【中級者】乗馬Q&A (412レス)
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164: 2014/10/22(水)09:20 ID:FhJChRon(3/6) AAS
中身も軽く解説しておく。
馬上で鉄砲が撃てるようになってからも長らく、最終局面では、騎槍やサーベル振るっての突撃が想定されている。
いま話題のウクライナのクリミア半島、1854年10月25日。クリミア戦争(ナイチンゲールが活躍した)のバラクラバの戦い(毛糸の帽子の由来)。
イギリス軽騎兵が命令の誤解からロシア砲兵陣地に突撃して壊滅した。
坂の上の雲に出てくる秋山さんはとうぜん知っていたはず。日露戦争になると大砲以外に機関銃も生まれる。
ガラスを拳で突き破って、ガラスは割れるが拳も傷つくを示して「騎兵の本質」と講じながら、極力突撃を避け、砲や機関銃と連携した下馬戦闘に徹した(騎兵というより移動が早い歩兵みたい)のは「坂の上の雲」に描かれている。
にも関わらず、アキラメが悪かった。
突撃を想定していると、鐙は長く、騎座が深くなる。
騎兵を少数エリートと思いたいので、難しいことをやる。
立たせる、後方の敵を蹴らせるといった古典もそうだし、そこへ繋げるために初歩から大勒使わせる。
これに対して、1907年、イタリア軍騎兵カプリリ大尉が、障害や不整地通過には鐙短く騎座浅く前傾したほうが有利だ、という説を唱える。
起こりそうもない抜刀突撃よりこっちを優先しよう、と。
カプリリはまもなく亡くなるが、イタリアからフランスや各国へ、最後には直立姿勢での飛越に拘っていたドイツにも伝わっていく。
各国の教範に裏をとってはいないが、写真等の印象からは、WW1開戦時にはかなり浸透していたとみてよいと思う。
日本は、昭和2年(1927年)の馬術教範ではこれを取り入れていない。
しかし、1932年あるいはそれ以前も西中尉は前掲して飛んでいるから、実地では取り入れられていたと考えられる。西さんもイタリア留学組ということを差し引いても。
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