[過去ログ] 日蓮って ver.28 (841レス)
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83: 2014/06/13(金)11:35 ID:It6WLwXz(1/5) AAS
「南無妙法蓮華経」=雰囲気のマントラ

法華経はなんとなく全部読むとなんとなく感じ取れるものがある。それは

 因果応報→しかし普通に修行しても凡人は悟りなど得られない
 →経文の終わりにはダラニを唱えるとよいと書いてある
 →ほらほら、お前らなんとなくわかるな?ん??

というもの。これを称して「文底秘沈のなんとやら」といい、

 そこで浄土三部経の観無量寿経が世に出ると
 →そこに凡人低レベル人種にはしょうがないから経文のタイトルを唱えて聞かせるだけで
 ありがたい雰囲気が伝わって救われ度することができると書いてあった
 →それを見た日蓮は「これだッ!!」とアイデアを得てそれを根拠に
省2
84: 2014/06/13(金)11:46 ID:It6WLwXz(2/5) AAS
ということなので、日蓮以来、

「南無妙法蓮華経」=雰囲気のマントラ

だから、要するにこれが「呪(じゅ)」になっただけで、本質は真言マントラ
なので、なんども繰り返して唱えることで「実益」が得られるし、それは
法華経という文底秘密沈の秘密の法に従うことなので、呪術ではなく、OKになる
のだ、という主張なのです、要するに。

だからとにかく現世でご利益がある、病気も治る、呪術としての実益がある、
という教えとして確立するわけです。だからカンタンだから末法の俗世向きで
ケッコーケッコーという次第に持って行ける、とこういう論理になってるのでした。

しかしそれは要するに「マントラ」だから、精神身体医学的効能があるのは当たり前で、
省2
87: 2014/06/13(金)15:40 ID:It6WLwXz(3/5) AAS
>>85-86
日蓮はそれに真言的な理屈をつけたのだと思いますよ。

真言密教には「阿字観瞑想法」というのがあり、それは梵字で「阿」と書いた紙を
目の前において、それをやぶにらみに目で見ながら「あうん」と唱えて瞑想する、
という行法で、日蓮のお題目(タイトル唱え)の行法も、要はそれからヒントを得た
ものだと考えるとよく類似していることがわかりますよね?

密教も人間の神経に働く目からの刺激を曼荼羅として利用して脳神経への暗示力を
誘発するようにしていたので、同じことをしたのです。大昔から曼荼羅は真言密教
のツールでしたね。

つまり日蓮は元々は真言密教をベースに究極の行方を編み出そうとあれこれ試行錯誤
省8
88: 2014/06/13(金)16:40 ID:It6WLwXz(4/5) AAS
「南無妙法蓮華経」=雰囲気のマントラ

みなさん、和太鼓をそばで聴いたことがある人はわかると思いますが、
この「南無妙法蓮華経」=雰囲気のマントラのリズムは和太鼓の理屈が
使われているのです。

和太鼓をそばで聞くと元気が出ますね?
なぜだかわかりますか??

それは、横隔膜に超低音振動がドーンドーンと響いて反響共鳴するからで、
それによって血行が促進されると同時に自律神経の失調が解消されて整うからです。

それによって元気が戻ってきて生物としての本来の体内作用や免疫機能が
ぐぐっと回復改善するのです。同時に脳にも音の響きが影響しているわけです。
省4
89: 2014/06/13(金)16:57 ID:It6WLwXz(5/5) AAS
<結論>を言います。

精神身体医学的、心理学的な効果をもたらす科学的に当たり前の生理学的な
療法そのものを、あたかも神や仏けのように拝んだり、そのマントラの文言
を書いたロゴアートを同様に拝んだりするのは、現実に<偶像崇拝>です。

同時に、そうしたマントラを推奨したり唱えるように進める「宗教」や「教祖」
も神や仏けのように拝んだり絶対的な帰依を誓うなどというのも、やはり
<偶像崇拝>になるでしょう。

現代の私たちはそこを科学的に理解するべきなのです。

しかしそこができないのが人の常で、必ずそうやって偶像をたててそれを拝む
ようになります。それが人間の弱さなのです。だから、似非絶対者を立てて
省9
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