でざる事を云うか、華厳宗の意は法華と華厳とに於て同勝の二義を存ず、同は法華・華厳の所詮の法門之同じとす、勝には二義あり、古の華厳宗は教主と対菩薩衆等の勝の義を談ず、近
代の華厳宗は華厳と法華とに於て同勝の二義有りと云云、其の勝に於て又二義あり、迹門は華厳と同勝の二義あり華厳の円と法華迹門の相待妙の円とは同なり彼の円も判〓・此の円も判〓の故なり、籤の
二に云く「故に須らく二妙を以て三法を妙ならしむべし故に諸味の中に円融有りと雖も全く二妙無し」私志記に云く「昔の八の中の円は今の相待の円と同じ」と云へり是は同なり記の四に云く「法界を以て之を論ずれ
ば華厳に非ざる無し仏慧を以て之を論ずれば法華に非ざる無し」云云、又云く「応に知るべし華厳の尽未来際は即ち此の経の常在霊山なり」云云、此等の釈は爾前の円と法華の相待妙とを同ずる釈なり、迹門の
絶待開会は永く爾前の円と異なり、
562: 2014/09/05(金)20:35 ID:ogQiRbcb0(6/6) AAS
籤の十に云く「此の法華経は開権顕実開迹顕本の此の両意は永く余経に異なり」と云えり、記の四に云く「若し仏慧を以て法華と為さば即」等と云云、此の釈は仏慧を明すは爾
前・法華に亘り開会は唯法華に限ると見えたり是は勝なり、爾前の無得道なる事は分明なり其の故は二妙を以て一法に妙ならしむるなり、既に爾前の円には絶待の一妙を闕く衆生も妙の仏と成る可からざる故に籤の三
に云く妙変為〓の釈是なり、華厳の円変じて別と成ると云う意なり。本門は相待絶待の二妙倶に爾前に分無し又迹門にも之無し、爾前迹門は異なれども二乗は見思を断じ菩薩は無明を断ずと申すことは一往之
を許して再往は之を許さず、本門寿量品の意は爾前迹門に於て一向に三乗倶に三惑を断ぜずと意得可きなり、此の道理を弁えざるの間・天台の学者は爾前法華の一往同の釈を見て永異の釈を忘れ結句名は天
台宗にて其の義分は華厳宗に堕ちたり、華厳宗に堕ちるが故に方等般若の円に堕ちぬ、結句は善導等の釈の見を出でず、結句・後には謗法の法然に同じて師子身中の虫の自ら師子を食うが如し文、仁王経の下
に「大王我が滅度の後・未来世の中に四部の弟子・諸の小国の王・太子・王子乃ち是れ三宝を住
563: 2014/09/06(土)08:30 ID:OGCzfhGv0(1/7) AAS
持し護れる者・転た更に三宝を滅破すること師子身中の虫の自ら師子を食うが如し、外道には非ず多く我が仏法を壊りて大罪過を得ん」云云、籤の十に云く「始め住前より登住に至るこの
かた全く是れ円の義・第二住より次の第七住に至る文相次第して又別の義に似たり、七住の中に於て又一多相即自在を弁ず、次の行向地又是れ次第差別の義なり、又一一の位に皆普
賢行布の二門有り故に知んぬ兼て円門を用いて別に摂することを」華厳阿含大日経 真言宗観経等 浄土宗小乗 方等 深密経等 法相宗楞伽経 禅 宗般若 三論宗無量義経法華経迹門
十四品・本門薬王品已下の六品並びに普賢・涅槃経等劣応身応身勝応身小仏 報身 華厳経るさな仏大日経等びるさな仏並びに迹門涅槃経等の仏阿逸・汝当に知るべし是の諸の大菩薩
序出二云云。無数劫よりこのかた仏の智慧を修習す、悉く是れ我が所化なり大道心を発さしむ此等は是れ我が子なり是の世界に依止せり、玄の七に云く「六に本説法妙とは経に言く此等我所
化・令発大道心・今皆住不退と我所化とは正く是れ説法して大道心を発さしむるは小説に簡非するなり、此れ本時の説を指して迹説を簡非するなり迹説・多種なれども若し涅槃に依れば」等云
564: 2014/09/06(土)08:31 ID:OGCzfhGv0(2/7) AAS
云、華厳経の寂滅是なり始成正覚。迹仏。増一阿含経の十に云く「仏・摩竭国に在し道樹の下にして爾時に世尊得道未だ久からず」浄名経に云く「始め仏樹に坐して力て魔を降す」大集経に
云く「如来成道始めて十六年なり」大日経に云く「我昔道場に坐し四魔を降伏す」仁王般若経に云く「大覚世尊先ず我が為に二十九年」無量義経に云く「我先に道場菩提樹下に端坐する事六年
乃至四十余年」法華経の方便品に云く「我始め道場に坐し樹を観じ亦経行し三七日の中に於て是くの如き事を思惟す」籤の七に云く「大乗の融通過ぎたること無し」華厳経の初に云く「菩提道
場にして始めて正覚を成ず、故に知んぬ大小識成皆近なり」寿量品に云く「爾時に世尊・諸の菩薩の三たび請じて止まざるを知ろしめして之に告げて言たまわく汝等諦かに聴け如来の秘密神通の力を
・一切世間の天人及び阿修羅は皆今の釈迦牟尼仏は釈氏の宮を出でて伽耶城を去ること遠からず道場に坐して阿耨多羅三藐三菩提を得たりと謂えり、然るに善男子・我実に成仏してより已来
無量無辺百千万億那由佗劫なり」等云云、文句の九に云く「仏・三世に於いて等く三身有り諸教の中に於いて之を秘して伝えず・故に一切世間の天
565: 2014/09/06(土)08:31 ID:OGCzfhGv0(3/7) AAS
人修羅は今の仏は是に始まると謂えるなり、此の
三身を得る故に近に執して遠を疑う」寿量品に云く「諸の善男子・如来は諸の衆生の小法を楽える徳薄垢重の者を見ては是の人の為に我少くして出家し阿耨多羅三藐三菩提を得たりと説く、然
るに我実に成仏してより已来久遠なること斯くの若し」文句の九に云く「一約往日○二約現在○三約修行○四・果門に約せば近成の小を聞かんと楽う者は釈氏の宮を出で始めて菩提を得たりとし
長大久遠の道を聞かん事を楽欲せず故に楽小と云う」此等の小心は今日に始まるに非ず若し先に大を楽わば仏即ち始成を説かず始成を説くことは皆小法を楽う者の為のみ、又云く「諸の衆生・小
法を楽う者とは所見の機なり」華厳に云く「大衆清浄なりと雖も其の余の楽小法の者は或は疑悔を生じ長夜に衰悩せん此れを愍むが故に黙す」偈に云く「其の余の久く行ぜざるは智慧未だ明了ならず
識に依つて智に依らず聞き已つて憂悔を生じ彼将に悪道に堕ちんとす此れを念うが故に説かず」と、彼の経を案ずるに声聞・二乗無し但不久行の者を指して楽小法の人と為すのみ、師の云く「楽小は
小乗の人に非ざるなり乃ち是れ近説を楽う者を小と為すのみ」文句の九に云
566: 2014/09/06(土)19:38 ID:OGCzfhGv0(4/7) AAS
く「徳薄とは縁了の二善功用微劣なれば下の文に諸子幼稚と云うなり垢重とは見思未だ除かざるなり」記の九に云く「徳薄垢重とは其の人未だ実教の二因
有らざる故なり下の文に諸子幼稚と云うは下の医子の譬の文を指す尚未だ円を聞くに堪えず況んや遠を聞かんをや、見思未除とは且く譬の中の幼稚の言を消す定めて未だ遠を知らず」玄の一に云く「
厚く善根を殖えて此の頓説を感ず」文、籤の一に云く「一往は総じて別円を以て厚と為す」五百問論に云く「一経の中に本門を以て主と為す」云云、又云く「一代教の中に未だ曾て遠を顕さず父母の寿は知らずんばあるべからず
始めて此の中に於いて方に遠本を顕す、乃至但恐る才一国に当るも父母の年を知らざれば失う所・小と謂うも辱むる所至つて大なり、若し父の寿の遠きを知らざれば復父統の邦に迷う徒に才能と謂うも全く人の
子に非ず」文句の九に云く「菩薩に三種有り下方と他方と旧住となり」玄義の七に云く「若し迹因を執して本因と為さば斯れ迹を知らず亦本を識らざるなり天月を識らずして但池月を観るが如し○、払迹顕本せば
即ち本地の因妙を知る影を撥つて天を指すが如し云何ぞ盆に臨んで漢を仰がざる嗚呼聾駭なんすれ
567: 2014/09/06(土)19:41 ID:OGCzfhGv0(5/7) AAS
ぞ道を論ぜんや」又云く「若し迹果を執して本果と為す者は斯れ迹を知らず亦本を識らざるなり、本より迹を垂るるは月の水に現ずるが如く迹を払うて本を顕すは影を撥うて天を指す
が如し、当に始成の果を撥けば皆是れ迹果なるべく久成の果を指すは是れ本果なり」又云く「諸土は悉く
迹土なり一には今仏の所栖の故に二には前後修立の故に三には中間所払の故に若し是れ本土は今仏の所栖に非ず、今仏の所栖は即ち迹土なり、若し是れ本土は一土・一切土
にして前後修立なるべからず浅深不同なり○、迹を執して本と為す者は此れ迹を知らず亦本を
識らざるなり、今迹を払つて本を指すときは本時所栖の四土は是れ本国土妙なり」
蔵因 三祇百劫菩薩 未断見思通因 動喩塵劫菩薩 見思断迹仏別因 無量劫菩薩 十一品断無明円因 四十一品断無明劣
応 蔵 三十四心断結成道勝応 通 三十四心見思塵沙断の仏迹仏果 果報身 別 十一品断無明の仏法身 円 四十二品断
無明の仏誓耶 后 麻利支天女大日天 乗輅車 九曜毘誓耶 后 七曜二十八宿大月天 乗鵞十二宮金光明経に云く「日の天子及以び月天是
の経典を聞き精気充実す」最勝王経に云く「日出でて光を放ち無垢炎清浄なり此の経
568: 2014/09/06(土)19:43 ID:OGCzfhGv0(6/7) AAS
王の力に由て流暉四天を遶る」仁王経に云く「日月度を失い」等、大集
経に云く「日月明を現ぜず四方皆亢旱す是の如き不善業悪王悪比丘我が正法を毀壊す」仁王経に云く「非法非律にして比丘を繋縛すること獄囚の法の如くす」法華経
に云く「色力及び智恵此等皆減少す」華厳経に云く大集経に云く。段食・法食・喜食・禅悦食。三力、一切衆生力・法力・自身功徳力。戒光 清浄也日光 定光 定 也恵光 〓 也人天 三学
小乗 三学大乗 三学権大乗 三学実大乗 三学純円 三学法身光 般若光 解脱光此天は初地或は十廻向なり十信 十住 十行 十廻向 十地 等 妙初地三惑断
初住三惑断北辰梵・帝釈・日・月・四天等衆星衣食寿命肉眼一切の四天下の衆生の眼目 天眼恵眼法眼仏眼有に非ず地を離るが故に、空に非ず有を照すが故に有、辺に非ずし
て中に処するが故に、而も空・空に処するが故に、而も有・有を養うが故に、来らずして北に至るが故に、而も来りて南に来るが故に、一ならず四州を照すが故に、異ならず一日なるが故に、断なら
ず常なるが故に、常ならず一処に住せざるが故に。記の三に云く部方等と雖も義は円極なる故に・故に今之を引く、伏羲 少昊三皇 神農 〓〓 三墳五典黄帝
569: 2014/09/06(土)21:49 ID:OGCzfhGv0(7/7) AAS
五帝 帝〓尭王 男九人女一人夏 舜王殷 第一文王第二武王 周公旦第三成王第四昭王の御宇二十四年甲寅に当る五色の光気南北に亘る大史蘇由之を占う四月八日は仏の御誕生なり
中間七十九年なり第五穆王の五十二年壬申に当る 二月十五日御入滅 十二の虹南北に亘る大史扈多之を占う三十七有り或は八一儒教 五常 文武等なり孔丘 顔回三教 二道教 仙教
老子周 三釈教 一代五十余年始皇 儒教秦 次生皇 三教 道教釈教前漢 十四代漢 又周の第四の昭王二十四年より後漢の第二光武に至る一千一十五年に当るなり(仏の滅後一千一十五年に当るなり)
後漢光武皇帝永平十年丁卯一千一十五年に当て摩騰迦竺法蘭の二人の聖人四十二生経小乗教十住断結経大乗経を以て白馬に負せて漢土に渡す
魏 雙観経渡る西晋 正法華経十巻渡る 法護三蔵亘す妙法華経渡る 七巻或は八巻 羅什三蔵亘す晋 三論宗渡る後秦 阿弥陀経亘る華厳経亘る宋 観経亘る大涅槃経亘る三時四時五時 五時 一音 半満 三教 四宗 五宗 六宗
斉 南三北七の十師(江南なり 江北なり曇鸞法師浄土宗を立つ禅宗渡る 達摩大師なり摂論亘る 南北梁 地論亘る 南北別時意趣の法門出来す末観音の化身なり道宣の感通伝に出ず 南岳大師亦恵思禅
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