◎●○三島由紀夫の名言・格言○●◎ (853レス)
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605: 2010/08/23(月)23:01 ID:re6ShTv4(1/6) AAS
人間とはただ雑多なものが流れて通る暗渠であり、くさぐさの車が轍(わだち)を残して
すぎる四辻の甃(いしだたみ)にすぎないやうに思はれる。暗渠は朽ち、甃はすりへる。
しかし一度はそれも祭の日の四辻であつたのだ。

このごろの若い人のやつてゐることは、衣装がちがふだけで、中味はちつとも昔と
かはつてゐやしませんよ。若い人は自分にとつてはじめての経験を、世間様にもはじめての
経験だととりちがへる。どんな無軌道だつて昔とおなじで、ただ世間のやかましい目が
昔ほどぢやないから、無軌道も大がかりになつて、ますます人目につくことをしなくちや
ならなくなるんです。

今、世に時めいてゐる人たちは、無礼な冗談や狎(な)れすぎた振舞をもむしろ面白がるが、
かつて世に栄えて隠棲してゐる人たちにとつては、同じ冗談も矜りを傷つけられる種子に
省3
606: 2010/08/23(月)23:02 ID:re6ShTv4(2/6) AAS
若い男は精神的にも肉体的にもあんまり余分なものを引きずつてゐて、特に年上の女に
対しては己惚れが強くて、どこまでつけ上るかわからない。

「面倒臭い」。それは明らかに、老人の言葉だつた。

死んだやうな生活といきいきした思想とが、どうして同居してゐることができよう。

かづが今やその人たちの一族に連なり、その人たちの菩提所にいづれ葬られ、一つの流れに
融け入つて、もう二度とそこから離れないといふことは、何といふ安心なことだらう。
何といふ純粋な瞞着だらう。かづがそこへ葬られるときこそ、安心が完成され、瞞着が
完成される。それまでは世間はいかにかづが成功し、金持になり、金を撒かうと、本当に
瞞されはしないのだ。瞞着で世間を渡りはじめ、最後に永遠を瞞着する。これがかづの
世間へ投げる薔薇の花束である。……
省1
607: 2010/08/23(月)23:02 ID:re6ShTv4(3/6) AAS
その大仰な秘密くささも情事に似てゐて、政治と情事とは瓜二つだつた。

しかし人間は墓の中に住むことはできない。

かづが打算と考へてゐるものは一種の誠意、とりわけ民衆的な誠意であり、動機が
どうあらうとも、献身と熱中は、民衆に愛される特性だつた。

自然なものしか人の心を搏ちませんよ。

政治家の目からは選挙区の景色はどこも美しく見えなければならず、自然を美しく眺めるには
政治家でなければならない。それは収穫されるべき果物の、みずみずしさと魅惑に
充ちてゐる筈だ。
省4
608: 2010/08/23(月)23:03 ID:re6ShTv4(4/6) AAS
空虚に比べたら、充実した悲惨な境涯のはうがいい。真空に比べたら、身を引き裂く
北風のはうがずつといい。

曇り空の一角に白金のやうに輝いてゐる小さい太陽へ、たえずかづの目は惹きつけられる。
不可能といふことがその輝きの素なのである。それは輝いてゐる。美しく天空に懸つてゐる。
何度目を外らしてもその輝きへ目が行くのも、それが不可能だからなのだ。そしてちらと
そこへ目が行つたが最後、他所はすべて闇としか思はれなくなつてしまふ。

理想のちらつかせる奇蹟への期待も、現実主義の惹起する奇蹟への努力も、政治の名に於て
同一なのかもしれない。

男の目が不可能に惹きつけられて光つてゐるときには、それを愛情のしるしと考へてよかつた。

かづは自分の活力の命ずるままに、そこに向つて駈けて行かねばならぬ。何ものも、
省3
609: 2010/08/23(月)23:21 ID:re6ShTv4(5/6) AAS
どの国も自分の国のことだけで一杯で、日本みたいに好奇心のさかんな国はどこにもない。
…なかんづく好奇心の皆無におどろかされるのはフランスで、あの唯我独尊の文化的優越感は
支那に似てゐる。

「古橋はすばらしいですね、僕たちとても古橋を尊敬しているんです」
私は源氏物語の日本を尊敬してゐるなんぞとどこかの国のインテリに云はれるより、
他ならぬギリシアの子供にかう云はれたことのはうをよほど嬉しく感じた。競技の優勝者を
尊敬した古代ギリシアの風習が、子供たちの心に残つてをり、しかもわが日本が、
(古代ギリシアには、水泳競技はなかつたと思はれるが)、古代ギリシアの競技会に
参加して、優勝者を出したやうな気がしたのである。かういふ端的なスポーツの勝利が、
いかに世界をおほつて、世界の子供たちの心を動かすかに、私は併せて羨望を禁じえなかつた。
省3
610: 2010/08/23(月)23:21 ID:re6ShTv4(6/6) AAS
同じアメリカぎらひでも、フランスのそれと日本のそれとの間には、大きな相違がある。
フランスのアメリカぎらひは、自分の下手な似顔を描いた絵描きに対する憎悪のやうなものである。

ニュースの功罪について、僕はいろいろと考へざるをえなかつた。どこの国でも知識階級は
疑り深くて、新聞に書いてあることを一から十まで信じはしない。信じるのは民衆である。
しかし或る非常の事態にいたると、知識階級の観念性よりも、民衆の直感のはうが、
ニュースを超えて、事態の真実を見抜いてしまふ。かれらは自分の生活の場に立つて、
蟻が洪水を予感するやうに、しづかに触角をうごめかして現実を測つてゐる。真実な
デマゴオグ(煽動者)といふものが、かうして起る。敗戦間近い日本に起つたやうな
あの民衆の本能的不信は、古代にもたびたび起つた。民衆のあひだにいつのまにか
歌はれはじめる童謡が、何らかの政治的変革の前兆と考へられたのには、理由がある。
省1
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